≪ お知らせ ≫ (18年7月)
会員の皆様へ
「今月の人」冊子が発行されました。
2005年1月から2006年6月まで、36組72名の会員の方々にご登場いただきました。
このたび冊子にいたしましたので、会員の方には1冊1,000円でお分けしております。
ご希望の方は事務局までお知らせください。
北里光司郎広報委員長
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≪ お知らせ ≫ (18年6月)
会員インタビューの「今月の人」は今月を以って最後となります。
昨年1月より18か月間36組のインタビューに延べ72人の会員の方々に
ご登場いただき誠にありがとうございました。
それぞれの方に大変貴重なお話をいただきましたので、
18か月間のインタビュー記録は冊子に纏めて発行する予定です。
また、次回からは、「キワニスは楽しい」というテーマにより
会員による対談を連載する予定です。
引き続きご愛読いただきたくよろしくお願いいたします。
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下記をクリックすると、各インタビューに飛びます。
○18年6月: 矢橋幸一 会員(元レクレーション委員長)
〔インタビュアー:野末明世 会員(元文化委
員長)〕

左:野末 会員 右:矢橋 会員
重崎元会長から「楽しいから入れ」の薦めの言葉で入会
(野末) 昭和55年の御入会ですからかれこれ26年余在籍されておられ、また皆勤も15年になられ東京キワニスクラブの優等生のような大先輩の矢橋会員にインタービューさせていただきます。まずかなり時間が経過した話ですが、キワニスクラブに入会されたきっかけについてお聞かせ下さい。
(矢橋) 重崎元会長のすすめで入会しました。重崎伸矩元会長はNHKの技術部門の先輩で戦後いちはやく独立され実業界(芝電気放送機器)で成功された素晴らしい方で、私とは昭和30年来の兄弟の様な家族ぐるみの永いお付き合いでした。 重崎元会長の入会への薦めの言葉は"楽しいから入れ"でした。
入会当時はNHKの理事をしており金曜日の例会とNHKの役員会が常に重なりなかなか例会に出席出来ませんでしたが, 当時例会とは別にチャーターメンバーを中心とした月1回の夜の会合が新橋の金田中で開かれ、その会に重崎元会長のお声がかりでゲストとして、たびたび呼ばれて、放送に関する将来像などについてお話をさせていただくことが出来ました。 当時のチャーターメンバーは 鹿内さん、木戸さん、赤澤さん、坪内さん、安藤さん、重崎さんなどそうそうたるメンバーの方々で、皆さんが私の話を熱心に聞いてくださった事に大変感銘したのを覚えて居ります。
家族ぐるみの付き合いで人間関係の絆が広がった
(野末) これまでのキワニスライフにおいて印象に残ったことがありましたらお話ください。
(矢橋) 楽しかった事柄は、種々の大会、アスパック、日本地区大会、リクリエーション行事等に出席したこと(特に家内同伴)。火曜会も楽しい集まりです。家族ぐるみの出席で他のメンバーの家族と仲良くなれたことで人間関係が広がりメンバーの人々との絆ができました。
功をあせらずSlowly but Steadyに
(野末) キワニスクラブの在り方について日ごろ感じて居られる事や希望がありましたらお聞かせ下さい。
(矢橋) 現在の環境の中で、会長以下役員、特に事務局長は舵取りがなかなか困難の中よくやっておられると思います。あえて言わせてもらえば"功をあせらず Slowly but steady"にすすめて行く事も必要ではないかと思います。クラブの新設や役員の選任など広い視野に立って慎重にやるべきだとおもっております。又その他物故会員リストなども亡くなられた時会員でなくても永年会員で居られた人々も
リストに残してほしいと思います。会員は前職種に関係なく平等の精神で幅広く交誼することも必要に思います。
(野末) 現在行われている奉仕活動について、また今後の奉仕活動について何かご意見がありましたらお話ください。
(矢橋) 会員の意見を良く聞いて独走しないで進めて行ったらよいと思います。例えば 靖国神社の清掃の時間などもう少し弾力的に設定すれば会員の参加も増えるのではないかと思います。
(野末) 外部の方々に対してキワニスクラブへの入会を薦めるメッセージを何か頂けますか
(矢橋) 一言で云えば"楽しいから入れ"と言います。キワニスクラブは自分の為にもなるし他人の為にもなりますから。
キワニスクラブは「心のオアシス」
(野末) たしか昨年でしたか矢橋夫妻は金婚式を迎えられたことを皆さんから祝福を受けられたと記憶しておりますが その秘訣は何でしょうか。
(矢橋) 健康と愛情。 これが秘訣です。
(野末) 余暇はどのようにすごされておられますか。
(矢橋) 旅行、観劇、ゴルフ、麻雀等昔の仲間と大いにエンジョイしています。
(野末) 最後に矢橋会員にとってキワニスクラブとは何でしょうか。
(矢橋) キワニスクラブは私にとって"心のオアシス"です。クラブで色々な会員と話しをすることは楽しい事です。頭を使って楽しく苦労する事が出来ます。
(インタービューを終えて)
矢橋さんは長年の会員としてキワニスクラブを取り巻く時代の変遷を経験されて来られ年輪を感じ改めて尊敬の念をいだいた次第であります。今後のキワニスクラブの行く末を暖かくまた厳しく見守っていただき貴重な御意見を都度頂きたいと思いました。会場の都合で時間の制限もあり少し消化不良のインタビューでありましたが有難うございました。(野末明世)
○18年6月: 塚田誠剛会員(元レクレーション委員長、広報委員長)
(インタビュアー:西本綱三 会員)

左:西本 会員 右:塚田 会員
出だしは大阪キワニアン
西本)早速ですが、まず入会された経緯、動機をお聞かせください。
塚田)1975年に日本航空が中国との関係から台湾就航を目的とした日本アジア航空を設立しましたが、私はその初代大阪支店長として大阪に赴任しました。当時会社は支店長のロータリー加入を奨励していましたが、調べてみると例会等の出席義務が厳しく、激務の間にこなすことはとても無理だと思いました。そこで大阪キワニスに入れていただいたのがキワニスとのお付合いの始まりです。私が44歳のときでした。その後間もなく日本航空のマドリッド支店長に転出しましたので、大阪キワニアンとしては目立った活動はしませんでしたが、価値観を共有できるキワニス会員諸兄との交友はほんとうに有意義なことで、素晴らしい会だという印象を強く持っており、機会があれば再度入会したいと願っておりました。
マドリッドから帰国後、1990年に新旅行(株)の社長に就任しました。就任直後は超多忙で余裕がありませんでしたが、2,3年経った頃から東京キワニスに入会したいと思うようになっていました。ただ当時は入会のハードルが今よりも高かったようで、3人の推薦が必要でした。1994年にようやくアサヒビールの樋口広太郎さん、富士ゼロックスの和田洋さん、東急エージェンシー・インターナショナルの永井弓彦さんのご推薦をいただき、めでたく入会させていただいた次第です。
一番の思い出はスペイン・ポルトガル旅行の企画
西本)入会4年後、1998年にレクリエーション委員長に就任されたわけですが、印象に残っていること、楽しかった思い出をお聞かせください。
塚田)仕事の関係もあり、私は入会してすぐレクリエーション委員会に入れていただきました。委員長時代を含め同委員会に所属していた5年間の活動でいちばん印象に残っているのは1996年のスペイン/ポルトガル旅行でしょうか。私が日本航空の両国の代表者であったこともあり、現地日本航空職員の協力を得ながらこの企画には全力で取り組みました。10日間でマドリッド、セビリヤ、コルドバ、グラナダ、バルセローナ、リスボン、エストリル等を新幹線、デラックスバス、飛行機で回りました。
特に留意したのはホテル、食事の組合せと、あまり無理のない旅程を組むことでした。すべての都市で5つ星ホテルでの宿泊、最高級レストランでの食事、ほとんど全行程ガイド付きの美術館巡り、カジノ、フラメンコ、ファドなど快適な旅を楽しむだけでなく、スペイン到着早々両国の歴史、政治、経済、社会情勢の勉強もしっかりしました。往復ビジネスクラスの豪華旅行で、参加された22名の方々にほんとうに喜んでいただきました。今年はその旅行からちょうど10周年にあたりますので、参加者全員で10周年記念パーティを開催することにしています。思い出話しに花が咲くことを楽しみにしています。
西本)それはいい旅をなさいましたね。秋季恒例になっている箱根湖畔ゴルフ会も塚田さんが委員長時代に始められたと伺っていますが?
塚田)たまたま箱根湖畔ゴルフの支配人とは旧知の間柄であったのでいろいろ便宜をはかってもらいました。引き続きご好評をいただいているようなので嬉しい限りです。
キワニスドールのキャンペーンを立ち上げる
西本)その後2002年には広報委員長に就任されました。広報委員長としていちばん意を注がれたのはどういうことでしょうか?
塚田)それは一言でいって、「東京キワニスのアイデンティティの確立」です。外部の人たちに対してキワニスを説明するのにロータリーやライオンズを引き合いに出さなくても理解をしてもらうにはどうすればいいのか。私が最重要課題として考えたのは、やはりマスコミの最大活用、そのための協力をいかにして得るかということでした。
当然のことながら実体のない広報活動では意味がありませんから、当時東京キワニスの重要施策で取り上げたキワニス・ドール・キャンペインに力を注ぐとともに、その成果の広報に重点的に取り組みました。2001年にボランティア活動委員長に就任された木全さんが推進役になって1年間で1200体を製作、32の病院、NPOに寄付をしたわけですが、その成果はNHKラジオで取り上げられましたし、日本フィランソロピー協会の機関紙でも取り上げられました。このように一定の成果はあったものの道半ばの思いでした。
ただ、非常に印象に残っていることは、順天堂大学医学部小児科学教室の山城雄一郎教授のご理解、ご協力です。当クラブの40周年記念行事前に、大量のキワニス・ドールを同病院で受け入れていただいたほか、山城教授には例会で数回にわたってご講演をいただき、さらに米国キワニスクラブ本部会長ご夫妻が来日された折には同病院の見学を受けいれていただきました。山城教授のご協力がいろんな意味で強いインパクトを与えたわけで、今でも心から感謝している次第です。歴代の広報委員長が同じ思いでご苦労をなさっておられるわけですが、着々と成果を挙げていることは喜ばしいことです。
これからは独自の新しいテーマを取り上げることも
西本)おっしゃるとおり広報活動は会の活動そのものがベースにないと成り立たないわけですね。その意味で東京キワニスがこれから取り組んだ方がよいと思っておられることがありでしたらお聞かせください。
塚田)広報委員長時代から思っていることは、東京キワニスの特徴をどう出すのかということです。もちろん東京キワニスは国際キワニス傘下の下部組織ですから大きな方針に従わなければならないことは当然ですが、その中での独自性、特徴があってもいいのではないかと考えています。
西本)具体的にお考えになっていることはありますか?
塚田)思いつき程度のことですが、弱者に対する思いやりという当会の基本理念に照らしていえば、例えば盲導犬の育成、活用は有意義なテーマかもしれませんね。詳しく調べたわけではありませんが、当会会員で財団法人日本盲導犬協会の理事長をしておられる井上幸彦さんに伺った話では日本では盲導犬を希望する人数に比べて盲導犬の数は5分の1だそうです。また、NHKの番組でも取り上げられたのでご覧になった方もおられると思いますが、中国では盲導犬がまったくいない状態だそうです。どう取り上げたらいいのか難しい問題ですが、検討にあたいするテーマではないでしょうか。
楽しみながら社会奉仕
西本)最後に、新入会員あるいはこれから会員になっていただく方へのメッセージをお願いします。
塚田)私は「明日の地域社会のために、世界のこどもたちのために、社会に最大奉仕するキワニスにようこそ」と申しあげたいですね。こう申し上げるとやや硬い感じがしますが、キワニスの特徴は異業種出身だけど価値観を共有できる人たちの集まりで、その方々と趣味・スポーツの面でも時間を共有できる楽しみの側面もあります。私の見るところ、他の同種団体に比べて、キワニスは出席率にはうるさくないけど、団結力、いい意味での仲間意識は強いように思います。ですから、「楽しみながら社会奉仕」と申しあげたほうがいいのかもしれませんね。
西本)今日は貴重なお話をありがとうございました。
(インタビューを終えて)
塚田さんの爽やかなお人柄、キワニスに対する愛情・思い入れに感銘を受けた1時間でした。「楽しみながら奉仕」を肝に銘じてこれからの活動をしたいと思っています。(西本綱三)
○18年5月: 寄木正敏 会員(元副会長、財務委員長)
(インタビュアー:星 利樹 会員)

左: 星 会員 右:寄木 会員
豊田章一郎さんの強い勧めで入会
星) キワニスクラブに入会された動機は。
寄木)キワニスの入会は旧三和銀行名古屋支店長の時です。当時支店長はロータリーかライオンズのどちらかへの入会が普通でした。トヨタ自動車の豊田章一郎副社長(当時)さんがゴルフの良いライバルでよくお伴しましたし、又、トヨタ自動車は銀行の大得意先でありました。豊田さんがキワニスのメンバーで、強く誘われました。公私に渉りご高配にあずかってましたので、自然に名古屋キワニスに入会したのが始めです。
昭和50年本店に戻りましたが、第一次オイルショック後の厳しい時で、ロータリー、ライオンズも断わり、キワニスも中断しました。昭和54年月島機械に移りましたが、ここのライオンズクラブは私が支店長時代銀座のエクステンションで創立に係わったメンバーでしたし、関係深かったのですが、お断りして会社再建に取組みました。やっと多少余裕ができて、平成元年東京キワニスに入会させていただきました。
実働会員200人位の規模が望ましい
星)寄木会員は副会長等の役職を務められ、キワニスの活動に積極的に貢献されました。また例会だけでなく火曜会にも積極的に出席されていますが、これまでキワニアンとして活動してこられてお感じになっていることを自由に話して下さい。
寄木) キワニスの活動は懇親が基本だと思います。その上に必要な資金を得てボランティア活動ができるわけです。財務委員長を仰せつかった時、まず資金を何とかしなければいけないと痛感しました。クラブは会費と寄付金が中心で運営されています。諸先輩の話を聞いて実働会員200人位が望ましいと方針をたてて、当時の総務委員会のご諒承を得て、財務の基本としました。まとまりを考えれば、多ければ良いというものではないということではなかったかと思います。
意思疎通・コミュニケーションができて始めて揃って何かしようとなるのです。コミュニケーションを計るには、例会やその他の会合に時間の許すかぎり出席することだろうと思います。又、出席しやすいように運営するべきだと思います。特に火曜会はフリートーキングで色々な方と対話ができ、例会の何倍もの効果があると思います。
お城と城下町の研究は一生続けます
星) 寄木会員は日本のお城の研究をされていて、卓話でもお話しをされました。この研究は今でも続けておられますか。
寄木)大学で日本経済史を専攻し、卒論で「徳川封建経済の分析」を書いて、お城、城下町を調べたのがそもそもの始まりです。サラリーマン生活は厳しく、これを続ける余裕がありませんでした。昭和40年代から少しずつ時間を捉えて再開したのです。歴史は難しく、人の考えは大きく分かれます。一人一人が「おらが町」さえ知らないで、歴史を論じてもだめだと思っています。数代遡れば日本人の殆んどが天領か大名の領地に属していて、良きにつけ悪しきにつけそこに育った文化があったと考えます。それで対象をいわゆる城持ち大名の幕末に絞り、調べてきました。これを、キワニスをはじめ外部講演や雑誌などに書いてきました。
徳川幕末で160弱の大名の城がありました。その時代の天守閣は11(何れも国宝か重要文化財)しか残っていません。天災や人災で城郭はどんどん崩れてきています。その天守閣は勿論、城壁、土塁、石垣、堀などの記録をまとめています。文章は沢山の文献があり、まとめるには多くの時間がかかるので、一城7〜8枚の写真を選び、写真集を何とか完成したいと思っていますが、寿命の方が短いかもしれません。今年も2月山陰、3月九州と長野、群馬と廻って取材してきました。大げさになりましたがこの程度です。
財務再建への努力に薄氷の思い
星) これまでのキワニスライフで強く印象に残っていること、或いは楽しいと思ったことは。
寄木)東京キワニスクラブ入会後3年位たった頃、財務委員長をやれと言われました。チャーターメンバーを始め沢山の先輩がおられ、固辞しましたが、故高橋会長(元建設省事務次官)の強いお話があり、色々のしがらみからお受けしました。ところが、バブルがはじけて金利収支を中心にクラブの財務がどんどん悪化していきました。約3億の財産が目減りして、財務再建に取り組まざるを得ませんでした。上の方からこの点は強く要請されました。旧事務所の片付けから事務局の経理を始め、運営の実態を洗い出し、改善に努力しましたが、薄氷を踏む思いがしました。現在は会員も増え、黒字基調になり、当時の赤字決算の連続とは大違いですが、私には苦しい頃でした。私のあとの財務委員長も苦労したと思います。
日本らしい特色と存在感を出すようにしたい
星) 最近のキワニスクラブの状況についてのご意見、こういうことをやった方が良いというように、アイディアやご提案がありますか。
寄木) 鹿内さんが日本でキワニスクラブを発足させた時、ロータリー、ライオンズクラブなど、先発組が活動しており、同じことで打って出る余地はありませんでした。そこで米国本部と交渉してメリットを貰い、「日本では緩(ゆる)いユニオンで楽しくやっていこう、そしてボランティア活動を進めていこう」ということで始められたと聞いています。この特色ある原点がぶれてきた感じがします。実際には大変難しいことですが、「日本にあるクラブ」としての存在感や特色を出しても良いのではないかと思っています。日本地域の福利厚生に役立つ活動ができないかと思います。その意味では「キワニスドール」などは大変良いと思います。
これらも資金を伴います。会員拡大が改めて最重要課題でしょう。それには進め方として、幅広く各業種から会員を選ぶほうが良いし、自由業の方々がもっと増えても良いのではないかと思います。自由業が個性が強い人と回避するのではなく、人柄を良くみて選べば解決できると思います。各界の多くのエキスパートが集まり、まとまって活動すれば、質・内容も広くなり、また多少資金力(具体的には寄金など)ある人が増えれば、さらに良くなっていくでしょう。
次に会員増強やPRにおいて、「キワニスはどういうことですか?」の質問にことのほか困ることがあります。判り易い手短なフレーズが必要であろうと痛感しております。
ニーズの多い奉仕活動が出発点
星) これまでどんな奉仕活動に参加されましたか。これからやりたい、又はやるべきだと思っておられる活動はありますか。
寄木) 私は前にも述べたように、活動の源泉である財務基盤の確立に努めてきた裏方でした。災害募金など国内外の件について貧者の一灯で努力した程度でしょうか。奉仕活動が本当に役立っているかの見極めが重要と思います。小さい団体である程、重要と思っています。戦前、東南アジア留学生の先生をしたことがあります。帰国してそれぞれの国のトップに就いている人から、「日本人はどうして判らんのですか」と何人からも言われました。例えばフィリピンで一番困るのは病院です。道路がなくても僻地の病院(勿論看護士や薬剤師等も訓練して)を一つでも作って貰ったらどの位国民の感謝を受けるか計りしれないと言われました。先般の曽野綾子さんの卓話で「今晩のパンを」という言葉が強烈でした。「ニーズの多い奉仕活動」が出発点と思います。
星) 毎日の生活の中でキワニスが占めるウエイトは。キワニスクラブに入ってライフスタイルや人生観が変わったことは。
寄木)人生の中で未知の分野、不得意な部分が、懇親の場を重ねるにつけて、知識が増し、異なった考え方への理解も深まりました。なかなかの人がおられ、高い識見を持った方と交流できて、人生観というとオーバーですが、勉強になりましたし、自分の幅を拡げていることは間違いないと思っています。
活動の原点はまずは出席することから
星)最近入会された会員の皆さんへのアドバイスはありますか。
寄木) 無理をしないで暇をつくり、例会その他の会合に出席することでしょう。とくに、現役の方は出席が難しいでしょうが、出ないことには活動になりませんから。又、出席そのものが勉強になると思います。
星) 外部の人に対してキワニスクラブの入会を勧めるときのメッセージをお願いします。
寄木)自由度が高く、気楽な懇親が計れるし、こんな良いボランティアクラブはありません。会員の質がそろっているし、ゆるいユニオンですが、まとまる何かがあります。識見を伸長する機会が随所にあるのが魅力でしょう。
星) 最後に、あなたにとってキワニスクラブとは?
寄木)82歳になり、城郭の研究、時たまのゴルフ位になった現在、特に意識するものはありませんが、やすらぎの場になっているし、これからもそうであって欲しいです。
(インタビューを終えて)
会員歴2年未満の私には、奉仕活動を始め、いろいろ含蓄のある話を聞かせていただき、大変勉強になったインタビューでした。
歴史への造詣からにじみでる話で、その底流にあったのは論理と感性の協調ではなかったかと思います。歴史を学ぶことは本当に重要で、キワニスの奉仕活動にもあてはまると痛感した次第です。(星 利樹)
○18年5月: 伊藤康成 会員(事業企画委員長)
(インタビュアー:山口知子 会員)

左:伊藤 会員 右:山口 会員
中田会長よりの3度目の勧誘で入会を決心
山口) キワニスクラブに入会された動機は?
伊藤) 防衛庁を退官し、損保会社の顧問に再就職しました際に、当時のキワニス会長の中田一男氏がおられて、キワニス創立40周年の記念入会キャンペーン中で入会金割引中であり、また例会が隔週の金曜日の昼であることなどを説明されて大変ご熱心に勧めてくれました。公職を終えて民間会社の顧問だけでなく、社会へ何らかの形で、奉仕活動をしてみたいと思っていたところでもあり3度目の勧誘で、入会を決心しました。
汗を流して奉仕をしたい
山口) 伊藤会員は防衛庁ご出身で、日本の防衛、安全保障、危機管理などに従事され、防衛事務次官の要職も勤められました。そういうご経歴と豊富なご経験を踏まえて、キワニスクラブの活動をどのように見られておられますか。またどのような期待をもっておられますか?
伊藤) 今まで官の立場で日本の国の防衛に携わってきましたが、人生の後半は民の立場で奉仕活動ができたらと考えております。社会的にそれぞれ各界の第一線で活躍された方々のご経験を知るとともに、今まで経験していない別世界で何ができるか、金銭的貢献も重要ですが、会員の中では若い方に属する私としては汗を流して奉仕するということが大切だと感じております。キワニスドールの作製にはいまのところミシンも踏めませんので、まず、靖国の「慰霊の泉」の清掃にはできるだけ参加を心がけてゆきたいと思っております。
ファミリーデーは楽しい歓談の場にしましょう
山口)事業企画委員長として卓話の講師選定やいろいろなイベントの企画、実施に大変ご苦労されていることと思われます。特に力を入れようと努力されていること、苦労されていること、抱負などをお聞かせください。
伊藤) 事業企画委員会は例会の卓話講師をお願いすることとファミリーデーが2大任務です。卓話の講師の選定にはできるだけ会員の希望される外部の講師と経験豊かな会員や新しい会員とを交互にと考えています。実際のところ事業企画委員の方や会員の方が知り合いの方や別のところで話を聞かれた方を是非キワニスでもお願いしたらどうかと紹介くださったり、会員の卓話も快くお引き受けいただいているので、いまのところ何とか例会を滞りなく実施しているところです。山口さんも話を聞きたいと思われる人がいたらご遠慮なく仰ってください。皆さんからのご要望は大歓迎です。
ファミリーデーはこれからですが、今回はキワニス人形の発案者であるオーストラリアのジェリー・シルクさんご一行を招待することにしています。会員の皆様楽しい歓談の場になるようにしたいと思っています。会員以外のゲストも歓迎です。
山口) これまでのキワニスライフで印象に残っていることは?また楽しいと思われたことは?
伊藤) 去年のファミリーデーが、福引で沢山当ったからと言うわけではありませんが、楽しい思い出です。今年は実行責任者として是非盛大にやりたいと思っています。また女性会員も多くなったことから会員とパートナーの会費を同額にしてみました。本当はより多くの方に都合のよい週末の金曜日の夜が望ましいと思って計画しみましたが、会場の関係でとれませんでした。
会員が自由に集う場がもっと増えると良いですね
山口) 今のキワニスクラブのあり方について、これから取り組んだほうがよいと思うことや、こういう点を改善したほうがよいというご意見や提案がありますか?
伊藤) 現在取り組んでいる活動のうち、キワニスドールの作製と寄贈および、児童虐待問題にともなうカリオンの家への援助などは女性会員の提案やさくら会(会員夫人有志の会)の方々のご尽力によるもので、現在、女性のメンバーは数の割合にしては積極性および実行力を発揮しております。
今私に具体的な提案はないのですが、奉仕活動について言えばボランティア委員会でいろいろ議論されているのではないでしょうか?また、最近会員の親睦会として藤沢会員(日本棋院理事・8段)の参加・指導を得て囲碁の会が発足しました。例会、火曜会以外に会員が自由に集う場が増えるといいですね。
偶然に見つけた「慰霊の泉」が入会のきっかけ
山口) これまでどんな奉仕活動に参加されましたか?これからやりたいあるいはやるべきだと思っておられる活動はありますか?
伊藤) キワニスに入る前靖国参拝の際にトイレを探していたときに「慰霊の泉」を偶然知りました。説明板にキワニスと書いてあったのですがそのときは何の団体なのか分かりませんでした。入会の際にキワニスで設立し常に清掃をしていると聞いたのは入会の大きな動機でもあり、これからできるだけ奉仕活動に参加したいと思っております。
山口) 毎日の生活の中で、キワニスが占めるウェイトは?
伊藤) そうですねー。隔週の金曜日の例会および火曜会はメンバーとフランクに接するよい機会ですので、オフィスが近いこともありよく参加しています。それから見学会や国際懇話会も勉強になります。
キワニスクラブは身の丈に合った奉仕活動と色々な世界の人々との懇親の場です
山口) 外部の方に対して、キワニスクラブへの入会をすすめるメッセージをお願いします。
伊藤) 私はまだ新会員を一人も紹介していないので語る資格がないのですが、身の丈にあった奉仕活動と各界の方々との懇親とが同時にできる会で、きつい規則もないのですから是非おすすめしたいと思っております。東京キワニスの設立の経緯と運営の歴史を考えると、ステイタス的カラーが濃厚であった時代もあったと聞いていますが、それぞれのクラブのカラーは会員の総意できまるものですから、今までのよいところは維持しながらも、時代に即したあり方に、少しずつ変革されていく運命には逆らえないことでしょう。
山口) 最後にあなたにとってキワニスとは?
伊藤) 現役時代とはことなるクラブ活動に現在会員歴は浅いのですが、自分なりに役員をお引き受けして、精一杯クラブの運営にお役に立ちたいと思っております。
(インタビューを終えて)
経団連での例会のあと、満開の桜でにぎわう国神社や皇居のお堀端の人並みを車内から眺めて、市ヶ谷の防衛庁にご案内していただき、広い顧問室に通されて、ゆっくりインタビューをさせていただきました。その昔、横須賀の米海軍病院で1年間インターンの研修をしたときに見学した航空母艦のキティーホークは、もう引退したのでしょうか。まだ日本が貧しかったときにアメリカ医学を学んだ1年間でした。私の医師としての生活はまだ現役です。しかし、伊藤会員と同じく、メンバー歴は浅いとはいえ同時にキワニアンとしての自覚の増すこのごろです。米軍病院と防衛庁。何かのご縁でしょうか。 (山口 知子)

○18年4月: 菊岡平八郎 会員(元副会長、事務局長、事務総長)
(インタビュアー:酒井 富雄 会員)

左:酒井 会員 右:菊岡 会員
千葉で入会、横浜経由、東京クラブへ、東京の「狭き門」には驚きました
(酒井)キワニスクラブにご入会された動機、経緯からお聞かせ下さい。
(菊岡)昭和60年に東京から千葉へ転勤した際、前任者からの紹介で千葉クラブに入会しキワニアンになりました。昭和62年、神奈川転勤で横浜クラブへ移籍入会。そして平成元年に東京に戻ったので、東京クラブに入会しようと思ったら「東京はエクセレントメンバーで構成している。地方のクラブに居た者でも無条件では移籍させない。」などと言われ、プライドというか敷居の高さに驚きましたが、なんとか入れていただきました。現在は広く門戸が開かれ、当時とは全く変わり良くなりましたね。
ヨード欠乏症撲滅、新クラブ立ち上げ、事務所移転、事務局強化等々に注力
(酒井)菊岡会員は、社会公益委員長、事務局長、地区事務総長、副会長等々の役職を歴任しておられますが、その間の思い出にはどんなことがありますか?
(菊岡)いずれも先輩諸会員のご指導を受けてやったことで、自分一人ではあまりお役に立つような事はやっていませんが、ひとつは、国際キワニスの「ヨード欠乏症撲滅活動」を日本地区の最重要点として推進し、大きな成果を挙げられたこと。また、クラブ新設では須藤博忠委員長の指揮下、新潟クラブと埼玉クラブ立ち上げに携わったこと。管理面では、旧サンケイビルから退去を迫られていたクラブ事務所を、産経新聞社から立退き料を100万円頂戴して、平成8年11月現在地に引越し移転したことと、同時期に事務局に常勤・専任の財務部長を採用して財務経理の事務処理体制を強化できたこと、などが思い浮かんできます。しかし人の見方はいろいろで、事務局長兼事務総長の時「あいつはキワニス活動のやり過ぎだ。本業をおろそかにしているんじゃないか。」とある先輩会員に批判されたことがありましたが、本業が駄目になればキワニスどころじゃありませんので、めげずに両方頑張りました。
(酒井)これまで、どんな奉仕活動に参加されましたか?これからの活動はどうですか?
(菊岡)一通りの活動には微力ながら参加してきましたが、一番努力したと言えるのは、先ほど申し上げた「ヨード欠乏症撲滅活動」の全国展開です。日本には全然患者がいないので皆様ピンと来られず、ご理解頂くのに大変苦労しました。当時世界で10億人以上いるといわれた悲惨な欠乏症患者なかんずく乳幼児・児童を救う為、国連の専門機関であるユニセフと国際キワニスが連携して、最も効果のあるヨード添加塩を製造・供給するプラントを各欠乏地に建設し、世界中のヨード欠乏症を無くそうという気宇壮大な活動でした。平成5年に始まり現在ほぼ撲滅に近い効果があがっていると聞き、全国の皆様の絶大なご協力の賜物と大変嬉しく思っています。
最近では、木全ミツ副会長の強力なイニシアチブでキワニスドールや児童虐待防止などの活動が精力的に推進されており本当にすごいですね。男性会員だけだった時代と違い、素晴らしい女性パワーに大いなる敬意を表し、期待をいたしています。
多くのキワニアンとの幅広い交流が素晴らしい
(酒井)これまでのキワニスライフで強く印象に残っている事や、楽しかった事はなんでしょうか?キワニアンになってから人生観やライフスタイルに変化はありませんか?
(菊岡)産・学・官・民の各分野、老・壮・青の各世代、また日本地区各クラブ会員の方々など、多くの立派なキワニアンの皆様との幅広い交流ができ、種々ご指導賜って未熟な自分の視野を少しでも広められたこと、なかなか実践できませんが小島章伸元会長から「陰徳を積むよう心掛けよ」とご教示頂いたことが印象的です。また知己を得た会員諸賢に私の関係する公益法人の理事や評議員にご就任頂いてそこでもご指導賜っており、これもキワニアン冥利のひとつと感謝しています。例会講演や見学会、レク・文化活動も意義深く、故中村好郎文化委員長が始められた「文楽鑑賞会」でその魅力に取り付かれています。「火曜会」でのざっくばらんな"わいわいがやがや"放談も、くだけた雰囲気での本音のぶつけ合いが楽しみです。現在はありませんが、今日着て来た名入りの法被を全員が着用して参加した忘年会やファミリーデー等懐かしいですね。
新会員の皆さん、自分達の手で楽しいクラブを創り上げましょう
(酒井)新会員へのアドバイスや、クラブ活動への提案などをお聞かせ下さい。
(菊岡)新会員の皆様、どうか自分達のクラブだという愛着を持ってクラブライフに溶け込み、活動にご参加ください。キワニスのモットーのひとつ"WE BUILD"の精神で、先輩が築かれたこのクラブを、他人任せにせず、皆様自身の手でさらに立派なものにして次世代に引き継ぐことができるよう前向きな取り組みを期待します。これは、私を含めた会員全員にも言えることではないでしょうか。人それぞれに仕事の都合、家庭の都合、時間的な都合、健康の問題等があり、キワニス活動最優先とはいきませんでしょうが、できる時はする、できる者でするといった段階から、頼まれれば可能な限りするというふうになるといいですね。しかし、できる時はする、できる者でするということは、自分だけでもすると言うことでもあるんですね。委員長職等も早い時期から経験して幅を広げ、クラブ活動への理解を深めて下さるといいですね。
入会をお誘いするための効果的なキワニスメッセージを
(酒井)外部の方々にキワニスクラブへの入会を勧める時のメッセージをお願いします。
(菊岡)メンバーシップ委員会に所属していますので、新会員獲得は重要な任務と心得て努力し、20人余入会していただいています。ばら色の口説き文句は言えませんが、「世間的知名度ではロータリーやライオンズには及ばないかもしれないが、立派な会員が大勢おられてご指導を仰げるし、社会貢献活動や相互の親睦活動等いろんな素晴らしい活動をしており、充実したクラブライフが楽しめる。」と申し上げています。ほかにもっといいメッセージを発信されている方、どうかお教えください。
(酒井)最後にあなたにとってキワニスクラブとは?
(菊岡)キワニアンになってから満20年余。皆勤17年。我が人生の一郭を占めています。
古希を過ぎましたが大変楽しくやらせて頂いています。これからも、健康の許す限り、一会員としてよろしくお付き合いをお願いしたい。そんなクラブです。
(インタビューを終えて)
広報委員長の北里光司郎様より、インタビューをするようにメールを頂戴してからわずか2週間、十分な準備もなきままのインタビューでした。
何をお聞きすべきかをお教えいただきながらの1時間でしたが、率先垂範の行動力と優しいお人柄に打たれました。ご出身が警察と伺い、驚きましたが緻密なお話ぶりに思わず引き込まれ、また、ボランティアとは、する者受ける者、その心構えもお教えいただきました。ヒクソン・フェローはダイヤモンド2nDで、タブレット オブ オナーも3度受けられており、現在は日本地区のコネリー賞推薦委員長をされています。
インタビューを終え、私も諸先輩方のご活躍に恥じぬよう参加せねばと、決意を新たにした次第です。ありがとうございました。(酒井富雄)
○18年4月: 小宅 庸夫 会員(青少年教育委員長)
(インタビュアー:秋山 誠一 会員)

左:小宅 会員 右:秋山 会員
菊岡会員の紹介で入会
(秋山) 4月の「今月の人」は青少年教育委員長の小宅庸夫さんにご登場いただきます。私は未だ入会後1年程度の新参者ですが、小宅さんも比較的新しい会員の中で既に役員のお一人としてご活躍されております。早速ですが、キワニスクラブに入会されたきっかけは?
(小宅) 東京キワニスクラブには、たまたま、日本クラブのゴルフコンペの帰り、菊岡平八郎会員からお誘いを受けたのがきっかけで入会しました。 キワニスが単なる社交クラブではなく社会奉仕を志していると聞いて興味を持ちました。生活に新しいリズムをつけ、交友範囲を広げることになると思い入会した次第です。 ローマの大使館で一緒だった井上幸彦会員の推薦も戴きました。
国を代表する仕事から個人の目線でのライフへの転換―キワニスが程良い刺激剤に
(秋山) 小宅さんは外務省のご出身で、駐イラン大使、駐アルゼンチン大使等をご歴任されたと伺っておりますが、何時頃までどのような国々でご勤務されたのでしょうか?
(小宅) 10年前やめた外務省には40年余り勤め、その間、6割近くが外国勤務でアジア(タイ、インド)、中東(イラン)、西欧(フランス、スイス、イタリア)南米(アルゼンチン)、アフリカ(ザイール)で過ごしました。 外国政府や国際機関あるいは外交団との付き合い、折衝交流が生活の大半を占めたのですが、どちらかと言えば日本政府を代表するマクロの視点や国の立場からの取り組みや働きかけが多かったのが本当です。今はミクロと個々人の目線で物事を見つめなおそうとしていますので、キワニスは程よい刺激を与えてくれているように思います。
(秋山)私も昔ワシントンのIMFでstaffとして働いた経験がありますが、国際機関などと政府を代表してお仕事をされた時の思い出、苦労話などで、もう外交秘密(?)でないものがあれば、お聞きしたいですね。
(小宅) パリに本部があるOECD(経済協力開発機構)で3年働きました。 毎年のサミットの経済政策部分の原案をOECD事務局が作っていた時代で、私は当時台頭していた韓国・シンガポール等のアジア諸国をOECDの活動の中に組み込んで行かねばならぬと部内で説いていました。ヨーロッパ諸国の大使は頭では分っても行動には移さなかったのが思い出されます。その後韓国は加盟し、OECDは中国・インドを含めたアジア諸国との関係も深めております。OECDがもっとアジア諸国を取り込めなかったのがOECDとして悔やまれる所でしょう。
(秋山)お話いただいたような外国生活のご経験の中で、キワニスクラブのような活動との接点はございましたか?
(小宅) 外国でも私の知っている欧米諸国ではNGOあるいは個人サークルの奉仕活動は教会、社交クラブ、学校等を中心に盛んでしたが、外交官とは別の世界でした。
キラリと光る学生のボランティア・サークルを見つけて支援したい
(秋山) さてこの度、青少年教育委員長にご就任されたわけですが、委員長としての抱負をお聞かせ下さい。
(小宅) 近年の世相を見るにつけ、私は将来の日本を背負って行く若い世代とのふれ合いの機会を持つ必要を感じています。これが未経験をも省みず、すすめに応じ青少年教育委員長を引き受けることとした理由です。 まずこの所、学生ボランテイアー活動に着目しており、その中からキラッと光る優れた学生サークルを見つけて来て、キワニスの皆様に紹介し、更には、キワニスとして支援して行くためのきっかけを作ることが出来ればと念じております。 少しずつでもこうした支援連帯の輪をひろげ、大きく育てて行きたいものです。 今やネットワーク社会ですから尚更です。
(秋山)委員会の予算面の制約が今ひとつ緩やかであれば、また別の活動、社会貢献の仕方もあるのかも知れませんが、実際にやってみてこの点で何かお感じになることがありますでしょうか?
(小宅) 少し長い眼で支援するのが大切です。 一回一年限りの資金援助では足りないのではないでしょうか。 また、ボランテイアー活動を育み奨励している学校それ自体を支援の枠組みの中に組み入れて行くことも重要だと思います。
新しい奉仕活動のテーマを次々と発掘し行動につなげて行きたい
(秋山) 現在のキワニスクラブのあり方について、これから取組んだ方が良いと思われることや改善した方が良いと見られることがありましたならお聞かせ下さい。
(小宅) 東京キワニスクラブはその本来の性格上、草の根の奉仕活動それ自体に直接手を染めるよりも、その種活動を直接間接に支援し、社会に認知させるとの側面を重視して来ました。キワニスドールの普及、子供虐待運動取り上げ、学生ボランテイアー表彰等がその具体例です。これからこの種活動を更に充実させるだけでなく、新しいテーマを次々と発掘して行動につなげて行きたいものです。
(秋山) 毎日の生活の中でキワニスが占めるウェイトは? キワニスクラブに入って良かったと思うことは?
(小宅) 現在は委員会関連の仕事が結構時間をとっています。 東京は広いですから移動時間だけでも相当なものです。 私としてはネットワークの構築にもう少し手をかけたいと思います。昔と違って秘書も無く一人ですから大変ですが、ぼけ防止になります。
会員同志のふれあいが大切 ― キワニスの会合には努めて出席し楽しんでいます
(秋山)確かに委員会のお仕事は大変の様にもお見受けしますが、キワニスの社会的存在価値を更に高めるため是非ご尽力いただきたいと思います。最後に、小宅さんにとってキワニスクラブとはどんなところ?
(小宅) いろいろな人とのふれ合いが大切なので、キワニスの会合にはつとめて出席するようにしています。毎週銀座での火曜会は気楽な会話の場で大いに楽しんでいます。奉仕活動とは別に会員間の交歓の場も一層の充実が期待されます。
(インタビューを終えて)
東京キワニスクラブ青少年教育賞の選考などでご多忙の中をインタビューさせていただきましたが、お年を全く感じさせないエネルギッシュな若々しいお人柄で、大学のサークルやボランティアグループへの支援活動に情熱を注いでおられるお姿に感動いたしました。私も社会奉仕へのつながりを更に強めなければならないと思った次第です。なお、ご趣味の豊なお方と拝察いたしましたが、今後ゴルフの会などでご一緒する機会を楽しみにしております。(秋山誠一)
○18年3月: 荒井好民 会員(副会長、次期会長候補者)
(インタビュアー:網倉章一郎 会員)

左:網倉章一郎 会員 右: 荒井好民 会員
最年少会員として入会
網倉)荒井さまは、キワニスでは大変長いメンバー歴をお持ちだと伺っていますが、キワニスに入られた動機は何だったのでしょうか。
荒井)今から28年も前になりますが、ファウンディング・メンバーの一人でもある上田克郎氏(もと大蔵省)からお誘いを受けたのがきっかけです。 当時は厳格な入会資格がありましたが、それを多少猶予ねがって入会を認められました。私は45歳で、最年少のメンバーであったと記憶しています。当時の東京キワニスは大変なエリートの集団でして、キワニス全体のファウンダーである鹿内信隆氏はじめ、五島昇氏、佐治敬三氏になど財界や官界から颯爽たるメンバーが揃い、会員数200人程度の集まりでした。
1981年のASPAC東京大会の開催、運営が最も大きな思い出
網倉)荒井さまは、ハーバード大学のアドバンスド・マネジメント・コースを修了され、日本を代表する国際人として知られていますが、キワニス・メンバーになられた頃にはどんなご活動をされていたのでしょうか。
荒井)海外へは頻繁に出掛けていましたが、私の活動のホームベースは日本です。社長職を二つほどやりましたが、そのうちの一つは東京には本社組織しかなく、事業所はすべて外国というホテル事業で、その社長を10年間ほど務めました。これは永いお付合いのあった五島昇氏からのご依頼によるものですが、事業は主に東南アジア、北米の太平洋圏、太平洋島諸国で行われ、各地の総支配人はすべて外国人でした。従って、常に各地を巡回、監督しておりましたので、50歳頃は、年十数回の海外出張をしておりました。社長をやめてからも、太平洋経済委員会や二国間ならびに多国間の経済人の集まりの委員会に商工会議所ベースで参加しておりましたので、こちらの関係の海外出張もありました。また、首相が任命する日本代表の委員の一人として、APECのビジネス諮問委員会の委員を5年ほど前まで続けていました。この諮問委員会の会議も頻繁に海外で開催され、現業が忙しく、なかなかキワニスの活動に参加できませんでしたが、心のなかで占めるウエイトは大きかったと思います。
網倉)これまでのキワニスライフで強く印象に残っていることは、何でしょうか。
荒井)キワニスには上田氏の紹介でメンバーになったのですが、上田氏が私を誘ったのは、キワニス・インターナショナルとの関係を緊密化するのが狙いであったようです。私は海外出張が多かったこともあり、キワニスの国内の活動にはあまり参加できませんでした。しかし、1981年のASPACの会議が始めて東京で開催された時には、大会の企画から実際の運営まで、通訳も含めて担当しました。芸能人が出演する催し物もあり、芸能人の通訳も担当しました。当時の日本全体のガバナーは水島広雄氏で、会員による資金集めに加えて水島氏の個人的な支援もあって、大変盛大な会議でした。
「汗をかく」ことが本当の社会貢献
網倉)現在のキワニスクラブのあり方について、これから取り組んだ方が良いと思われることや、改善するべきだと思っている点があるでしょうか。
荒井)先ず第一にやらなければいけないのは、すでに木全さんや一部の有志の方々がはじめていることですが、キワニスをサービス・クラブとしての本来あるべき姿に戻すことだと思います。日本ではキワニスはもともとは、お昼に仲間同士が集まって親睦を深め、有益な講演を聞くことを活動の主体とする親睦クラブであって、サービス・クラブとしての活動はいろいろな基金にお金を出すことで良いとするような傾向があったかと思います。この傾向は日本の場合キワニスに限ったことではなく、他のクラブにも見られる現象ですが、サービス・クラブの精神は、米国においても、あるいは、その他の参加国においても、単にお金を出すのではなく、実際に行動する、'汗をかく'こと、これが本当の社会貢献だと思います。この方向に日本のキワニスを持って行くことが大切だと感じています。そうしないとキワニスの社会的な存在価値は失せてしまいますし、社会貢献活動をすることが、新しい会員を増やすことにつながると思います。
キワニスの社会貢献活動の端緒は既に表われています。キワニス・ドールでは実績をあげていますが、この活動を更に拡大して行くこと。また、始めたばかりですが、虐待を受けた子供に救いの手を伸べて行くこと。既に推進グループが出来ています。また、国情の違いでできない活動もあります。例えば、'サークルK'や'キワニス・ファミリー'のような活動は、出来るところから行動で表して行くということも今後やって行かなければならないと思っています。
現在のキワニスの活動で反省すべきもうひとつのポイントは、キワニス・インターナショナルにおける日本のプレゼンスが極めて低いということです。昨年のハワイ大会への日本からの出席者は、セントルイス大会に比べれば人数的に増えましたが、それでも十数人です。しかし、例えば台湾からは100人単位の人々がお揃いのユニフォーム姿で参加していました。しかも、そのメンバーはビジネス・マンだけではなく、一般の市民の方々が積極的に参加している印象でした。総会を含めての大きなミーティングには全員が参加していました。地方クラブが22しかないという制約はありますが、日本は人口比で言えば、米国の40%位はあるわけですから、もっと多くの会員が参加して然るべきだと思います。これは日本のキワニス・クラブの国際的な発言力を高める上で大切なことです。また、大会に来た以上、開会式だけではなく会議にはきちんと出席すること、言葉の問題はあるかも知れませんが、必要があれば通訳を使ってでも発言して、日本のプレゼンスをもっと見せて戴きたいと思います。会議を通じて外国のメンバーとも親しくなる機会が生まれます。せっかくのチャンスを生かさずに観光だけに終わってしまうのは何とももったいない気が致します。外交は外交官だけの仕事ではありません。市民がいろいろな国の人たちと接触して判断することによって民間外交の手助けが出来るわけで、このような草の根の民間外交が、今日の世界では極めて重要になっています。
女性会員の益々の活躍に期待
網倉) 日本のキワニスで女性会員が認められたのは1987年で比較的最近のように感じますが、女性会員の活動はいかがでしょうか。
荒井) キワニスだけではなく、他のサービス・クラブも出来た当時は男性だけのクラブでした。米国でも女性の社会活動への参加は比較的最近のことで、キワニスと殆ど同じころに女性の参加を認めています。日本が特に遅いということはありません。例えば、ソロプチミストという団体がありますが、これはロータリー・クラブに入会を拒絶された女性が創ったクラブで、全世界組織になっています。話しは多少それますが、このクラブの国際理事の4割位が日本人で、みんな汗を流してサービス活動をしています。キワニスでも女性の会員の方々の活躍は今後ますます発展してくると期待しています。
キワニスの活動はコミュニテイ意識を持つところから始まる
網倉)今年の10月からは会長に就任されるわけですが、会長として今後のキワニスをどのようにリードされて行くか、会員の方々にどのようなメッセージを発して行くか、お話し戴ければと思います。
荒井) 先ず、身近な活動からキワニスの活動の充実を図って行きたいと思っています。例えば、お昼の会の出席率は高めることです。お昼の会は会員同志のコミュニケーションの場として大変重要で、ここでのメッセージの伝達が行動につながるわけでして、これまで以上に活性化したクラブにしたいと思います。そのためにはメンバーの方々の便宜も考えるべきで、殆どの方々が現業を持っていらっしゃるわけですから、仕事の妨げにならない時間帯にできるプログラムが大切だと思います。事務局の方々と相談して、お忙しい方々の時間とコンフリクトが極力生じないようなプログラムを、汗を流すプログラムを含めて、工夫して見たいと思います。
東京キワニス・クラブは設立当初は入会資格の厳しいエリート集団でしたが、米国の地方のキワニス・クラブに行って見ると、町のお店やガソリンスタンドの店主も参加していて、そういう人たちが自分たちのコミュニティー、地域社会にどんな貢献をしたら良いかを真剣に考えています。アメリカやカナダのやり方をそのまま取り入れるつもりはありませんが、人間の価値は地位ではなくしてその人の心の問題だと思います。その視点から会員のあり方も考えて見る必要があるでしょう。
日本という国は、コミュニティーという意識が極めて低くい国だと思います。特に、難しいのが東京でしょう。東京のような大都市において、'東京コミュニティー'の意識をどのようにして作って行くか、これは今後の課題だと考えています。しかし、1750年にすでに人口100万人の大都市であった江戸では、市民のボランタリー活動が町内会を作り、木戸番などをして支えていたことを考えると、東京全体は巨大都市ですが、それをもう少し細かく区切って行けば、コミュニティー意識が生まれてくるのではないかと思います。外国に行って羨ましく感じるのは、これは'われわれの公園'とか、'われわれの博物館'とかいう説明がされて、自分たちが持っているものだという意識が極め高いことです。キワニスの活動はコミュニティー意識を持つところから始まると私は思います。
私のキワニスの活動は他人に対して尽くすという仏教精神の延長線上にあります
網倉)荒井さまにとってキワニスクラブとは何かお話し戴けるでしょうか。また、会長に就任されると毎日の生活のなかでキワニスのしめる割合が増えて、ますますご多忙になられると思いますが、いかがでしょうか。
荒井)キワニスのためにもっと時間を取りたいのでが、相変わらず現業でして、現在でも年に6−7回は海外に出張しています。正直に言って、現在は自分が望むだけの時間をキワニスに使ってはいません。皆さまに推されて10月には会長に就任するわけですから、それに備えて、次第に仕事の量を減ずるべく調整を始めています。会長就任後はキワニスのためにもっと時間を使いたいと思っております。
仏教の精神の中には地域社会という概念はありませんが、他人に対して尽くすという精神があります。私は仏教徒ですが、キワニスの活動はこの仏教の精神の延長線上にあると感じています。これが私にとってのキワニスです。10月からの1年間、みなさまのご支援・ご協力を得て、会長職を全うしたいと考えております。
(インタビューを終えて)
大先輩へのインタビューに緊張しましたが、荒井さまの穏やかなスムーズな話し方のおかげで何とか無事インタユーを終えることができました。紙面の関係でその全てをお伝えすることが出来ないのは残念ですが、荒井さまは様々な国際舞台で活躍され、幅広い人的ネットワークをお持ちであることに感銘を受けました。荒井会長のリーダーシップのもと、われわれのキワニスがその活動のレベルと、国際的なプレゼンスを高めて行くことが出来ると強く印象づけられました。(網倉 章一郎)
○18年3月: 鶴田日夫 会員(メンバーシップ委員長)
(インタビュアー:亀田 丈司 会員)

左:鶴田日夫 会員 右:亀田 丈司 会員
人の縁で思わず渡航!
鶴田) 亀田さんは昭和37年生まれですね。私は、昭和37〜9年ごろは非常に思い出深いのですよ。大学を出て就職4年目、建築デザインの勉強をしたくて同じ早稲田大学卒業生や院生の数名と渡米したいと昭和37年ごろから計画を練っていました。しかし、当時は出国や外貨の規制が厳しく1年経っても許可が降りずにあきらめかけていました。思わぬ人の縁で紹介者を訪ねたところ、あっさりと許可が降りて昭和38年3月、結婚式を終え僅か1週間で単身渡米することになりました。
明日のお日様も、今日と同じに昇ってくるさ!
亀田) 米国のどちらに行かれたのですか?
鶴田)はじめニューヨークの先生がスポンサーとなり呼び寄せてもらい、その先生のもとで勉強していました。半年位経つと先生がギリシャに行くけど付いて来るか?となったのです。やっとの思いで来た米国に残り、新たな勉強の場を求めモンタナに行きました。そこで35歳の社長(ボス)の設計事務所で働き始め暫く経ったその11月、ちょうど日本から妻を呼び寄せまだあまり日数も経っていない頃、J.F.ケネディ大統領がダラスで暗殺。全米中が衝撃を受け、私も外国人の立場でどうなるものかと戦々恐々としていました。
そんな時、その設計事務所に時々顔を出す70歳過ぎのボスのオヤジさんがパイプを燻らせながら、"おまえら、何をくよくよしているんだ!大統領のひとりや二人死んだって明日のお日様は、今日と同じように昇ってくるさ!"
その西部男の生き様の大きさに励まされたのを覚えています。
危うく強制送還!
亀田)どのくらい滞在されたのですか?
鶴田)ある日ボスから、"移民局の担当官がインタビューに来るってよ!"と言われました。何の届けも出さずにニューヨークからモンタナへ移住。テンガロンハットをかぶった西部男の移民局担当官は、案の定すぐにシアトルから船で強制送還だと息巻いています。しばらく会話が進み、"ニューヨークにいても東京と変わらずに人ばかりゴチャゴチャといて、折角アメリカに来たからにはもっとアメリカらしいアメリカに来たいと思ってモンタナに来たのです。"とモンタナに来た理由とモンタナの風光明媚さを感じたままに移民局の西部男に伝えたら、我が意を得たように、"そうか!お前は本当にそう思うか。"と、ニヤッとして席を立ち、隣の部屋から移民局に電話。その場で1年間の滞在延長許可をもらいました。
結局、約3年間の米国滞在。一番勉強したことは、人間は古今東西同じではないかということ。自身が成し遂げようとした目的に向かって道筋を探り、考え、達成するように努力すれば思ったことが叶わないことがないと思うようになれたことかな。この3年間が私の人生の節目、エポックメーキングだったと思っています。亀田さんが生れた頃ですね。
大いにやりなさい!!
亀田)キワニスクラブに入会された動機をお聞かせください?
鶴田)42歳の時、会社の業務で名古屋に赴任し1年ぐらい経った時に名古屋キワニスのトップだった方々と知り合いまして、キワニスクラブと言うのがあるから入らないかと誘われました。当時、まだ若いサラリーマンでしたから入会するつもりはあまり無かったのですが、社長に相談したら、"大いにやりなさい!"と言われ入会しました。名古屋キワニスは東京の1年遅れぐらいの発足で結構古いのです。当時から今でもいらっしゃる方は豊田章一郎さんぐらいですかね。8年間名古屋のキワニスに在籍し、東京転居の折に東京キワニスに移籍を申し出たら入会審査が厳しく1年ぐらい待ってからの入会でした。
会員減少、大変なこと
亀田)鶴田さんは名古屋から通算すると会員歴30年近くのベテラン会員でいらっしゃいますが、キワニアンとしてクラブ活動をしてこられてお感じになっていることをお聞かせください?
鶴田)東京キワニスに移籍で入会した当時、まだ51歳でした。当時、鹿内さん、五島 昇さん、石川六郎さんなどがおられました。私はまだまだ会社の実務に追われて出席率が悪かったですが、そういったお歴々と対等にお話しさせて頂きいろいろと助けて貰いました。私はずっと技術系で教育されていましたから、他のジャンルの人達をあまり知らなかったのです。ですから、キワニスに入って非常に良かったですね。人間の幅、というか視野が広がりました。お陰様で酒を飲むことも覚えました。そういう意味でキワニスには良くして頂いてばかりですね。
3年ぐらい前に会社の役職を退きまして、時間が多少取れるようになりキワニスの出席率も上がり、本来のメンバーとしての仕事が出来てきたかなと感じています。その頃、会員数が200人ぐらいまでに減ってきたグラフを見て、なぜ人数が減るのか、はじめは不思議に思いました。そうこうしている内に大堀太千男さんがリーダーをされていたクラブ活性化プロジェクトにオブザーバーとして出席させて頂き、皆さんの意見を傍らで聞いていたら、これはやはり大変なことだと感じました。
全てバランスが大事
亀田)メンバーシップ委員長としての抱負、及びご苦労されていることをお聞かせください?
鶴田)それまではキワニスに寄り掛かって来ていたように感じています。菅野現会長にメンバーシップ委員長に推薦され務めております。会長をはじめ皆さんでいろいろと検討しておりますが、会員数を最低でも現状維持、出来れば年に2,3名でもいいから増加を図りたいです。
発足時、40歳代の人達がチャーターメンバーとして会を作ったことを踏まえて、なるべく若い方々に入会を呼び掛けてきましたが、40、50歳代の人は社会活動が忙しいですね。60歳代になってからの方が活動する時間と経済的余裕があってアクティビティに積極参加できます。やはりある程度キワニスに参加出来て、その良さを分かっていただける方に入会願うのが現実的なのかなと最近思います。
現在、積極的に行っているボランティア活動などにもある程度参加できる人は限定されてしまうかも知れません。そういう意味であまりボランティア活動を前面に出してしまうと時間的制約のある人には難しくなりますね。看板を塗り替えたとしても別の面からみると昔のキワニスの良さが残っているのがいいと思います。クラブはアクティビティ、活動、人的構成、全てバランスが大事だと思います。
亀田)私もまだまだ仕事が忙しくてキワニスの活動にあまり参加出来ていませんが、皆さんが時間を割いてボランティアされていると大変申し訳なく感じます。ボランティアの面が強いと入会にあたり遠慮する気持ちは理解できます。
鶴田)そうです。活動は素晴らしいことなのですが、難しい面もありますね。
予算内で改修工事竣工
亀田)これまでのキワニスライフで強く印象に残っていることは何ですか?
鶴田)設立40周年にあたり会員の方々から寄付を募り靖国神社の「慰霊の泉」の改修工事を行ったとき、設計関係の人間が私だけだったので、その段取りを一年間、佐藤事務局長などと一生懸命やりました。予算内で収められたのが良かったですね。汗をかいてやったので想い出に残っています。
本当に良かった!
亀田)外部の方に対してキワニスクラブへの入会を勧めるときのメッセージをお願いします。
鶴田)"キワニスクラブは奉仕、福祉団体で会員同士いろいろな活動をしております。そして各分野の錚々たるメンバーで構成されており、私自身キワニスに入って本当に良かったと感じているクラブです。"
ということですね。
そのような意味でアクティビティは勿論、歌舞伎や文楽を観たり、音楽を聴いたりと大変魅力的なことをやっているので、こういったことを更に充実させて外部から見ていい事をしているな。入ってみたいな。と思われるようでありたいですね。
亀田)ありがとうございました。
(インタビューを終えて)
とても気さくな鶴田さんは、緊張している私を気遣いリラックスさせる為にまとめも7:3ぐらいの対談形式と逆に色々と私に質問をくれました。あっという間に時間が経ち、娘さんが私も通ったペンシルバニア大の大学院を出たこと、小唄の話など親近感いっぱいで楽しいうちに終了。北里広報委員長の"鶴亀のめでたいコンビ"の言葉どおりに素晴らしい時間を頂きました。(亀田丈司)
○18年2月: 野中 庸 会員(会員歴30年)
(インタビュアー:折田康徳 会員)

左:折田 会員 右:野中 会員
3箇所のキワニスクラブに所属
(折田) 私は昨年キワニスクラブに入会させて頂いたばかりの新参者ですが、野中先輩は会員暦30年の大ベテラン会員で、今月リージョン・オブ・オナーを受賞されると伺っております。過去のキワニスの活動など色々お話を伺えることと楽しみにしております。まず最初に、キワニスに入会されたいきさつをお聞かせ下さい。
(野中) 入会の動機というのは何か特別な理由があってと言う訳ではなく、名古屋で中部管区警察局長に着任した際、前任者から「自分も入会していたから君もどうだ」と勧められてということです。中部管区警察局長で退官した後、縁があって当時のセントラル警備保障(現CSP)の会長から来ないかと言われ入社し、一年ほど大阪に居ましたが、その間は大阪キワニスに所属していました。そこから、東京キワニスに昭和50年に転部して現在まで至っている訳です。ですから、私は3箇所のキワニスに所属したわけで、これは私くらいではないでしょうか。当時東京キワニスの入会は大変難しかったのですが、内務省の先輩の内海倫さんの推薦が有り入会が認められました。
華やかだったレディス・デイ
(折田) 会員歴30年の中でこれまで事業企画委員長、メンバーシップ委員長等も歴任されてクラブ活動に貢献されて来られましたが、クラブの活動の中でお感じになったこと、キワニスライフで強く印象に残っておられることをお聞かせください。
(野中) 3つのクラブに所属した訳ですが、それぞれ大きな違いがあるなと感じました。やはり、東京クラブは会員数・会員のクラス共にずば抜けて充実していましたね。当時はサンケイグループの鹿内さんが中心となってクラブが運営されていましたから、会員の多くは大企業のトップクラスの方々で、見識を広める絶好の場所でした。
事業企画委員として印象に残っているのは当時のレディス・デイ(現在のファミリー・デイ)のことです。鹿内さんのアレンジで越路吹雪や北島三郎、森山良子などの大変な人気歌手が来て歌を披露してくれましたし、司会は毎年フジテレビの看板アナだった露木茂アナが来てくれていました。それは本当に華やかなものでした。このような人達と直に触れ合うことが出来たのもキワニスに参加していたお陰です。
29年皆勤賞
(折田) 30年の会員歴の中で29年間皆勤賞という素晴らしい記録をお持ちですが。
(野中) 皆勤賞ということがそれ程価値が在ることかどうか分かりませんが。確かに現役時代に例会に出席することは大変でしたが、まあ、役人的な生真面目さで参加していたら皆勤賞を頂いたということでしょう。但し、私の場合は例会の半分は参加して後はメーキャップで貰った皆勤賞です。その点内務省同期の須藤さんは100%例会に参加しての皆勤賞ですからこちらの方が値打ちはあるでしょう。
女性会員の実現は時代の流れ
(折田) メンバーシップ委員長として何か印象に残っておられる事は。
(野中) もう20年位前の事ですが、当時から女性メンバーの入会を認めるかどうかという議論をしていました。その頃は「絶対認めない」という強硬意見の人が多かったです。結局女性第一号メンバーが誕生したのは6年ほど前ですね。やはりこれは時代の流れということでしょう。
慰霊の泉清掃活動への参加
(折田) これまでどの様な奉仕活動に参加されましたか。
(野中) 慰霊の泉の清掃には積極的に参加しました。学徒動員といわれ、昭和18年に徴兵検査を受けましたが、丁度病気療養中だったためか、「第三乙種」の認定で入隊しませんでした。いずれ召集で一兵卒として入隊かと覚悟していましたが、そのまま終戦を迎えました。多くの友人・従兄弟が戦死しました。
生き残った私には彼らへの申し訳なさが今もあります。鎮魂の心をこめて清掃に励みました。
若い会員のアイディア・行動力を期待
(折田) 今後どのような活動を行っていくべきかという事について何かお考えは。
(野中) 従来から東京キワニスの集金力は世界中のクラブの中でもトップクラスで、ボランティア活動への資金的な援助では非常に貢献しているけれど、自ら行うボランティア活動が少ないなという感じを持っていました。そういう意味で最近になってキワニス・ドールの活動が始まったことは大変いい事だと思ったし、これは女性会員が入会するようになった事の功績ではないかと思います。
自分として具体的なアイディアがある訳ではないですが、募金協力だけではなく、もっと具体的な活動が必要ではないかと思っています。
浅間山荘事件の際の最高責任者
(折田) 以前卓話で浅間山荘事件のことを話され、大変関心を呼ばれたと聞いていますが。
(野中) 私が長野県警本部長だった時に、ちょうど浅間山荘事件が発生し本部長として指揮を執りました。キワニスでは2回話をしたと思います。あの事件では、「人質を無事救出しろ。犯人を一人も殺すな。警察官の殉職者を出すな。」ということでしたからね。自分としては非常に厳しい条件の中でほぼベストの結果だったと思っているが、2人の殉職者を出したから失敗だったと言われればそれまでです。しかし、当時の警察力の全知全能を尽くして人質救出という最終目的を達成出来たことは、今もって私の心の支えになっています。
プロジェクトXへの出演
(折田) 浅間山荘事件はプロジェクトXでも放映され大変話題になりました。
(野中) この話が来たときはかなり迷いました。映画化の話があり、シナリオを拝見して大分事実と違っているのに驚き、NHKで本当の姿を描いてくれることと、出来る限り第一線の苦労を反映して欲しいことを条件にOKしました。出来上がった作品は中々よいものだったと思います。
色々想い出はありますが、キワニス会員の菊岡君が当時警察庁の広報室長で、マスコミ対策に大いに寄与してくれました。毎日6回の記者発表があり、一日一度は本部長が必ず出ると言う約束だったので、菊岡君が質問事項等を集めてくれて大変助かりました。
(折田) 最後に、あなたにとってのキワニスクラブとは、また、会員の皆さんにお願いしたいことなどあればお聞かせください。
(野中) 例会での卓話は一流の方々からタイミングよく時の問題点を話して頂き得ることが多いですし、火曜会は発足以来よく参加しています。近年大変参加者が増え盛会ですね。一時間時事問題中心に放談するのは楽しいですね。
回顧談ばかり述べましたが、長い低迷期を脱して経済も上向いていますし、世の中何か勢いがついて来た感じがします。この際、わがキワニスクラブも、大いに会員を増員し、皆様が夫婦揃ってクラブでの活動に参加され、楽しみつつ奉仕することが出来るよう頑張って欲しいですね。
(インタビューを終えて)
私は昭和54年に警察庁に入庁しましたが野中さんは昭和20年の内務省採用と大先輩ですし、また浅間山荘事件という誰でも知っている大事件に警察本部長として指揮を執られた方にインタビューを行い、色々と貴重なお話を伺えたことは大変光栄なことでした。
これからも、引き続き我々後進のご指導をお願いしたいと思います。(折田 康徳)
○18年2月: 北里光司郎 会員(広報委員長)
(インタビュアー:吉田浩二 会員)

左:吉田 会員 右:北里 会員
塚田会員の紹介で入会
(吉田)まずキワニスクラブに入会された動機について教えてください。
(北里)塚田正剛会員の推薦で入会しました。塚田さんとは、マドリードで一緒に駐在していたことがあり、帰国後も良くゴルフのおつきあいをしていましたが、プレイの度に、キワニスクラブに入りませんかと耳元で囁かれたのが、入会のきっかけでした。元々、富士通勤務時代にチャーターメンバーの故赤澤璋一会員が上司であり、また会社の顧問弁護士がチャーターメンバーの故木戸孝彦会員であったので、キワニスの話は良く聞いていました。特に赤澤会員からはいつもキワニスの話を聞いていたのでキワニスクラブの存在は良く知っていましたが、自分には遠い存在だと思っていました。塚田会員からのお話で親近感を持つようになり、入会することにしました。
第一の目標は「キワニスの認知度を上げること」でした
(吉田)2003年より2年以上に亘り広報委員長を務めていただいていますが、苦労したこと、特に努力したこと等についてお聞かせください。
(北里)広報委員長の役を引き受けることになったときに掲げた第一の目標は「キワニスの認知度を上げること」であり、そのために「外部に対してキワニスの活動について正しく情報発信をすること」でした。
具体的なアクションとして、初年度はホームページをスタートさせました。
ホームページのスタートでは、ご自分でもホームページを持っておられる栗山会員(現事務局長)の達人的な技にすっかり頼ってしまいました。栗山会員の献身的サポートがなかったら今のように臨機応変な対応はできなかったと思います。これからもずっと頼りにさせていただきたいと思っています。
2年目はキワニスドールの活動についてメディアへの働きかけとテレビ番組放映を行いました。メディアへの働きかけの関係では、読売新聞で記事を掲載してくれたことが大きかったと思います。その裏にはボランティア活動委員会でのキワニスドール研修会や順天堂病院の見学会などの地道な努力があったと思います。広報委員会としては多くのメディアから記者の人たちに研修会や見学会へ参加してもらい、自分の眼で見てキワニスドールの役割を認識したもらったことがあの記事を生み出すことになったと思っています。
4月の金沢の日本小児科学会でキワニスドールを展示PRします
(吉田)色々な方々の協力で広報活動が盛り上がったのですね。
(北里)そのとおりです。キワニスドールのテレビ番組制作にあたっては、会員の方々やパートナーの方々、学校関係、病院関係、世界のキワニスクラブの方々の絶大な協力を得て、思っていた以上に話題の多い番組が出来上がり、うれしく思っています。これがベースとなってPR用の20分間のVTRとDVDも出来、また英語版も出来ました。お蔭様で最近では病院からのドール寄贈への希望が増えて、製作が間に合わない状態になっています。
今年はこのPR版を活用して更に多くの病院関係者に呼びかけていきます。また、4月には日本小児科学会の大会が金沢で開催されることになっており、ボランティア活動委員会の主導でこの大会への出展などを企画しており、広報もこれを支援します。今年は更に多くのドールが必要となってきますので会員の皆様にはドール製作に拍車をかけていただくようお願いをすることになると思います。
児童虐待防止運動の広報活動は実態に応じて地道に行います
(吉田)今年の新しい重点施策は何でしょう。
(北里)今年は、児童虐待防止運動への協力というYCPOのYCPOの新しい取り組みを支援します。虐待問題は奥が深く幅が広い問題なので、注意深く取り組むことが重要だと思っています。広報活動で最も重要なことはキワニスの活動を良く理解していただくために外部とのコミュニケーションを正しく行うことだと思っています。実態以上に誇示したり話題づくりに走ったりするとどこかで歪みが出て来てしまいます。まずは実際の活動について、外部の方に理解していただき易い形で正しく発信してゆくことが大事だと思っています。
広報委員会のメンバーの方々は、色々な意見やアイデア豊富の方が多く、いつも活発な議論が行われています。また、委員の方々がそれぞれ献身的にサポートをして下さるので大変楽しく進めることが出来ました。
キワニスドールのテレビ番組製作には幾つもの感動がありました
(吉田)キワニスライフで一番強く印象に残っていることは何ですか。
(北里)やはり、キワニスドールのテレビ番組制作をしたときのことですね。昨年2月にTEPCO銀座館で行ったキワニスドール研修会の撮影がきっかけでBS朝日向けの1時間番組を制作することになりました。最大の問題はコストを負担してくれるスポンサーが見つかるかということでしたが、中田ガバナー(当時会長)が絶妙の行動力を発揮されてテルモ社が番組制作提供スポンサーとなってくれることになり、トントン拍子に事が進みました。一番苦労したことは、子供の表情を撮ることでした。最初はなかなか協力してくれる方が見つからなくて困ったのですが、伊藤康成会員のご協力で自衛隊中央病院に入院されるお子さんや佐藤事務総長や山口知子会員のご協力で町中の病院のお子さんが撮影に協力してくれることになりました。また、小田前ガバナーや中田ガバナーのご尽力でオーストラリアやノルウェーのクラブが映像を提供して協力してくれました。更に、この撮影には順天堂病院の先生方、東大付属病院、自衛隊中央病院の先生方、田園調布学園、淑徳短期大学等の先生や学生さん等が進んで出演してくれるなど大きなご協力をいただいたことを忘れるわけにはいきません。
制作のピークになった7月には中田ガバナー、佐藤事務総長と3人でスタジオに籠もって映像チェックや音入れのチェックをしました。何といっても嬉しかったのは制作会社コスモスペースのスタッフの方々がキワニスドールの意義を感じ、ボランティア精神で仕事に取り組んでくれたことです。そしてすべてが終わり、打ち上げの会の席で、映像制作会社の社長の青木秀臣さんが、キワニスクラブの精神に共鳴したので入会したいと宣言されたときは一同感動したものです。その後青木さんは12月より新会員になられました。青木会員は、この番組制作を始めるときに心の中で入会しようと思ったそうです。
アメリカと日本のキワニス、温度差はあるが「子供への奉仕」では共通
(吉田)ハワイのキワニス国際大会に出席して一番印象に残ったことは何ですか。
(北里)いかにもアメリカ主導の社会奉仕団体らしい大会だったと思いました。お祭り的な雰囲気の中で、退任する会長がこれまでの成果を強調し、新しく就任する会長がこれからのビジョンを訴えるという大変インパクトのある演出でした。アメリカでは良くある演出ですが、日本のキワニスクラブの活動の雰囲気と比べるとかなり温度差があると思いました。アメリカでは社会奉仕の考え方が社会全体に浸透しており、キワニスの活動も学校も含めた幅広い階層に亘って組み込まれています。それに比べると日本でのキワニスの活動は限られた層の会員による活動になっています。従ってアメリカが派手にダイナミックにというやりかたなら、日本は、地道にしかししっかりと質の高いやりかたで、というのが特色だと思います。ハワイの国際大会では、その違いが肌で実感できたと思います。
アメリカで生まれたキワニスと日本のキワニスの活動には進め方で違いがありますが、子供を助けるという共通の目的では一致した目標に向かっていると思います。これからは多様性の時代ですから、グローバルな目標の中で日本的としてのローカルな進め方や重点の置き方あっても、良いと思います。
多様性の時代への柔軟な発想と変革が重要
(吉田)今のキワニスクラブのあり方について、これから取り組むべき活動や、改善したほうが良いという点がありましたらご意見をお聞かせください。
(北里)世の中が急速に変化している中でキワニスクラブも変革してゆかねばならないと思います。やはり多様性の時代に沿って、キワニスクラブも多様性に応える方向で会員構成も活動も進んでゆくことが重要だと思います。キワニスクラブには幸い柔軟な発想の方が多く、変化に対して柔軟に方向づけをして来たと思いますし、これからも可能だと思います。
(吉田)これまでに参加された奉仕活動についてお聞かせください。また、これからやりたいと思っておられる活動についてもお聞かせください。
(北里)キワニスドールの製作には出来るだけ参加するようにしています。また、これからドールに対する需要も増えていきますので一層力を入れて行きたいと思っています。また新しいテーマである児童虐待防止のシンボルであるオレンジリボンをできるだけ多くの機会につけていくようにしています。
(吉田)毎日の生活の中でキワニスが占めるウェイトはどれくらいですか。また、 キワニスクラブに入会して何か人生観が変わりましたか。
(北里)時間的には20%位だと思いますが、気持ち的には50%以上を占めていると思います。キワニスクラブに入って心の豊かさの大切さを実感できるようになったということが一番のプラス効果だと思っています。
会員の皆様、ホームページを見て参加してください
(吉田)会員の皆さんにお願いしたいこと、或は感謝することなどについてお聞かせください。
(北里)是非ホームページを見てください。会員の方々の色々なお考えやアイデア、またキワニスクラブの活動に関する情報が盛り沢山掲載されています。そして、掲示板にご意見や情報をどんどん書き込んでください。ホームページは会員の皆さんで楽しく役に立つものに作り上げていってほしいと思います。
(吉田)外部の方に対してキワニスクラブへの入会を勧めるメッセージをお願いします。
(北里)社会奉仕活動をしたいという人が増えていると言われますが、キワニスクラブでは肩を張らないで社会奉仕活動ができ、また色々な世界の方々との豊かな心のお付き合いが出来る素敵なクラブです。 興味はあるが、忙しくて入会しても出席できそうにないというコメントで辞退される方が多いようですが、「忙しい人程キワニスクラブに入会することをお勧めしたい」という横川会員のお言葉に私も賛同します。忙しい人ほど、忙しさの中でキワニスでの人との触れ合いが一層の楽しさを与えてくれると私も思います。
素晴らしい仲間、社会奉仕、そしてQuality of Lifeを共に楽しむ
(吉田)最後に一言でまとめて、あなたにとってキワニスクラブとは何ですか?
(北里)素晴らしい仲間の方々と一緒に、社会奉仕活動に参加しながら、Quality of Life を共に楽しむことのできる場と言ったらどうでしょうか。
(インタビューを終えて)
北里会員は有言実行の人と直感しました。広報委員長として3年目になられるが、こうした姿勢に対する信頼感が会員諸氏の絶大な支持となって永年に亘って広報の重責を任されているのだと思います。広報の要諦は「外部の方に理解していただき易い形で正しく発信していくこと」と看破され会員のみならず外部の人たちの熱い協力を引き出してコミュニケーションしていく行動力にはエネルギーが溢れています。キワニスクラブの更なる発展に必要な牽引者のお一人と言って差し支えなく今後もご健康でご活躍いただきたいと願っています。(吉田浩二)
○18年1月: 横川 端 会員(元会長)
(インタビュアー:木下功子 会員)

左: 木下 会員 右:横川 会員
ヤシカの牛島善政さんの勧めで入会
(木下)大先輩で 1997年〜1998年に会長をされていた横川端さんのお話を色々聞かせていただきたいと思います。最初にキワニスクラブに入会した動機をお聞かせください。
(横川)入会した頃、私は50歳を少し出たばかりですから、忙しくて一線で、仕事をしていました。キワニスという会の名も、聞いたことありません。その頃出逢ったのが、牛山善政さんでした。牛山さんは、私と同郷長野県諏訪市のご出身です。その諏訪で牛山さんは、「ヤシカ」という会社を興し、一躍世界に名をとどろかす、カメラのメーカーとなったのです。しかし強かった運も、いつしか傾き、会社は人手に渡り、晩年は不遇でした。
その牛山さんが、私にキワニスクラブへの入会を、強く勧めてくれました。当時の東京キワニスは、きわめて格式が高く、入会審査もきびしかったと記憶します。
(木下)これまでのキワニスクラブについて感じていることはどんなことでしょうか?
(横川)入会してまず感じたことは、活動が自由で楽しいことでした。他にも奉仕活動のクラブはありますが、出席を強要されたり、事業への参加を義務づけられたりすると、聞いています。あくまで自発的に、会の目的やテーマに添って、可能な範囲で協力し、活動する。忙しかった私にとって、理想的でした。 また例会で、興味深い卓話を聞く楽しみもさることながら、会員の幹旋で、日頃ご縁のない珍しいところへの見学会も、魅力でした。 キワニスクラブには、官庁関係ご出身の会員が多いのですが、官民混交が融和し、バランスしている好例ではないかと思います。この二十年間、東京キワニスにも様々な変化がありました。組織活動は、時を経るに従って、活力を失ったり、垢がたまったりします。当クラブでも、そんな微候を見る度に、内部改革の意志が働き、自浄作用を起こしてきました。会長や事務局長に、熱心で有能な人を得て、その危機を乗り越えてきたと思います。
日本地区大会のエネルギーに胸が熱くなる
(木下)キワニスクラブでの活動で印象に残ったことをお聞かせください。
(横川) 東京キワニスの活動の内に居る限り、どうしても日常的になります。それが日本地区の大会や、世界大会になると、がらりと趣きが変わります。それは祭りになるからです。私は海外の大会に三回、日本地区の大会には、五回程出席しました。印象に残るのは、持ち回りによる日本地区大会です。その年の担当クラブは、知恵をしぼり、時間をかけ、エネルギーを集中して準備し、日本中から集まってくるキワニヤンを、精一杯持てなすのです。その思いがひしひしと伝わってきて胸が熱くなります。
(木下)キワニスクラブのこれからの課題をお聞かせください。
(横川)今東京キワニスクラブは、きわめて良好な状況で組織活動がされています。数年前から取り組んできた、改革による活性化が、効を奏しているのです。新しい会員が増加し、仕事が活発に行われています。会の在籍期間の短い人も、積極的に重要な役割を、買ってでているのです。この良好な傾向を、いかに維持してゆくかが課題ではないかと思います。一つだけ私がこれからのキワニスクラブについて、望むことがあります。それは、世界のキワニスが、まだアメリカ偏重のままであることです。アジアの勢力も、大きくなってはきています。本当の意味で国境のない、平等の力を持つクラブの、つながりであるべきだと思います。
キワニスクラブは多忙な日常生活の中のオアシス
(木下)外部の方に対する横川さんからのメッセージをお願いいたします。
(横川)私の体験によると、日頃忙しい人ほど、キワニスクラブに、入会されたらと思います。私は凡そ21年間、クラブに在籍し、先頃15年精勤の盾を頂きました。それだけ魅力があったからです。ビジネスに振り回される自分が、週に一回位、全く異なった時間を持ち、頭の切り替えをする。それは、オアシスのようなものです。多くの人は、仕事を通じて社会に貢献するという一面と、別の何かによってそれを成す二面をもっています。キワニスクラブは、その第ニ面を果たすのに、もっとも適当な場です。例えば、外国で大きな災害が発生したとき、いち早く枚援の募金を始めるキワニスへ、自分の意志を託すことが、安心してできます。勿論募金ばかりでなく、労力を提供し、汗を流すこともできます。今大きな運動として展開している、キワニスドールづくりも、それに当ります。不幸にして病にかかり、入院している子供たちに、人形を贈る運動です。繰り返しますが、決して束縛されることなく、社会貢献の一端をになうことのできるのが、キワニスクラブです。
(木下)10月の箱根湖畔のゴルフコンペでご一緒にラウンドさせていただきましたが、非常にきっちりとゴルフをされていましたが、趣味・仕事・ご家族のことなどをお聞かせください。
(横川)ゴルフはもう永くやっておりますが、仕事がありましたし、シングル入りは幻に終わりました。今は年間60回程ラウンドしております。家内はハンディキャップ22〜23で、20を切れないと悩んでおりますが、たまには一緒にラウンドします。中々、夫婦一緒に出来る事は少ないのですが、ゴルフは一緒にできるところがいいです。私は他に、俳句をやっておりますし、最近写真を始めました。写真はもう少し若い時から始めれば、体力もあり、色々な所に行って撮れたし、良かったなと思います。やはりデジカメは革命です。自分の腕が100%出てきます。おもしろいのは、撮った時に、いいと思ったものがよくなくて、あまり良くないと思ったものが良かったりと意外性があります。今は、ゴルフより写真の方が面白いです。二人の子供たちは別の道に進んでいます。息子は自然にフード・食べ物の評論家になりました。娘は、私が音楽が好きだったこともあり、音楽大学に進学しましたが、卒業してから音楽はやめて、今はイタリア料理の先生をしています。やはり、不思議だと思うのは、子供たちは親の背中を見て、なんとなく親の影響を受けながら育ってくのかな、と感じています。
「飛鳥」のクルージングは全く退屈しない100日間でした
(木下)最後に、以前、例会卓話でされた「飛鳥」のクルージングのお話をお聞きしたいと思います。
(横川)最初は、「船酔いするから」としり込みをする家内を説得して、2002年に、飛鳥に乗りました。100日間乗りますが、その間3回位、船酔いで死んだようになります。
運動不足になりますが、朝夕、先生と一緒にストレッチ運動をします。船の中にゴルフの練習場もありましたが、揺れる船内の狭い練習場では、ボールにうまくあたりませんし、ちっとも楽しくありません。写真教室があり、そこで教わり、作品を作り上げて行き、船を下りる頃にはかなり上達しました。100日の間、退屈だと思ったことはありませんでした。ぜひ一度、体験してみてください。
(インタビューを終えて)
横川さんは、私が今お仕事をいただいている(社団法人)日本フードサービス協会の会長を以前されていて、最近「外食産業を創った人々」と言う本も読ませていただきましたので、たくさんの非常に興味のあるお話をありがとうございました。私はまだ入会して1年少しですので、キワニスクラブに関してまだまだわからないことばかりです。これを機会に、気持ちも新たに、キワニスクラブの色々な活動に、時間の許す限り参加してまいりたいと思います。(木下功子)
○18年1月: 木村輝久 会員(前事務局長)
(インタビュアー:川上寿棋 会員)

左: 川上 会員 右:木村 会員
吉江会員の誘いで入会
約束の1時30分きっかり、マイルで購入したという赤い自転車に乗って木村輝久前事務局長が事務局に駆けつけられインタビューが始まる。
川上)早速ですが、木村さんがキワニスクラブに入会された経緯からお聞かせ頂けますか。
木村)住友生命副社長を退任した後、関連の泉証券の社長を4年務めましたが、都立小石川高校時代からの友人である吉江誠会員から、そろそろ社会奉仕をしたらどうだと誘われて即座に入会を決意しました。お二人の推薦が必要ということで名簿を見せて頂いたところ、警察庁OBの仁平さん、旧興銀の永田さんのお名前がありましたので、丁度これは良いということで入れて貰いました。
川上)吉江会員は東京大学でもご一緒でしたですね、若しかしてご趣味の合唱も一緒にやられていたとか。
木村)高校時代の合唱サークルに彼も居ました。私ほど熱心じゃあなかったけれどね。2〜3年前も私の所属する合唱団に誘ったんですけど。
川上)ピアノも弾かれるんですね?何時、習得されたのですか?
木村)中学1年のころかなあ。昭和23年、ピアノなんて男の子のやるもんじゃないと言われる頃でした。定年になってからまた勉強しようと思って現在は月に2回レッスンに通っています。 (恐れ入りました)
これからの課題は会員の増加とボランティア活動の充実
川上)この9月までは事務局長をされてご苦労さまでした。以前は社会公益委員長、メンバーシップ委員長、財務委員長等の役員を歴任された。
木村)多くの会員と親しく付き合えたことと、会のことがいろいろ勉強できたのは良かったのですが、時間的にはかなりの負担になりました。事務局の皆さんのおかげでなんとか切り抜けられたというのが本音です。
川上)キワニスライフで強く印象に残っているものは何でしょう?
木村)会員のスピーチの中のいくつかが、印象に残っています。
川上)今のキワニスクラブの在り方について、これから取り組むべき活動や、こういう点を改善したほうが良いというご意見がありますか?
木村)やはり会員の増加とボランテイア活動の充実でしょう。
川上)これまでどんな奉仕活動に参加されましたか?これからやりたい、或いはやるべきだと思っておられる活動はありますか?
木村)キワニスドールの普及です。
川上)毎日の生活の中でキワニスの占めるウエイト?キワニスクラブに入って人生観が変わったことは?
木村)行事に参加することに追われていると言うのが本音のところです。
メッセージは「新しい仲間の輪が広がりますよ」
川上)会員の皆さんにお願いしたいこと、或いは感謝することなどについて。
木村)新しく入られた方への思いやり、声かけが欲しいと思います。
川上)外部の方に対して、キワニスクラブへの入会を勧めるメッセージをお願いします。
木村)「新しい仲間の輪が広がりますよ」
川上)最後に、あなたにとってキワニスクラブとは?
木村)何と答えてよいのか、難しいですね。何か世の中の役に立つことが出来るもの それで良いのではないでしょうか。あまり難しく考えると入会する方も大変だし。
川上)ある価値観で立ち寄るサロン、溜り場みたいなものですか。例えば、メジチ家のサロン、大観、観山、春草等日本美術院の作家達の五浦での生活等は素晴らしいものを後世に残した溜り場だと思います。何かの想いがあれば何かが生まれるのがサロン。
シェークスピア劇「ウィンザーの陽気な女房たち」を観に来てください
木村)それは私も同感です。例えば、若し仮にこのクラブに入っていなかったとしたら最近話題になっているドメステイックバイオレンスについても新聞の記事をさっと見るくらいでの知識に終わったかもしれませんね。それが、これは深刻な問題だと身近に感じました。
じゃあ、お前に何が出来るのだと言われると困りますが、何かの時にそれが役に立つと思います。キャンペーンひとつにしても、あ、これだと積極的に参加できると思います。
川上)同じ思いが集まると力になりますものね。
木村)知識の輪が広がって、今までご縁の無かった人と親しくなっていくという・・・・これ大事なことだと思いますね、私は。余り長くしゃべると編集が大変でしょうから、この辺で。
川上)有難う御座いました。で、あとひとつ、演劇についてのお好みは?
木村)シェイクスピアです。今度『ウンザーの陽気な女房たち』をやりますから是非、観に来てください。
(インタビューを終えて)
それにしてもお若い。キワニスクラブの方々は実年齢よりも若く見え、発想と行動力は若者を凌ぐ。改めて75歳までは年寄りとは言えないという大武健一郎氏の例会スピーチを実感致しました。「キワニスに入って高齢化に歯止めを」のスローガンはどうでしょう? ウィンザーの陽気な女房たちの公演は4月6日〜8日 日本橋劇場で行われます。詳しいことは東大演劇部同窓会のホームページ http://homepage2.nifty.com/toudaiengeki-ob/ をどうぞ。(川上寿棋)
○17年12月: 安原 正 会員(元会長)
(インタビュアー:後藤敬三 会員)

左: 安原会員 右: 後藤会員
社会奉仕活動への参加機会を求めて入会
(後藤)今日、こうやってお話しさせて頂くのは大蔵省でご指導頂いて以来30年ぶりのことです。どうぞよろしくお願いいたします。私はキワニスクラブに昨年入会させていただき、こちらでも後輩としてご指導頂けることになりました。社会公益委員長、会長と大変ご活躍を頂いたと承知いたしますが、まず、ご入会の動機や、これまでのご活動を振り返ってのご感想等をうかがわせて頂きたいと存じます。
(安原)公務員生活を退き、時間的余裕が少しできたので、奉仕活動に参加する機会を持ちたいと思っていたところに、大蔵省の先輩でもある片桐良雄、竹内道雄、長岡實の三氏からお誘いを受けて、1991年8月に入会しました。
入会して当初は、今言ったような入会の動機もあって、社会公益委員会に所属しました。そのころは、経団連ビルの隣にある農林漁業金融公庫に勤めていたので、例会出席には便利でした。社会公益委員会の仕事は、地道に奉仕活動を続ける団体を表彰するという仕事ですが、委員会としては、やはり候補をいくつか揃えて、その中から表彰にふさわしい団体を選ぶということが望ましいのですが、会員からの推薦は、実際問題として限られていました。そこで、いろいろなルートでの候補者探し、情報収集が課題だったことを思い出します。今も、同じようなご苦労をされているのではないでしょうか。なにかうまい仕組みが考えられたらいいと期待しています。
(後藤)厚生省(当時)等にも情報収集などされたんでしょうか。
(安原)社会福祉団体の協議会とか、そういったところを紹介してもらって話を伺いに行ったりしましたよ。ただ、公的団体の活動だけを捉えるのではいけないと思いましたし、目立たないところでしっかりした活動をしている団体に目を向けるのが、大切だと思いました。
(後藤)その後、2000年には会長となられました。
(安原)「任にあらず」とお断りを続けたのですが、強く説得されて、これも社会奉仕と「観念」して、2000年の10月から一年間、お引き受けしたのですよ。お引き受けしたら、一年後に迫った日本地区総会のホストという仕事と、キワニス日本基金構想の検討という特別な課題が二つあり、終えたときは、ほっと一息ついたというのが、偽らざる心境です。
東京キワニスクラブの組織力
(後藤)その課題というのを是非伺いたいです。
(安原)まず、日本地区の東京総会(第二十五回日本地区年次総会東京大会)が一年後の2001年9月に予定されていました。会場は帝国ホテルに予約して頂いているということでした。会費も据え置き2万円でということで引き継ぎ、主催クラブの会員に特別の負担がかからないように、収支相償でやるのが望ましいということでした。会場も天下の帝国ホテルだし、これは相当にがんばらなきゃいけないと思いました。当時の事務局長の吉岡さんに総括調整責任者になって頂き、とりわけ大変な御尽力をして頂きました。ホテルも協力してくれ、プログラムもお金をかけずに充実させることができ、内外から多数の来賓に来ていただき、参加者は450名、成功裏に終わることができました。終わって、吉岡さんから「まあ、収支トントンでいけそうですよ。」と聞いて、本当に安堵しました。ホストであるクラブに会費以外の特別の負担を生じてはいけないと思って、いろいろ苦心していましたから。東京キワニスクラブと新宿キワニスクラブの共催ということでしたが、まさに総動員、会員のほとんど皆さんがそれぞれの役割を分担し、それを見事に果たされ、まさに一人一人の努力の賜物でした。東京キワニスクラブの組織力に感心し、心底、感銘を受けました。
(後藤)会長ご在職のまるまる一年間をかけた大準備だったのですね。盛会のほどが眼に浮かびます。もう一つの課題は、なにやら難しそうですが・・・。
キワニス日本基金構想
(安原)キワニス日本基金(KJF)構想というのは、日本地区が国際キワニス基金(KIF)と協力協定を結び、KJFを作り、日本独自の国際協力事業をやろうという構想です。少し長くなりますが、その経緯を簡単にいいますと、以前に、KIFがユニセフと連携したヨード欠乏症対策(IDD)という活動がありました。母親のヨード分の僅かな欠乏が出生児に重大な学習能力障害の危険の恐れなどがあること、予防のため必要な微量のヨード分を食塩に混ぜて母体が摂取できるようにしようということで、そういった食塩にヨード分を調合する設備を援助しようという趣旨の事業でした。この世界的な事業は成功し、大きな目標額が達成できました。そこで、KIFが各地区と協力して、では次に何をするかという中で出てきた構想です。私の前任会長をお勤めになった佐藤満秋氏からこの話を伺いました。これについては、日本地区と東京キワニスが連携して、いろいろな検討が行われましたが、結局、社団法人を作り、これを特定公益増進法人と位置づけられれば、基金造成に対する税制上の優遇(寄付金控除)が適用できるのではないかということとなりました。ところが、東京キワニスクラブ自体が、既に社団法人であり、同じ分野でもう一つの社団法人を作るのは難しいということがわかりました。そこで、また、いろいろ相談したが、ちょうど公益法人制度について見直しをするという機運がでてきており、それならば、その動向を見定めようということで、ひとまず検討を凍結しようという結論になったのです。
(後藤)国際的なキワニス組織との関係については、これまであまり考えたことはありませんので、勉強になります。せっかくの機会ですので、このほか、これまでの活動を振り返られて、印象深い出来ごとをお聞かせ願えませんか。
Kファミリーとキワニスドール
(安原)Kファミリー育成が、当時の関口欽也日本地区ガバナーから提唱され、これを受けて、現在、吉江副会長が中心となって日本版のKファミリーの育成に尽力されていますが、敬意を表したいと思います。Kファミリーは、キワニス活動に参加する年齢階層を高校、大学といった若い層にも広げていこう、キワニス活動を年齢階層別にみて縦深化しようということです。東京キワニスが中心となって育成促進が図られるよう期待しています。大学の同好会に働きかけて、一緒にキワニスドール作り活動を行ったりしていますが、キワニス活動の年齢構成を多層化する、日本版Kファミリーの貴重な芽と思っています。
また、最近においては、変化に対応した思い切った改革が図られており、大変いいことだと思っています。特に、佐藤隆國元事務局長(現日本地区事務総長)が事務局の強化にご尽力になったことは、まさに佐藤氏でなくてはできないことで、大変貴重に思います。
(後藤)これまで諸先輩がご努力を傾けられてきた模様をお教えいただきましたが、これからのキワニス活動を展望されて、何かお感じになられることはありますか。
(安原)今までお話したように、クラブとしての体制作りから活動範囲の拡大まで、実に多方面にわたり努力されてきましたが、奉仕・ボランティア活動のコースをもう少し増やし、バラエティに富んだものにしていったらいいのではないかと思います。今、木全副会長やボランティア活動委員会から提唱されている児童虐待防止も新しい、そして重要なテーマとなると思います。バラエティを広げることが新しい会員獲得にもなると思います。
(後藤)大変長い時間ありがとうございました。懐かしく、また、新しい勉強のできた一時間を過ごさせて頂きました。今はどのような活動をされておられるのですか。
(安原)最近は、仕事の関係もあって時間の制約があり、金曜例会のみの出席にとどまってしまっています。以前は、靖国神社の泉清掃やキワニスドール作りなどにも少しは参加できたのですけれどね。
(後藤)靖国神社での活動に参加されてのご感想はいかがですか。
(安原)こうした活動を通じて靖国神社を身近に感じるようになり、一市民として参拝の意義や大切さをそれなりに理解するようになったと思います。
次世代の子供たちのためのボランティア活動をご一緒に!
(後藤)最後に入会のメッセージを伺いたいと思います。
(安原)キワニスクラブは「友人になり、友情を深める場」です。友人とともに社会奉仕活動に参加し、社会奉仕に何らかのつながりを持つことができるのは貴重です。そういった思いをこめて、「次の世代の子供たちのために一緒にボランティア活動をやりませんか」が、一つのメッセージになるのではと思います。また、社会奉仕・ボランティア活動のコースを増やすなど、勧誘する側として、このメッセージに見合うような、活動の実態が備えられてゆくことを期待しています。
(インタビューを終えて)
1970年代後半、まさに日夜にわたるご指導を頂いて以来、30年ぶりに長い時間お話を伺わせて頂きました。お読みいただいたように、今日お話いただいた内容は、インタビューと言うよりも、新参のキワニス会員として勉強になることばかり。私にとっては、またご指導を頂いたという思いです。
東京キワニスクラブ運営に傾注されたご努力のほどを伺いながらも、変わらぬ温厚なお話しぶりに、30年の月日はいつの間にか消え失せ、一炊の間という言葉を反芻した次第です。このインタビューを機会に、初心に帰ろうという思いを噛み締めながら帰途に就きました。(後藤敬三)
○17年12月: 佐藤隆国 会員(日本地区事務総長、クラブ新設委員長、元事務局長)
(インタビュアー:甲斐和典 会員)

左: 甲斐会員 右: 佐藤会員
半信半疑でキワニスに入会
(甲斐)12月の今月の人は、日本地区事務総長の佐藤さんにご登場いただきます。まず、キワニスクラブとの出会い、それから、いくつかのボランティア組織があるなかでも、キワニスを選ばれた理由からお聞かせください。
(佐藤)実はキワニスクラブのことは、比較的早くから知っていました。私が勤めておりました東芝の岩田会長が、東京キワニスクラブの会長(S48年)後に日本地区のガバナー(S57)でしたが、キワニスクラブは、とても素晴らしい集まりだとお話されるのを聞いていましたから。
しかし、私がキワニスクラブに入会するとは思いもよりませんでした。入会の直接のきっかけは、東京キワニスクラブ副会長の木村太郎さん(後に会長、日本地区ガバナー)が、東京よみうりCCの同じメンバーでして、家もご近所なことから時々お迎えに行っていました。その道中よく木村さんからキワニスクラブに入らないかというお誘いを受けました。キワニスクラブは格調が高くて、私には場違いだと思っていましたので、最初はお断りしていたのですが、木村さんの熱心さに負けて、半信半疑のまま入ったというのが正直なところですね。
事務局長として、事務局改革と財政再建、クラブの活性化を進める
(甲斐)佐藤さんは、これまでレクレーション委員長、東京クラブ事務局長を歴任され、現在、キワニスクラブの日本地区事務総長を務めておられます。そのなかで、ご苦労されたこと、良かったことをお聞かせください。
(佐藤)いろいろありますが、それは何と言っても事務局長として事務局改革をやったことですね。キワニスクラブにお誘いいただいた木村さんが、会長にご就任される時私に、事務局長を引きうけるようにとのご下命がありました。かねて大変尊敬している木村さんからのお話であり、改革に燃えていらっしゃいましたので、責任重大で荷が重かったのですが、お引受けいたしました。
木村さんが、クラブを立て直したいとお考えになっていたことは二つでした。一つは、毎年4百万円程の赤字が続き、危機的状況にある東京キワニスクラブの財政状態を立て直すこと。もう一つは、当時会員が減少し先細りが懸念されるなか、クラブの活性化を進め会員を増やすことでした。
ところで当時の事務局は、まるで散乱した倉庫か、段取り中の工場のような状態であり、エレベータを出たとたん部屋に入る前から、ダンボールやごみ屑が溢れかえり、事務室も床は紙屑だらけで、まさに足の踏み場もない有様で、とても事務所と言えるところではありませんでした。また、仕事もシステム化できていなくて、事務局員それぞれの勘と経験に頼っている状態でした。
この事務局を改革しなければ駄目だと私が確信したのは、実はこれより2年前の事業企画副委員長のときです。この時日本地区東京大会がありましたが、当時の吉岡事務局長や、塚崎委員長の下働きをしながら、お二人が事務局とのやり取りで苦労されている姿を目の当りに見たときからでした。
事務局長を引き受けた当時、私は会社では顧問になったところでしたので、比較的時間に余裕がありました。10/1最初の勤務の日に、私は事務局員に常勤を宣言し、自ら事務局の一員になりきることを覚悟いたしました。まず始めたことは整理整頓です。これは思いのほか時間がかかりました。少し事務局らしくなったと感じたのは3ヵ月後の12月の御用納めの時でしたね。
それから、ベテランに頼らずに誰でもできる事務局を目指して、コンピュータ導入による事務のシステム化・合理化を役員会に諮って実施しました。今では事務局は見違えるほど改善いたしました。もう事務局長が常駐しなくても、メールのやり取りで大方の運営できるところまで来ていますよ。
それから10月早々に、木村会長の二つの命題を解決するために、大堀次期会長を委員長とする「活性化委員会」が発足し、アンケートの実施、まとめと問題点の整理、対応策の立案、経費節減、リストラなど、役員会に提案しては直ちに実施と、矢継ぎ早に委員の皆さんと一緒に改革を進めましたので、最初の1年は、朝8時から夜9時過ぎまで事務局で働くことも珍しくありませんでした。会社の現役時代と同じぐらい働いたかもしれませんね(笑)でも目標が明確で楽しかったですよ。
そんな生活を続けられたのは、木村会長、大堀委員長をはじめ会員の皆さんの熱いご声援、そして家族の理解があったからだと思います。
木村会長の改革実現には次の大堀会長まで2年かかりましたが、いま改めて振り返ってみますと、当時例会出席者が34名に落ち込んだのが、今は常時70名を超え、財務状態も黒字に転換し、事務局には委員会やドール作りに、人がたくさん集まるようになったことなど、当時と隔世の感があり、みなさんと一緒に苦労したことが報われていることを実感できて、ほんとうに良かったと思います。
(甲斐)「入るを量りて、出ずるを制す」の心構えで、事務局を含め、キワニスクラブのあり方を変えていかれたということだと思います。ところで、会員を増やすということについては、具体的にどのように進めていかれたのでしょうか。
(佐藤)そうですね。まず会員の入会資格を少し緩やかにしてきたことですね。嘗ては、秘書付・車付・一部上場会社の常務以上という不文律の入会基準がありましたが、景気が悪くなり、会社の業績も悪くなりましたので、所謂法人会員がどんどん少なくなりました。そこで、自分のお金で入れるようなことを考えなければならない。そのためには、入会金が10万円で、年会費12万円というのは、如何なものかという議論になりまして、期間限定ですが、入会金3万円にしようということをやったんですね。それと、お忙しい方を入れるときに、例会に毎週、拘束するということは難しいですよね。それで例会開催を2週間に一度としたことも効果があったと思います。
それと、もうひとつは、会員数を維持するということも重要なのですが、新入会者の方に対するオリエンテーションを始めたことも、非常に良かったのではないでしょうか。私らが入会した当時は、キワニスに入っても、何をするのか分からなかったんですが、今お入りになる方は、一応キワニスの組織や活動内容など説明しますので、ご理解いただいてお辞めになる方が少なくなりました。会員増強というのは一人でできるものではなく、みんなが取組むべき問題ですね。甲斐さんもご紹介をよろしくお願いいたします。
日本地区の事務局を会員主体に
(甲斐)キワニスの財政を建て直し、会員数を増やしていくという、二つの命題を、ご苦労されながら、改革を進められて成し遂げられたことと思います。これから更に、キワニスでやっていきたいと思っておられることはございませんか。
(佐藤)東京の事務局は目処がつきました。しかし日本地区についてはこれからです。日本地区は、事務局を東京に依存していますが、独自の事務局を持てるほど財政的に豊かではないからです。しかし、地区事務局の兼務はいいとしても、全国の事務局を会員のための事務局にしたいというのが、私の願いであり抱負です。これはどういうことかと言いますと、日本地区のクラブは、全国にちらばってそのレベルもまちまちです。ですから全国のクラブ会員が必要なキワニスの知識を、むらなくタイムリーに享受できているかどうかが心配なわけです。均一な情報を提供する役目が地区の事務局にはあると私は思っています。
例えば、国際キワニスクラブの動きを、タイムリーに連絡することもその一つです。連絡といっても、国際キワニスクラブからの情報は英語できますから、これを日本語にしなくてはならないという苦労があります。また日本独自の問題を連絡したり、総会や役員会の議事録を本部に送付したりしなければなりません。これらのやりとりが全て英語で行われます。私は英語が苦手でして事務総長としては不的確だと思っているのですが、これを前ガバナーの小田さんが完璧にカバーしてくださるのでありがたく思っております。事務連絡ばかりでなく、ホームページを充実させることも重要です。
一方ですね、いろいろなデータ、例えば各クラブの会員現状などを、レポートとして毎月一回集めていますが、このレポートを纏めまして、全国情報として会員に流していく。こうしますと、隣のクラブはどんなことをやっているんだとか、全体ではどういう状況にあって、そのなかで自分のクラブはどうなのだろうということが、一目瞭然に判るようになると思います。私は、それが会員への地区のサービスだと思っています。地区事務局はクラブのサービス機関です。
(甲斐)今日も、日本地区のホームページを覗いてきましたが、まだ、いくつかのサイトで「工事中」ということでしたが、これは、いま言われたような方向に変えつつあるということなのでしょうね。
(佐藤)そのとおりですが、まだまだ道半ばです。私は日本地区での事務総長に就いて2年目です。東京も2年で目途が立ちましたので、地区も2年で皆さんに喜ばれる事務局にしたいと考えています。
児童虐待問題に取り組む
(甲斐)キワニスクラブでは、キワニスドールの制作など、さまざまな奉仕活動を行っていますが、これからキワニスクラブとして、どのような奉仕活動をすべきと考えておられますか。
(佐藤)キワニスクラブが、他の国際奉仕団体と際立って異なるところは、幼児最優先の奉仕をしようする、YCPO(Yong Children Priority One)というコンセプトです。いまキワニスドールをやっていますが、これも大変小さな患者さんが喜んでくれていますね。全国のクラブで取組んでいますので、これからどんどん全国に普及していくのではないかと期待しています。その意味では、今年の8月にBS朝日放送で、キワニスドールの1時間ドキュメンタリーが放映されたことも、大きな力になりますね。キワニスドールとは別に、日本地区YCPO委員長の木全さんが中心となって、これから取り組もうとしていることは、児童虐待の問題です。幼い子どもたちにどう関与していけばいいのか、大変難しいのですが、キワニスドールと両立させながら、これから力を入れていくことになるでしょうね。
(甲斐)世界のキワニスクラブで、児童虐待に取り組んでいるところはあるのでしょうか。
(佐藤)取り組んでいる、或いは取り組もうとしているクラブはありますが、成功しているところは、まだ聞いていません。
(甲斐)それだけ、難しい取り組みということなのでしょうね。
(佐藤)難しいのだと思います。キワニスが主として対象にしている幼児は、0歳から5歳までというふうに定義しています。児童虐待問題でも、もう少し大きくなると、いろいろ他人に訴えることもできますが、0歳から5歳までの子供というのは、虐待に対して泣くことでしか、自らを表現できないですよね。ですから、それをどうするかというところが、非常に難しくて、各国とも取り組んでは挫折していると聞いています。日本で児童虐待に取り組もうという話を国際キワニスの幹部にしたとき、「大変、素晴らしい課題に取り組まれるけど、とても難しいよ。成功したら、ぜひ教えてね。」といわれましたけど、そのニュアンスには「難しすぎて、挫折するかもしれないよ」という警告もあるのかなと心を引き締めています。
(甲斐)児童虐待については、NPOのようなところと連携するということも考えておられるのですか。
(佐藤)YCPO委員会では、NPOとの連携ということは大事だと言っています。まずYCPO委員会で重点的に取りあげていこうとしているのは、虐待の実態を知ることです。それを知った上で、NPOとの連携を深めよう、そこから自分たち独自で何ができるかということを考えていこう。時間はかかるかも知れないけど、そこから始めようというのが現状ですね。それから、全国のキワニアンと連携を取っていこうと計画しています。全国のクラブでも、同じようなことを取り組んでもらって、そのなかで、どんな問題があるかということを共有する。また、問題を解決したとしたら、どんなふうに解決したかということを、お互いにネットワークを組みながら知っていくことが重要だと委員会で話し合っておられます。時間はかかるけど、知ることと連携することをやっていくことに意義があるのではないでしょうか。ご興味がおありのようですから、詳しくはYCPO委員長の木全さんか、委員で東京のボランティア委員長の堀井さんに伺ってみてください。
キワニスを通して、利益を離れ人のために尽くす素晴らしさを知る
(甲斐)わかりました。ところで、キワニスに入られていろいろな役職と奉仕活動に携わられ、佐藤さんの人生のなかでは、キワニスの位置というか、大きな影響を受けられたことと思います。毎日の生活のなかでキワニスの占めるウエイトはどのくらいでしょうか。また、キワニスクラブに入られて人生観はどのように変わられたでしょうか。
(佐藤)キワニスに入って本当に良かったと思います。木村さんに大感謝です。会社の素敵な仲間たちとはまた違う、素晴らしい人たちを知ることができたからです。利益と離れて、人のためになることが沢山あるということを実感できたことです。これは素晴らしいことですね。奉仕は、自分でできることして、人のためになることをやればいいのですよね。お金のある人はお金をだしてもいいし、時間のある人は時間を出せばいい。私は、お金はありませんが時間がありますので、キワニスの奉仕活動に結構使っています。今は私の仕事の8割位になっているのではないでしょうか。私はとても充実しています。自分の行いが他人のためになっていることを実感できるからだと思います。もしそのような実感が得られなければ、寂しいことでしょうね。
キワニスメンバーへのお願い
(甲斐)すでに、いままでのお話のなかで伺ったことと重なるかもしれませんが、クラブのメンバーに、これだけはお願いしたいということは?
(佐藤)人を知ることによって大変大きなものを得ますから、特に新入会員に申し上げたいことは、時間の許す限り行事に出席してもらいたいということです。例会だけでなくイベントにも出来る限り、出てたくさんの人とお話していただきたいということです。それから、もう少し時間のある人は、国際会議にも参加してもらいたいと思います。外国のキワニアンと容易にお友達になれますし、会議の内容もきっと新鮮に感じられると思います。国際会議は、明年3月に台湾でアジア太平洋地域の会議(ASPAC)がありますし、6月にはモントリオールで世界大会があります。海外だけでなく、来年9月の札幌で行われる日本地区年次総会にも参加していただきたいですね。楽しい会議ですから、毎年出席したくなりますよ。会議への参加ができないお忙しい方は、ホームページを是非訪ねていただきたいですね。
無償の奉仕に真の価値あり
(甲斐)それでは、まだキワニスのメンバーになっていない方々への、お誘いのメッセージをお願いします。
(佐藤)いま企業では、社会的貢献(CSR)が重要だといわれていますが、これこそキワニスで活動することで簡単に学べるものです。そしてキワニスを通しての活動したことが、翻って必ずや将来会社の役に立つということを実感されると思います。ぜひお入りいただきたいですね。キワニスで小さな奉仕活動をすることによって、魅力ある人間性という大きな利益を得ることができますよということを、声を大にして言いたいですね。私が、もっと早くからキワニスの活動に参加していましたら、もっともっと大きな人間になっていたろうなと思います。
(甲斐)最後に、キワニスとは佐藤さんにとってなんでしょうか。
(佐藤)難しいご質問ですね。逆に考えるならば、キワニスに入っていなかったら、自分はどうなっていたのかなと不安になります。キワニスは、充実した生活が送れる源だと言えるのかもしれません。有難いことだと思っています。古くからの友人に会うと「お前、最近変わったなあ」と言われることがあります。もしそうだとすれば、人のために無償で尽くすということが、とっても嬉しいことだということを知ったことから、変ったのかもしれません。
(甲斐)お金の取引ではなく、無償の行為のなかに価値があるということですね。
(佐藤)断じてそうです。お金に変えられない価値があると思います。キワニスに入って、これを身近に知ったことが、とてもうれしいことでしたね。
(甲斐)私のように、仕事のなかに埋もれてしまっている者には、なかなか気づかないところです。
(佐藤)偉そうなことを言っても、私は現役時代には気がついていませんでしたからね。そこに早く気がついた人は、本当の意味で事業でも成功するのではないでしょうか。
(インタビューを終えて)
佐藤さんは、東京クラブ事務局長、次いで日本地区事務局長を務められ、このインタビューにもありますように、現在のキワニスクラブのありかたをつくってこられました。お話を伺うなかで、佐藤さんの、使命に向かっての強い信念と、それをやり抜く実行力に、かっての企業人としての佐藤さんの片鱗をみる思いがしました。それとともに、クラブ懇親の楽しさ、奉仕をすることの喜びを語られるとき、佐藤さんのキワニスへの熱烈な共感が、話される言葉のひとつひとつに響いており、深く感銘を受けた次第です。(甲斐和典)
○17年11月: 内海 倫 会員(会員暦40年)
(インタビュアー:木全ミツ 会員)

左: 内海 会員 右: 木全 会員
ナイヤガラフォール市での昼食会がキワニスとの最初の出逢い
(木全)キワニスクラブとの最初の出逢いは、東京キワニスクラブ誕生の10年ぐらい前に、アメリカのキワニスクラブにご招待、ご紹介されてご出席された時と伺っておりますが、是非、その時のお話をお聞かせ下さいませんでしょうか。
(内海)50年も昔のことで記憶は薄々としております。昭和33年4月頃だったと思いますが、アメリカに4ヶ月程の長期出張の時にナイヤガラフォール市の警察を訪問した際、その市の公安委員長が「昼食に」といって誘ってくれたくれたところが「キワニスクラブ」だったのです。私にとっては、外国のクラブというのを経験するのは初めてで少々途惑いましたが、アメリカ人の開放性とクラブの雰囲気で1時間ほどの時間を気持ちよく過ごしました。その間、どんなことが行われたか、その当時は珍しくて強く印象に残っていましたが、今はすっかり忘れました。
それでも、そのクラブがアメリカとカナダの両国に共通している原住民のインデイアンという土壌の上で「奉仕団体、親睦団体」として、それぞれに作られたということ、「キワニス」という言葉もインデイアンに係わる言葉であることなどを教えられたことが記憶に残っております。昼食は、極めて楽しく、英語がよく判りませんので言葉については聞き洩れていますが、行事の内容は楽しいものでした。誕生日の人とか、ルール違反をした人の罰金だとか、そういうものが徴収されていたようです。メルシーボックスでしょう。
わが国でキワニスクラブが東京で生まれ、私も名古屋で名古屋クラブの準備をしていて、そのナイヤガラフォール市のことを思い出し、「私が連れて行かれたのはこのクラブだったんだな」と気がつき、急に、懐かしい思いを味わいました。それくらいのことです。敢えて言えば、日本のキワニスが生まれる以前にキワニスのことを知っていたということ位でしょうか。
心と心を繋ぐ楽しみと生き甲斐を感じ取るクラブであって欲しい
(木全)東京キワニスクラブに入会されたご動機は?当時の入会資格は今では考えられない、例えば、官庁関係者なら本省の局長以上、民間会社だったら、東証1部上場企業で代表権のある、しかも、運転手、秘書付が条件とされたと伺いましたが・・・・クラブの狙いは何だったのでしょうか。
(内海) 私のキワニスとの係わりは、東京のキワニスの設立の時にはじまります。昭和39年だったと思いますが、通産省の赤沢君(東京クラブのチャーターメンバー 故人)と設立代表者の鹿内さん(当時産経新聞の社長 故人)の使者で小幡さん(鹿内さんの友人 故人)が名古屋に来られ、当時、愛知県本部長だった私、細見東海財務局長、三上通産局長に話があり、名古屋でも是非キワニスクラブを設立して欲しいという話がありました。以後、私たち3人で設立の準備をしましたが、私は、その準備の途中で東京に帰任しましたので、その後の設立経緯についてはよく知りません。豊田章一郎氏(現トヨタ自動車名誉会長)が初代会長になられたと思います。
東京に帰って、間もなく東京キワニスクラブに入会しました。私の場合、名古屋の延長のような形で当然のごとく入会したように思います。入会してからいろいろのクラブの規約等を勉強しました。女性、宗教家、政治家等は会員にはなれないこと、会員になるためにはある程度のステイタスがあることなどが判りました。私は初めからメンバーシップ委員になったと思いますので、このようなことは記憶しております。当時、女性を会員にしなかったのは、女性差別とう意識ではなく、イギリスの社交クラブの例を参考にした結果だと理解しています。有力な会員でも 政治家(国会などの議員、知事)になった時をもって退会しております。
クラブが何をその設立目的とし、何を事業内容としたか等は詳しくは覚えておりませんが、現在と少しも変わってはいないことだけは事実です。
しかし、私が実感として記憶に残っているのは「会員の和」であり「会員同士の楽しい集い」であり「私の心のハイマートであった」というようなことです。奉仕も事業もその気持ちから発していたのではないか。今、強調され、世界的な運動にもなっている「国際的な連帯による世界の、特に恵まれない子どもへの手のさし延べ」ということも題目としてはよいのでしょうが、そのような心をお互いに感じ合うことの方が先決だと思います。題目だけだと、奉仕も形式的になってしまうのではないか。
以上、いろいろなことを申しましたが、私が熱心に出席していた東京キワニススラブの初期の頃は、何となく「熱っぽく、出席が楽しく、会に生気が漲っていた」ように思います。今もきっとそうだと思いますが、クラブというものは「規則に縛られたステイタスシンボル」ではなく、「心と心をつなぐ楽しみと生き甲斐を感じ取る」ものであって欲しいと思います。老人の繰り言かな。
(木全)当時のキワニスクラブの活動で、最も活発だったものは何だったのでしょうか。内海様が最も熱心にご活動されたのは、委員長をお勤めになられたのはどの分野だったのでしょうか。その時のご苦労話、エピソード、課題など、我々後輩会員としては、大変関心と興味のあるところですので、また、是非、多くをお聞かせいただきお教えいただけたらと存知まして。歴史の一こまを垣間見る思いで、お伺いする前から胸がどきどきします。
キワニスを通じて色々な世界で活躍している人たち親しい仲間になれた
(内海)折角のご期待ですが、実のところキワニスクラブの活動ということには私は余り関与もせず活動もしておりません。偶々、その当時(昭和40年頃から約10年間)は、私にとっては本職の方が大変忙しくて、会合にも兎に角欠席勝ちでした。当時は、会長の鹿内さんを中心として、これを補佐したスタッフ、会員が犠牲的にクラブの運営に奉仕されていたので、私は兎に角"お任せ"ということでした。
その間、キワニスの奉仕活動として具体的なものとして注目すべきものは、現在も継続している靖国神社の "慰霊の泉"の奉仕だと思います。泉を設けて御霊に水を奉仕することはすばらしいことで、それに異論はありませんが、余談を付け加えますと、私のように度々、海上の戦闘で死地に入った経験をし、私の傍で死んでいった多くの兵士を見てきたものには、戦死というものは、もっともっと酷烈なものであり、極端な言い方をすれば「異常心理」の中の死亡といえるもののように思っています。私は、心の底から、深刻な思いを以って靖国の御霊の慰霊をしなければならぬと思います。この頃、靖国神社の参拝が外交的に、政治的に、論ぜられることにはどうしても割り切れぬ気持ちです。
委員長については何代目か(昭和50年前後)のメンバーシップ委員長でしたが、就任早々本職の方が忙しくなり余り仕事をすることが出来ませんでした。もし、時間と余裕があれば会員に係わる、会員の増強などの他に沢山考え、かつ、実施することがあったと思います。
ご質問のご期待に応えられなくて申し訳ありません。しかし、私自身はクラブ生活そのものは大いにエンジョイしました。公務員という範囲を超えて、財界、経済界、学界等で活躍している多くの人々と親しい仲間になり、諸々の情報を得、一緒に酒を酌み交わすことも出来ました。家族会の催しは、その点更に楽しく有意義でした。今はどうかよく判りませんが、もともとクラブというものはこういうところに大きな意義があるように、当時、私は理解しておりました。
(木全) 入会された時の入会金、年会費はどのくらいだったのでしょうか。ご入会が1966年ですよね。その当時の年収に対する年会費の負担の実感と40年後の現在における実感、更に高齢化社会の進展を考えますと、年会費の意味するところ、時代の変遷の中での対応など、再考の時期に来ているのでしょうか。
(内海)無責任な答えですが、よく覚えておりません。例会(週1回)の都度支払っていたことはよく覚えておりますが、入会金はあったのか無かったのかもよく覚えていないし、年会費についても記憶が薄れております。唯、他の会員については知りませんが、私共公務員は、そして、私のよく知る友人達は、全部、自分のポケットから出していたことは間違いありません。ところで、現在の年会費の問題は、後の質問項目の中でお答えいたします。
キワニスクラブは私の「心の故郷」
(木全)日本で、アジア・太平洋地域で最初に設立されたのが東京キワニスクラブですが、2年前に東京キワニスクブは設立40周年を迎えました。会員暦40年の内海様は、言ってみれば、東京キワニスクラブの歴史の生き字引的な存在でいらっしゃいますよね。これまでのキワニスライフで最も思い出深いこと、印象に残っていること、次世代の会員に是非、伝えておきたいことなどお話いただけませんでしょうか。
(内海)長いということから言えば、現在の会員の中では最も古い一人だと思いますが、生き字引ではありません。中味が少ないです。しかし、40年という年月の経過のなかでキワニスクラブの私の人生の位置付けという点からは、現在の実感としては"心の故郷"のように思います。40年の間にキワニスクラブを通して知り合い、学び合った人達のことが忘れられません。ほとんどの方々が亡くなり、又は退会しているのは、止むを得ない年月の経過のためですが、思い出としては心にしっかり残っております。
私の場合、語る程の実績はありませんが、キワニスクラブから受けた恩恵は数多いとおもいます。現在のキワニスクラブについても、このことだけは、積極的に考えていくことが肝要だと思います。「子どものため」ということも、今日の社会事情の下では最も大事な社会奉仕ですが、それを積極化するためには会員の心の一致が大事です。NHKの番組で隣組的なコミュニテイで、人々があるテーマについて心を合わせ、力を合わせて意外な大きな成果をあげているという番組を見ました。このような試みとその成果はそのコミュ二テイだけのものではなく、広く日本の多くの地域に波及していきます。キワニスクラブのあり方の参考になりましょう。という訳で、過去40年、語るほどの無いことは恥ずかしいことです。
キワニスクラブの運営のあり方について幾つかの提言
(木全)今のキワニスクラブの運営のあり方、対応の仕方について、こういう点は改善した方が良いとか、時代の変遷と共に改革をした方がいいとか是非、率直なご意見をお聞かせください。
(内海)前にもお答えしているように、このところ特に高齢化してからはほとんど出席していませんので、現状を語るとか、意見を述べるということは出来ません。しかし、会の運営とか会員の処遇とか、会費等については意見なしとしませんので、甚だ率直な意見になって申し訳ありませんが、敢えて申し上げたいと思います。ご異論もあるかと思いますので、何卒、私の妄言とお聞き捨て下さい。
(1)運営について
前にもお答えしているように、本来の目的である社会的奉仕は最も大事なことで、これからも時勢の推移に応じて適切な課題をとらえて実施することが大事だと思います。しかし、一方で「会員が入会してよかった。会員であることに生き甲斐を感ずる」というような目論見も大いに考えるべきであると思います。会員は社会の第一線の活動家が多いので、なかなか例会に出席できない場合も多く、つい欠席を重ね勝になります。しかし、会の運営の仕方によっては、現在も行われているようにいろいろな対策がありますが、私は、定例の例会にこだわることなく、かつ、形式は抜きにして会員相互間の勉強の機会を作ることを考える。例えば、私の場合、交通問題、防衛問題、人事行政の問題、行政改革等で「政府の立場でいろいろ施策を講じた経験、あるいは個人として苦悩した体験」が少なくありません。例会には出席できませんが、私の都合のよい時に、都合のつく会員方に小集会を、ホテルの一室で、あるいはレストランの一角で、時間の制約なく話し、それを題材として意見交換、討論をするという機会が考えられると、例会に出席し点数を稼がなくても貢献は出来ると思います。この
ようなことは、会員の方々それぞれについて考えれば企画できることは沢山あると思います。
会員の皆さんは何れの方々も優れた仕事をしている方方ですので、生の情報や見解を聞くことが出来るのは「クラブ」又は、これらに準ずる会の大きな意義だと思います。クラブでは、外部からスピーカーを招いて話を聞くことが一つの行事になっております。ロータリークラブの伝統に準じたものと思います。これも大事な意義がありますが、前に申し上げたこととダブりますが、会員はそれぞれ各分野で一角の地位と見識をもった方が大部分であると思います。この会員から「卓話」を聞くことを今以上に考えるべきではないか。その代わりに、すべて会員の場合は"奉仕"と考えて"無謝礼"とする。会社の宣伝、製品の宣伝(聴いていて聴く方側に有益なことが多い)もあってよいと思います。その代わり任意の「志」を「メルシーボックス」に入れていただくことにしてもよいのでないか。老人の見当違いの見解かな。
キワニスクラブは国際的に親密な関係を結ぶ有意義なクラブであります。クラブ同士の交流は国際大会であると思いますが、日常的な会員同士のコンタクトが出来れば更に意義があると思います。ナイヤガラフォール市で私の昼食招待はそれに似たものと思います。
私は、このような日本の政情のときにこそ、キワニスクラブは、民間の国際外交の成果をあげるように努めるべきではないでしょうか。出過ぎたようでも木全さんなどはその主唱をされては?
会員歴40年以上或いは80歳以上の善良な会員には特別の取扱いを
(2)会員の処遇と会費等について
ロータリークラブやライオンズクラブは出席を随分厳しく言っているようですが、勿論、会の存立の意味からも極めて必要ですが、しかし、キワニスの体験からは、それぞれの分野で最も大事な仕事の中心になっている人も少なくありません。この人達は、「やむを得ず欠席している」〜なんとはなく義務不履行ということで責任を感じて退会、休会を申し出る人も少なくないと思います。この点を考えて、キワニス的活動を他の形(出席以外の)で行うような例を沢山作ってそれを行っている場合には「出席」と見做すような方策をもっと、フリーに大幅に変えては如何でしょうか。
クラブの維持存続を図るため「年会費や入会金」の収入増を多数ある目的の中の一つとして考えることはやむを得ぬことながら、他方、会員の退会、休会を極力少なくする方策を考えてよいのではないか。私が、特に強調している長年の会員が「年会費が高すぎる」ということで、自己が加入している各種各様の会の会員を逐次整理している人(私も含めて)も少なくないと思います。
私の、勝手な言い分ですが、少なくとも40年以上の善良な会員(迷惑をかけない会員)として勤め、あるいは、80歳以上の高齢になっているような会員については、何か、経費の特免、減額等を含む特別な処遇を考えることによって、出来れば、心身の故障の場合以外は退会は防止できるのではないでしょうか。長老には長老の利用方法も会員である限りあるでしょう。
(木全) ベテラン会員として、最近入会して来られた会員の方々を含め現在のキワニアンへのアドバイスをいただけますか。
(内海)この頃の会員の方々の実態は恥ずかしいことですが、私は接しておりませんのでよく判りません。意見を申すことは遠慮いたします。
唯一つ、東京キワニスクラブの名簿を見ていて「警察出身者が他の分野に比べると非常に多いこと」が目につきます。これは、全国にキワニスクラブが増えたことに従って、各地のキワニスクラブからの移籍が多いことを物語っております。基本方針として、それを全面的に認めているのであれば、それはそれで宜しいと思いますが、今は知りませんが、私がキワニスクラブについて名古屋で方針を考えていた頃は、ロータリークラブでは「一業種一人とか、一企業一人」というような制限がありました。その理由は何であったのか。東京キワニスクラブはそれを見習ったのかどうか等は一応検討してみるのがよいと思います。
インタビューを終えて
「世界の子どものために」という全世界のキワニスクラブが掲げる共通の目的、活動の趣旨に共感を覚え、私にも貢献することが出来たらという思いの中で入会のお誘いを喜んで受け、活動に勤しんでいる会員の一人としては、目的、使命はともあれという点には、いささか、抵抗なしといたしませんが、同時に、"キワニス"という名の下に集い、その中で、今までの日本社会では経験できなかった、異業種、年代を超えての集まりに、また、家族と共に時を過ごす楽しさに心から素晴らしいと感じたと話される88歳の大先輩のお話に感動を覚えました。と同時に、ふるさとを思う人の心を大切に、一旦、キワニアンとなった人たちの心の思いを受け止め、死ぬまで会員としていたいという人間の心を理解し、対応できる人間になることが、まず、世界の、日本の子どもたちのために奉仕する人間の前提であるのではないかと、多くを学ぶ機会になりました。感謝、感謝のインタビューアー体験でした。
○17年11月: 小島 章伸 会員(元 会 長)
(インタビュアー:堀内稔夫 会員)

左: 小島 会員 右:堀内 会員
堀内:11月の「今月の人」には、これまで広報委員長、メンバーシップ委員長、そして副会長、会長など、当クラブの要職を歴任して来られた、小島章伸さんにご登場いただくことになりました。よろしくお願いします。
人生の一つの転機に入会
すでに、23年余りも前の事になりますが、キワニスクラブに入会された動機をお聞かせ下さい。
小島:昭和57年4月、私が日本短波放送の社長に就任した年でした。前任の安藤蕃さんが、チャーターメンバーの一人であり、「君、こういうクラブがあるよ。入った方がいいよ。」と言って、キワニスクラブへのお誘いを受けたのが、入会の切っ掛けでした。永年、報道一途に突っ走って来た新聞記者時代に区切りをつけ、新聞とは異分野の放送という業界で経営に携わる事になった時でもあり、また生活環境も大きく変わり、私にとって、一つの人生の転機でもありましたので、ボランティア団体に関心を持ました。自分の出来る範囲で、社会奉仕活動の道に入ろうと思って、入会を決意したわけです。
広報委員長時代に"30年の歩み"を編纂
堀内:これまで、広報委員長、メンバーシップ委員長、副会長、会長とクラブの要職を務めてこられましたが、ご苦労された事や印象に残った事をお聞かせ下さい。
小島:永年ジャーナリストであったことから、広報委員長は何回かやりました。その後、メンバーシップ委員長を仰せつかり、更には副会長、会長をする巡り合わせになりましたが、私は、社会奉仕活動に身を置いてからは、役所や会社と違いこの種の団体の役職者は「メンバーのサーバントたれ」の気持ちでやってきたつもりです。これまでの仕事も、メンバーの皆さんに助けられてやれた事であって、個人的に苦労したというようなことは、余りありません。敢えて言えば、広報委員長の時に"30年の歩み"の編集責任者をする巡り合わせになったのですが、創設30年という大きな節目を締めくくる事業でもあり、大きな思い出になりました。
古い殻を破り、新たな体制へ!
さらに、組織に関わる変革こそが、時代の流れの中で、会長としての私に与えられた役割だったのです。その中の一つが「クラブの意思決定のあり方の変革」でした。従来、人事とか運営上の重要な意思決定は、会長経験者だけで組織する「総務会」が実質的に決めてきました。現会長は陪席して考え方を説明する立場でした。これは創立以来の歴史を考えると大きな意味を持ち、また役割を果たしてきましたが、これからの新しい時代に対応して行くためには、クラブ運営の重要事項は、会長のリーダーシップのもと、現執行部が責任を持って決めていくべきだと思ったのです。そこで「総務会」は廃止し、現会長が主催する新設の「会長懇談会」として、諸先輩のご意見をお伺いする場としました。会長は"クラブのサーバントたれ"との信念で取組んだつもりですが、最も神経を使った事でもありました。体制が変わるという事は、ある意味では、寂しい側面もあるわけですが、赤沢さんはじめ諸先輩のご理解も得て、新しい体制が出来たと思っています。今は役員会が活発に動き、談論風発・自由闊達な雰囲気の中で、会長さんが、会員の皆さんの意を体して強いリーダーシップを発揮されているのではないかと自負しています。
また同時に「事務局体制変革」の端緒も作り得たのではないかと思っています。それまで、事務局の構成・運用は、産経さんに過分にお世話になっていました。これは大変有難い反面、オープンな組織運用上、問題もあると思っていた矢先に、産経さんの事情もあって、今のビルへ移る事になった訳です。当時の事務局長は重成侃さんでしたが、非常にご苦労されて事務局体制改革の端緒を築いて頂きました。そのご尽力には今でも深く感謝しています。その後事務局長になられた佐藤隆國さんの功績も大きく、そのお蔭で今の事務局体制が出来上がったわけです。
もう一つ、私の会長時代で忘れられない思い出は、佐藤満秋さんがKIの理事に日本人として初めて当選したことです。佐藤さんのすぐれた能力、識見によることはもちろんですが、タヒチでのASPACの選挙は決して楽なものではありませんでした。このほど3年の任期を無事終えられ、まことにご同慶の至りです。これまで日本から理事が出なかったことが異常でした。"世界の中の日本"、今後は理事が出て当然というようになってほしいものです。
元気に、明るく、仲良く、楽しく
堀内:そんなお考えを実践してこられたキワニスライフの中で、これまでどんな奉仕活動に参加されてきましたか?また、これから取組みたい活動がありましたら、お教え下さい。
小島:会長時代は、精力の大半を"意思決定の変革"に注いできたのは事実ですが、勿論、個人として、キワニアンとしての奉仕活動にも、割と真面目に参加してきたつもりです。汗をかく一つとして、靖国神社の掃除にも積極的に参加してきました。私が会長の時、一つのキャッチフレーズとして"元気に 明るく 仲良く 楽しく"を、クラブライフの目標としたのですが、メンバーで構成する団体である以上、基礎はそこにあると思っています。これが無ければ、社会奉仕団体は大きく展開出来ないと思っています。
人と人とのご縁つくり
堀内:毎日の生活の中でキワニスが占めるウェイトは如何ですか?また、キワニスクラブに入って、人生観が変った事などありましたらお教え下さい。
小島:キワニスライフのウェイトと言われると心苦しいのですが、キワニスクラブの他にいろいろの仕事にかかわっているため、思うようには動けません。特にある公益法人の新しいビルを建設する際、建設の担当の役員を仰せつかり、6年間その責任者を務める事となって、精力の7割はそちらに取られてしまいました。ビルはもう完成したのですが、その間キワニスクラブに十分な時間を割けなかったのが心残りです。それでも、ドールも多少は作らせて頂いたし、例会や火曜会にも可能な限り参加して来たつもりです。
そんな折、「安原さんの後任の会長をやってくれ!」と、安原さんと佐藤満秋さんに口説かれ、一度はお断りしたのですが、「どうしても」との事で、会長だけはお引受けした訳です。これも先程のような事情があり、当時は、身体が二つも三つも欲しいと思っていました。
私は、元々"無芸無才"で、余暇に毎日打ち込めるような強烈な趣味を持ち合わせていません。
ゴルフは好きですが毎日はできませんし、私にとっては、"人と人とのご縁づくり"が、趣味のようなものかもしれません。そんなわけで、どうしても!と頼まれると、引き受けてしまう事が多く、自分で自分を忙しくしているのが実情です。会社人生を終えて、余生は、この世に生を受けた身として、多少は社会にお返ししなければと思っているのですが、喜寿を過ぎてもまだ忙しい、忙しいというので家内に文句を言われています。
2005年は、上昇期に転ずる節目の年
堀内:次に、外部の方に対して、キワニスクラブへの入会を勧めるメッセージをお願いします。
小島:キワニスの若々しいエネルギーを育み、更に新しいあり方や新しい血を注入して、より良いキワニスクラブとして頂ける方に是非入会頂きたいと思います。今は、世代交代の大事な時です。ただ、社会奉仕は、人に頼まれて仕方なくやるものではない。自ら進んでやるものであり、自分の力の中でやればいい。その意味では、会社の組織とは違います。異分野の人達と直接話し、交流を積極的に広げていければ、楽しいキワニスライフになると思います。もっとも、世代交代とは言っても、"老・壮・成"の三結合が大切で、我々は、知的貢献をしていく事が、益々大事になると思っています。
21世紀に入って5年目の今の流れは、歴史的にも、画期的な大転換の時です。公文俊平氏の「60年周期論」では、前半の30年が上昇期にあり、次の30年が下降期となります。その意味では、戦後の復興期から1975年までが上昇期になり、続く30年が下降期となり、将に、2005年は上昇期に転ずる節目の時に当たります。歴史的大分水嶺の年と言っていいかもしれません。小泉首相率いる与党は3分の2以上の議席を確保し、経済的にも、政治的にも、「明るい未来を目指す出発点の年」と言えるでしょう。
自分を磨く大事な原点
堀内:最後になりましたが、「小島さんにとって、キワニスクラブとは?」にお答え頂けませんか?
小島:私の人生の中では、大事な1ページとなるお付き合いを、キワニスクラブの活動を通じて頂いたと思っています。異分野の方々との絶え間のない交流の中で、自らを磨き、自分を高めていく大事な原点になるよう、限りある人生の中で、更に努力して行きたい、と思っています。
(インタービューを終えて)
小島さんは、"30年の歩み"の責任者として編纂に当たられたこともあり、番外で、クラブ創設期のお話をいろいろと教えて頂きました。当時は、このキワニスクラブも、将に財界団体の一つの意識で参加された錚々たるメンバーが、会を運営されていた由で、会長時代に、その頃から残された古い殻を破り、新しい体制を築かれた小島さんの慧眼とご努力に、改めて畏敬の念を抱いた次第です。
ジャーナリストとしてプロ中のプロへのインタービューで、聞く方が、大変緊張しましたが、小島さんには、実に良くまとめてお話し頂き、大変感銘を受けました。(堀内稔夫)
○17年10月: 菅野 明 会員(新会長)
(インタビュアー:中井 省 会員)

左:中井 会員 右:菅野 会員
(中井)今月は、新会長の菅野明さんにご登場いただきます。菅野さんには80年代初めに菅野さんがニューヨークで日銀の駐在参事をされていた時に、公私ともに大変にお世話になりました。お会いするとニューヨークの思い出話になりがちですが、きょうは会長ご就任直前のインタビューということで、キワニスライフを中心にお伺いします。
魅力のあるクラブに
(中井)この10月から東京キワニスクラブの会長に就任されますが、新会長としての抱負をお聞かせください。
(菅野)これまで諸先輩が努力してこられた伝統的な精神を引き継いで、クラブの円滑な運営を維持するのが精一杯と思っています。
当然のことですが、会員とそのご家族が東京キワニスクラブの会員になっていてよかったと思ってくださるようにすること、会員外の方には自分もはいりたいと思ってくださるようなクラブにすることをめざします。
社会貢献の精神を大切に!
(中井)特に今年重点を置いて取り組みたいこと、強化したいことは何でしょうか?
(菅野)会員はもちろん会員外の方にも社会への何らかの貢献をしたいという気持ちを強くもっている方が多いと思います。少しでもそういうお気持ちにこたえられるようにするにはどうすればよいかを念頭に置いて、クラブを運営し、見直してゆくと、自ずと何をするか、何に重点を置くかということが出てくると思います。このような考え方は、東京キワニスクラブの伝統的精神であると思います。
まず、すべての会員に、会員として名前を連ねていてくださるだけで社会貢献に参画しているということを実感していただきたいと思います。寄付でいただいたお金はもとより、会費としてでいただいたお金は、最小限の事務費用は別として、もっぱらクラブの社会貢献目的に使われています。
例会や奉仕活動にお出になれなくても、レクリエーションその他親睦行事にたまにでもご参加くだされば、仲間であることの再確認を通じて、クラブの強化につながるわけです。
このようにクラブの存在を多面的に考えて、すべての会員がそれぞれの状況に応じて自分ひとりでの社会貢献とは違った、楽しい、幅の広い社会貢献に参画しているのだということをときどき思い起こしてくださるようにできればうれしいと考えています。
アイディアを期待!
(中井)会員の皆さんにお願いしたいことがありましたらお聞かせください。
(菅野)それぞれのお立場にあったやり方で会員であることをエンジョイしてください。お時間の許す範囲で、お好きな行事だけでもご参加ください。
クラブについてお気づきのことは、何事によらず、世話役である私ども、あるいは事務局におっしゃってください。ことに、例会については、こんなことについて話をききたい、こんな人の話をきいてみたい、というアイディアを言ってくださるだけでも結構です。
多彩なキワニスライフ
(中井)菅野さんは平成3年にキワニスクラブにご入会されていますが、入会された動機は?
(菅野)もうじき60歳の定年という頃、前に仕えていた先輩から、「外へ出てみて視野の狭さを感じた。多くの人と接する場を持つことが大切だ。出席をあまり問題にしない、キワニスクラブというクラブがある。」と誘われたのがきっかけです。
(中井)これまでのキワニスライフで強く印象に残っている出来事は何でしょうか?
(菅野)入会してすぐ定年、転職。最初の約10年、毎週金曜日が転職先の定例昼食会でしたから、例会はあまり出たことがなく、夜の会合、レクリエーション活動への参加が年に数回という状況でした。いくら出席を気にしなくともよいといっても、内心は何か言われはしまいかと気になっていたのですが、結局、一度も注意を受けたこともなく、たまに顔を出すと、「よく来た、よく来た。」と歓迎されたことが、一番印象に残っています。言葉をかけてくださった多くの先輩会員の声がまだ耳に残っています。
(中井)キワニスライフはご自分の生活の中でどのようなウェートを占めていますか?
(菅野)最初の10年のことはさっき申しましたが、現在の私にとっては、社会を知り、世間を知り、自分を鍛えることに役立つという点で、仕事と並んでとても大切なものとなっています。
(中井)キワニスクラブに入って良かったことや、人生観が変わったと思うことは?
(菅野)会員相互のお付き合い、例会のスピーチ、見学会、勉強会など、いずれも楽しみながら得るものが多いと感じています。かつて入会を勧めてくれた先輩の言われたとおりだったと感謝しています。
とりわけ感動し、教えられることの多いのは、社会公益賞・青少年教育賞をうけていただく団体や個人の方のお話を伺うときです。
はじめのうちは、社会奉仕あるいは社会貢献を口にする前に自分の職業上の役割をよりよく果たすことがずっと大切なことという気持ちが強かったのですが、最近では、自分の持っているものの一部を社会奉仕ないし社会貢献に当てることの意味がすこし解ってきたというところでしょうか。キワニスクラブがそういうことを私に教えてくれたと思います。
(中井)日銀時代には国際畑でご活躍され何回もの海外勤務をご経験なさっていますが、キワニスの国際的側面について、どう感じておられますか?
(菅野)キワニスに入会したときは、「東京」キワニスに入ったという意識で、国際キワニスのことはまったく知りませんでした。海外勤務のときにも「キワニス」という言葉に接したことはありませんでした。
事務局から全世界、あるいはアジア地区の大会の知らせなどが来ても、3年ほど前までは、東京の例会にさえろくに出席していない自分には縁のない行事と思い込んでいました。
2004年夏に副会長になり、これではいけないと、急に大会の予定を調べて何度か心がけたのですが、結局まだ国外でのキワニス行事には参加できずにおります。
キワニスの基本的な考え方として、「会員・クラブがそれぞれの属する地域社会を良くするために奉仕しよう」ということがあり、そのことに関連して「他の地域、他の国々の仲間と心を通わせて一層良い奉仕活動をしよう」というのが順序だと思います。28万人の会員、96カ国に8400のクラブがあって、整然と活動すること自体大変美しいことですが、整然と美しく行動すること自体が目的となってしまわないように絶えず気をつける必要があると思います。
余暇はドライブ旅行
(中井)日本卸電力取引所理事長というお仕事やキワニスライフでご多忙と思いますが、余暇はどう過ごされていますか。ご趣味は?
(菅野)一番の楽しみは旅行です。3年ほど前から、自分の車で日本列島をくまなく回ろうと、年に一、二回、一回7〜10日の時間をかけ、家内をのせてドライブ旅行をするのを楽しみにしています。次はどの地方にしようか、そこには何があるか、食べ物は何がおいしそうか、と調べたりすることも、楽しみの一部です。過去3年間に、長崎、佐賀、岐阜、秋田、青森、四国四県、富山の各県に行きました。
キワニスを通じて社会奉仕活動を!
(中井)最後に外部の方に対して、キワニスクラブへの入会をすすめるメッセージをお願いします。
(菅野)社会の進歩・時代の変化につれ、ボランティア活動、社会奉仕活動に関心が高まっています。すでに、個人として、あるいは気のあったお仲間と、なんらかの具体的行動をしておられる方も多いのではないかと思います。
キワニスクラブは、社会奉仕活動に関心のある者が集まって、何ができるかを考え、できることを行動に移して、社会に貢献しようと努力する団体です。関心はあるが実際に行動するための時間がないという方も、キワニスクラブの会員になって仲間の活動を支持するという形で社会貢献に参加できます。
さらに、キワニスクラブは、社会奉仕活動の視野を国内の他の地域、さらには国外に広げています。世界96カ国にキワニスクラブがあり、日本では、現在、東京はじめ日本全国で20都市にキワニスクラブがあります。他のクラブがどのような活動をしているかを相互に知ることができますし、場合によっては、全クラブが協力して一つの活動を行うこともできます。
各地のキワニスクラブの会員から、キワニスクラブに入りませんかとの誘いを受けられましたら、以上のようなことを念頭において、ご検討のうえ是非ご入会ください。
お住まいあるいはお勤め先の近くにキワニスクラブがない場合には、キワニスの趣旨に賛同するという方がお近くに何人かおられましたら、新しいキワニスクラブを設立するお手伝いもします。
また、私どもの方から、伝(つて)をもとめて、新しいキワニスクラブを設立しませんかと、お誘いにあがるかもしれません。 そのような場合にも是非創立メンバーとしてお力添えをお願いいたします。
(中井)本日は長時間ありがとうございました。
(インタビューを終えて)
仕事上、日銀の人たちとお付き合いいただくことが多かったのですが、皆さんが紳士でした。なかでも菅野さんは紳士の中の紳士です。インタビューに対する控え目ながら適確な応答振りに、真のジェントルマンらしさが顕れていると思います。今回は残念ながらご登場いただきませんでしたが、奥様も素晴らしいお方です。新会長ご夫妻に今年1年間のキワニスの運営よろしくお願いいたします。(中井 省)
以上
○17年10月: 吉江 誠 会員(副会長)
(インタビュアー:飛谷安宣 会員)

左: 吉江 会員 右:飛谷 会員
飛谷: 本日はお忙しいところクラブ事務局までお越しいただきまして、まことに有難うございます。私にインタビュアーのご指名がございましたので、いろいろとこれからお話をお伺いさせていただきます。よろしくお願いいたします。
まず最初に、吉江副会長がキワニスクラブにお入りになられたのには何か動機とかきっかけがおありかと存じますが、如何でしょうか。
大阪勤務時代に仕事の関係で知り合ったキワニアンに薦められて
転勤後東京キワニスに入会
吉江: 私は、当初からキワニスクラブの何たるかを知った上で入会した訳ではありません。昭和62年から2年ほど太陽神戸銀行の大阪支店長として大阪で勤務していたのですが、取引先の常務さんで大阪キワニスの会員の方が居られまして、'キワニスというクラブがある。ロータリーやライオンズのように出席義務が厳しくないし、会員の幅が広く良いクラブだよ。但し財政的に豊かではないので、会合にお前さんの銀行の厚生寮を利用させてくれないか。ついては、東京へ戻ったらキワニスに入ったらどうか。'と言うお話がありました。加えて、チャーターメンバーでもあられました安部先生と大阪のある財団の会合でお会いしていたのですが、平成元年になって'東京へ戻ります'とご挨拶をしたら、キワニスに入ったらとお誘いを受けていたのです。平成2年に加入を認められましたが、そのときの紹介も安部先生がしてくださいました。
飛谷: 現役社会人でご入会されたようですが、活動にはいろいろ制約がおありだったのではないですか。
吉江: 皆さんも同じでしょうが、現役時代はなかなか例会にも出席できませんでした。毎日の出勤が必要でない職についてから、皆勤賞も頂けるようになりました。
これまで国際委員長を皮切りに、いろいろな役員を経験
飛谷: 副会長をはじめ、これまでいろいろな役員をお勤めになっておられるようですが、どんな役員をやってこられたのでしょうか。
吉江: 銀行時代に国際金融に携わった期間が長かったことを買っていただいたのか、平成8年に関口さんが会長に就任される際、国際委員長を命ぜられました。日本語を話す外国の要人と言うことでヨルン・ケック当時駐日欧州委員会代表部大使に例会でお話をお願いし、そして仕事の上でお付き合いが長く、東京の金融界でも活躍されていたイタリアの金融マン、ヴィットリオ・ボルピ氏を招いて昼食会を開催したのが初仕事と言えましょう。それから青少年教育委員長を2期、KファミリーPT長を3期、副会長は間歇的に計3期務めております。
苦労話の一端
飛谷: 役員を勤めておられますと、その時々にいろんなご苦労もおありだったかと思います。苦労話の一端をお聞かせいただけないでしょうか。
吉江: 苦労したと言うか冷や汗をかいたと言ったほうが良い出来事が2001年の第25回キワニスインターナショナルの東京地区総会でありました。2000年9月に関口さんが日本地区ガバナーに就任され、国際キワニスの総会に出席されました時、壇上に上がった若い学生のメンバーが立派なプレゼンテーションをされたことに感銘を受け、日本でもKファミリーを立ち上げなければならないと決断され、当時青少年教育委員長であった私にその担当をせよとのお話がありました。私一人ではとても無理な話なのでKファミリープロジェクトチームを組成し、そのPT長に私がなると言うことでご了解を得て本日のKファミリーPTが誕生したわけです。そう言うわけで2001年の東京地区総会では、Kファミリーを大きなテーマとし、大学レベルのサークルKインターナショナルの会長であるジェレミー・スローン女史を米国から招きました。そこで各地区の青少年教育委員長に日本でボランティアー活動をしている学生をも加えて12時15分からユースボランティアー国際交流と言う集まりを、サンドイッチをつまみながらと言う形で開催しようとしたのです。ところが主旨が充分行き届いていなかった為に、開始時間が昼時だったものですから各地区のキワニアンがどっと開催場所に入って来て座ってしまいました。食事は足りなくなる、学生達の座る所はなくなる、当時はKファミリーの何たるかをご存知でない方が多かったものですから、会議の進行はバラバラになる、本当に冷や汗ものでした。東京地区ではKファミリーがどのようなものかが良く理解されてきたと思いますが、私がキワニアンとして一番苦労したこと、まだ苦労していることは、米国とは文化面、宗教面で異なる日本でのKファミリーの組成でしょう。
飛谷: 予期しないことがいろんな場面で起こってくるわけですね。こうして後からお話をお聞きいたしますと楽しい思いで話しといいますか物語りとしてお聞きできますが、その刹那刹那ではさぞご苦労だったことだろうと、手に取るように分かります。本当にご苦労さまでした。
ところで、新年度を迎えましたが、新年度に当たっての抱負をお聞かせいただけないでしょうか。
新年度の抱負は、学生版キワニスクラブの立ち上げへ一歩でも近づくこと
吉江: ドール作成等を通じて、幅広く学生にキワニス活動に興味をもって貰うよう努力を続けること。そしてできれば、学生版のキワニスクラブ、つまりサークルKやKeyクラブの組成に一歩でも近づけることです。
キワニスライフの印象
飛谷: これまでのキワニスライフで、強く印象に残っていることにはどんなことがございますか。
吉江: 嬉しかったのは2002年5月に明治学院大学で第1回のキワニスドールを作る会の開催が出来たこと、冗談めきますが、楽しかったのは同じ年のファミリーデーで真帆しぶきさんとダンスの真似事が出来たことでしょうか。
飛谷: 楽しくダンスをなさっておられるお姿が、目の裏に見える感じです。
ここで、今のキワニスクラブのあり方について、日頃お感じになっていることでもよろしいですし、これから取り組むべき活動、こういう点は改善した方がよいのではなかろうかといったようなご意見でも、何かございましたらお聞かせください。
明日の社会の担い手である子供たちのために何ができるか
吉江: 最近は、キワニスも社会貢献団体としての色彩がかなり濃くなってきたと思います。キワニスインターナショナルの決定で'Serving the Children of the World'と言う文言がキワニスのロゴの一部になりました。やはり明日の社会の担い手としての子供たちのために何ができるかにキワニス活動の焦点を絞るべきなのではないでしょうか。しかしあまり肩肘を張らずに、このスローガンをいつも頭のどこかにおいて、自分達でできることを地道に行動に移して行くという姿勢で良いのではないかと私は思っております。まじめに考えすぎるとパターのイッピー病みたいに手が動かなくなってしまうのではないでしょうか。それでは甘いと言うご批判もありましょうが、活動に参加する人の幅を広げることが大事だと思います。
飛谷: キワニス入会以前にも、何か奉仕活動をおやりになられていたのですか。
吉江: 我々の学生時代は、奉仕活動は根付いておりませんでした。現役会社人間の時代には、その余裕は勿論ありませんでした。奉仕活動らしきものを始めたのは、キワニスに参加してからです。
社会に向けての窓が広がった
飛谷: 日々の生活において、キワニスの占めるウエイトと申しますか、キワニスの活動のためにお使いになっておられます時間は、どれくらいなのでしょうか。また、キワニスクラブに入って人生観が変わったというようなことがございましたらお聞かせください。
吉江: 大変難しい質問ですね。私のパソコンの受信メール文字数の2割ぐらいがキワニス関連です。人生観が変わったと言う大げさなことではないのですが、世間には恵まれない子供、不幸な境遇の人々のために地道な活動されている方がたくさん居られます。このごろの若い者はと良くいいますが、学生達にも真面目に他の人のことを考え奉仕活動をしている若者が沢山いることをメディア等を通してではなく、もっと直接に知ることが出来ました。社会に向けての窓が広がったとはいえましょう。
いろんな集まりに積極的に参加を
飛谷: なかなか周りの見えないのが現実かと思いますが、社会に向けての窓が広がるとお聞きして、成るほどと認識を新たにさせていただいたところです。
ところで、副会長が会員の皆さんにお願いなされたいことでもよろしいし、感謝したいと思われるようなことがございましたらお話しください。
吉江: 私の携わってきた分野では、学生さんとのドールを作る会、学園祭への参加等でパートナーの方を含めて大変なご協力をして頂いて感謝しております。前にも申しあげましたが、このような集まりに今後ともできる範囲で気軽に多くの方々に参加していただければ幸甚です。それから少人数で大きな所帯を切り盛りされている事務局の方々にお礼を申しあげたいです。
飛谷: 有難うございます。ここでもう1つ、外部の方に対してキワニスクラブへの入会を勧めるメッセージをお願いします。
吉江: キワニスクラブへどうぞ!楽しい交流を通じて、社会への恩返しも出来ますよ!
飛谷: 有難うございました。ところで吉江副会長にとって、キワニスクラブというものはどういうものであるかということを、最後
のまとめといたしまして承りたいと思います。
キワニスでお付き合いの多様性を深めた
吉江: 学生そして会社人間としていろいろな方とお付き合いをして来ました。キワニスに入って又その多様性を深める事が出来ました。自分ひとりでは出来なかったような奉仕活動の一翼を担うことも出来ました。私の人生の中でもう一つ大きな窓があいた、それがキワニスです。
飛谷: いや、本日は長時間にわたりまして有難うございました。社会貢献あるいは「奉仕」と申しますか、キワニス活動の一つひとつが、社会をよい方向に変えていくのだなということが、吉江副会長のお言葉の中からにじみ出ており、私も勉強させていただきました。これからもお体にお気をつけ下さいまして、ますますのご活躍・ご発展をされますようご祈念いたしております。本当に有難うございました。
インタビューを終えて
これまでいくつもの要職を務めてこられました吉江副会長は、「明日の社会の担い手である子供たちのために何ができるかということを常に頭の片すみにおきながら、自分にできることをあまり肩肘を張らないで行動に移していく。そうした結果が、自分自身の窓を開くとともに社会に向けての窓も広げることになる。」とおっしゃっており、自身の体験から得られたキワニス活動に対するキッチリした哲学をお持ちであることを改めて教えられました。(飛谷安宣)
○17年9月: 木全ミツ 会員(副会長)
(インタビュアー:松本一紀 会員)

左:松本 会員 右:木全 会員
(松本)9月の「今月の人」は副会長の木全ミツさんにご登場いただきます。大変素晴らしい景色と落ち着いた雰囲気の場所を選んでいただき有難うございます。少し緊張しておりますが、よろしくお願いいたします。
男社会への好奇心も?
(松本)まずは入会の動機からお伺いいたします。日本にはロータリーをはじめ、いろいろなクラブがありますが、どうしてキワニスクラブにお入りになろうと思われたのでしょう?
(木全)「急速に到来する高齢化社会日本を考えた時、60歳を過ぎたらトップの座を次世代に譲るべき」という私の信念に基づき生きてきました。それでは、60を過ぎた者は、今後どのように生きていったらいいか、その生き方にチャレンジを始めた時にお声をかけていただきました。
大阪キワニスクラブから、1992年に編入された藤原宣夫氏と1976年ご入会の和田 洋(おおみ)氏からのお誘いでした。
国際社会の仲間と共に世界規模で奉仕活動を考えるということには、基本的に関心がありましたので。と同時に、基本的には男社会として存在してきたキワニスクラブというものを一寸覗いてみたいという好奇心もあったことは事実です。
先入観と異なった柔軟性あるクラブ、多様化する日本の社会でキワニアンの生き方がモデルに?
(松本)平成12年4月に入会されて、以降ボランティア活動委員長そして現在副会長と、クラブの大きな担い役を続けて来られていますが、これまでのご活躍を通じて、お感じになられた点、また、これからの抱負についても併せてお伺いいたします。
(木全)ロータリークラブ、ライオンズクラブと同様に、キワニスクラブも基本的には男社会で、入会資格も社会的な地位が高い人であるとか、委員会の委員長ポストは数年間の皆勤をしたものでなくてはならないという慣習があると伺っていましたので、2年目に「ボランティア活動委員長」に、そして、3年目に副会長のポストを頂いた時は、意外にflexibleなんだなと驚きましたとともに感動いたしましたね。"男性社会に風穴を開ける"ことになれば…そういう好奇心と、社会は50:50で、男性:女性が存在するのがノーマルですので、「世界のお子さんのために」というキワニスクラブの活動を考えてみますと、そのほうが、ずっといい活動が出来るのではないかとも思っていましたので…。
(木全)今、ここで得られる情報が地球の反対側のブラジルでも直ちにキャッチできるというように、いまや、国境があって無いような時代になっていますね。このような社会で競争力を持って、また、存在価値あるものとして生きてゆくためには、大切な概念の一つがDiversity(多様性)であると思います。即ち、人種、性別、年齢、思想、考え方、国籍、など多様な人々が存在する中で、お互いにその違いを、また、その類似性を認識しあい、その中で調和の取れた社会をいかに築いていくか、そのような認識なくては生きていけないという時代にどんどんなっていると思います。
(木全)あるアメリカ人の言葉です。「日本という国はすごい国だ、人口の半分の力で世界第二の経済大国になった、もし、全人口の力を発揮したら……」と。これは、ほめられた言葉ではなく、揶揄された言葉です。彼の言葉のとおり、日本の社会では、今まで人口の半分を占める女性という人的資源を活用してこなかった。女性の活力を活用するか否かが、今後、競争力を持って生き残っていくか否かの鍵を握る重要な問題になってきているということを、この日本の社会は大いに考えていかねばならない大きな課題であると思います。
(木全)それと同じくらいに日本の社会が多様性社会として健全に生きていくためには、定年退職後の高齢者の活用がとても重要であるとおもいます。多くのキワニアンがこのカテゴリーに入ってくるわけですが、高い教育を受けられ、永年に亘り貴重かつ豊富な経験を積まれ、人生体験をされ、常識、バランス感覚、寛容の精神、技術、管理能力という面では非常にマチュアな人的集団であると思います。アイデア、方向性が明確になればいくらでも力を発揮される、すごい仕事能力、活動能力も持っておられる集団であると思います。この方々は、女性という人的資源と同じように、社会が国家が持っているすごい資産、財産なんですね、この財産を活用しないでか……とお思いになられません?それは、同時に、「妻との付き合い方がわからない」「離婚をするとこまでは考えなくてもいいけど、せめて、昼間の時間は家にいないでほしいのよね」などといわれている、非常にいびつな、非健康的な状況を生み出している現在の日本の社会に、生き方のモデルを示すことが出来るのではないか。それ以上に、positiveに考えて、社会にとってどれほど大きな力になっていく存在であることかを考えるべきであると思います。
生き生きキワニアンとその妻たちの活動、そしてクラブの無限に開けた未来
(松本)重複するかも知れませんが、現在副会長として活動されていて、特にそのお立場から感じられることについてお聞かせください。
(木全)終身雇用慣行、年功序列賃金、会社のためには死んでもいい、企業戦士になることが男の生きる道……という慣習、男社会のシステムの中で、組織の一員として、個を殺して生きることが出世の道という社会で偉くなっていった方々が殆どでは無いかと思います。私が入会した時のみなさん方には"個"というものを余り感じませんでした。しかし、この頃のキワニアンをみていると(特に男性の会員の方ですが)お一人お一人が、ご自分の個性を思う存分に発揮され、生き生きとキワニアンとして活動をしておられる、されようとしておられるようにお見受けしていますが、いかがでしょう。個を大切にして、個人としての持ち味を生かしながら組織人間、会社人間時代にはなかった人間らしい毎日を送っておられるのではないか、と思いますが、これは、私の希望的な観測でしょうか。元気はつらつとした、個人として生きておられる新鮮味すら感じる夫に呼応して……といったらいいでしょうか、キワニアンの妻たちの動きにも、本来、彼女たちが持っておられる感性、エネルギー、能力、果敢な実行力といった活力にも火がついたように、素晴らしい参加をして下さっています。「さくら会」を結成されていますが、「さくら会」との今後の連携も非常に大切なことであると思っています。
(松本)これまでのキワニスライフで最も印象に残っていることは?
(木全)先日、あるロータリークラブの方たちを前に卓話をご披露する機会を頂きました。「私は、入会9年目であと1年すると委員会の委員長になる資格ができるのですよ、やっとですよ。キワニスクラブのように入会浅い会員が委員長になる…などということは、ロータリークラブではありえないことですね」と申されている言葉を聴いて、「キワニスクラブの無限に開けた未来」を感じましたね。
Visionに基づく積極的な活動推進と先輩会員をいつまでも敬える仕組みの構築
(松本)今のキワニスクラブのあり方について、これから取り組むべき活動や、こういう点を改善したほうが良いという点についてはいかでしょう?
(木全)「北京で一匹の蝶が舞えば、New Yorkでハリケーンが起こる」ではありませんが、これからの社会では、政治家に、政府に依存するのではなく、キラッと輝いた一人ひとりの見識と意見をもった個人が、行動が社会を変えていく時代であるとおもいます。「世界の子どもたちのために」「日本のこどもたちのために」というVISIONに基づき、一人ひとりのキワニアンが、世界のそして日本の子どもさんたちの実態に思いを馳せ、何をすべきかについて真剣に考え、積極的な活動を提案していただく、そんなクラブになっていくといいですね。
また、高齢化社会の進展に伴って、キワニスクラブ会員としての平均在籍年数がどんどん長くなっていっているということは、本当に喜ばしい、素敵なことだと思います。しかし、加齢とともに活動への参画は容易でなくなっていっているのも事実です。このような現実を考慮し、永年にわたってキワニスクラブの構築に、キワニスクラブの精神、Vision、伝統、誇りの維持に貢献されてこられた先輩会員の皆様に対して、具体的な活動に参加できなくとも、他の会員と同じように、これから先、10年、20年先でも誇りを持って会員でいていただけるよう「先輩会員をご尊敬するシステム」を早急に考えていく必要があると思っています。
大切な大切な存在としての子供たちの幸せ作りに
(松本)これまでどのような奉仕活動に参加されてこられましたか?また、これからやりたい或いはやるべきだと思っておられることがあれば併せてお聞かせください。
(木全)個人的には、環境保護、人権擁護、動物愛護の各分野で、ごみ削減活動、カンボジア・ベトナム・ラオスの難民支援、高齢者施設での定期的なベットのシーツ交換、HIV/AIDSキャンペーン、少数民族(先住民)の理解と支援などの活動、世界の人権擁護活動などに参画してまいりましたが、日本の社会では、とかく、少子化問題の焦点が、いかに子どもを多く産むべきかにおかれがちですが、 キワニアンとしては、既に生まれてきた子どもたち一人ひとりは、社会の、国家の財産であり、人格を持った大切な大切な存在なのだという視点から、一人でも多くのお子さんたちが、幸せな、また、健全な人生を送ってもらうために、そのための活動を大切にしたいですね。お父さんの、お母さんの身体のぬくもりをしっかりと感じながら生きていける子どもたちになってもらうために……。
(松本)ところで、愚問かもしれませんが木全さんの生活の中でキワニスが占めるウェイトはどの程度と感じておられますか?
(木全)私は少し欲張りなのかもしれませんね。労働省の官僚時代にしても、New Yorkの国連公使としての外交官の時も、また、TheBodyShop,Japanの社長時代にも、一つのポストにある時は、そのポストの責任を全うする…という視点で、全力投球してまいりましたが、そういうしばりから開放された今、今まで出来なかった、社会のためにしたかったことが山ほどあること、それが今なら出来ること、人生残された時間は限られていること…さらに、この社会、どこかおかしい、改革しなければ…という思いがあることなどのため、様々なお仕事、活動に時間と体力が許す限り積極的に参加していきたいと思っています。と同時に、妻としても、母としても、介護を預かる身としても全力投球をしたいと努力いたしておりますので……。
従って、キワニスクラブの活動に参画しているときは、勿論、100%、キワニアンですが、24時間、365日のうちどのくらいの時間、どのくらいの思い、気持ちがキワニスですかというのがご質問の趣旨であるとするならば、そうですね…7〜10%ぐらいかしら…というのが正直なところでしょうか…。
(松本)会員にお願いしたいこと、或いは感謝することなど、何かございましたら…。
(木全)日本人はお金しか使わない、それ以外に何の貢献ができるのですか?…国際社会で耳に蛸が出来るほど聞かれた日本人批判の言葉です。日本のキワニアンの具体的な行動、活動から、この日本人のイメージを正していけたらと思います。それが出来るのではないでしょうか。是非、ご一緒に…。
(松本)キワニスクラブへの入会をおすすめするとしたら、どのようなメッセージでお誘いしましょうか。
(木全)キワニスクラブとは、ライオンズクラブ、ロータリークラブと並び称される世界の三大奉仕団体といわれていますが、日本のキワニスクラブは、会員全員が、また、配偶者、家族も一緒になって、一人ひとり素敵な汗をかきながら活動しているクラブです。ご一緒に汗をおかきになりません?
(松本)最後に、お伺いしますが、木全さんにとってキワニスクラブとは何でしょう?
(木全)新しい人格を持つ方々との出会いとご一緒に素敵な活動をさせていただき、充実感を分かち合える魅力的なGroupです。
(松本)本日は長時間にわたり有難うございました。
(インタビューを終えて)
お時間目一杯頂いて、波乱万丈の少女時代や学生の頃、人生のバックボーンをかたち作られたと推察されるご父君のご薫陶、そしてご主人との出会い、その後の様々なお仕事をつうじての幅広いご経験など、多岐に亘ってのお話を伺ったのですが、ポイントを押さえてお話される言葉の端はしに、木全さんの明確な哲学が滲み出ていたように感じました。その一端は、このインタビュー記事の中でも汲み取っていただけるものと思います。
キワニスクラブとキワニアンに向ける木全さんの熱い思いに圧倒され続けたインタビュー初体験でした。
○17年9月: 広瀬駒雄 会員(監 事)
(インタビュアー:藤田純一 会員)

左:藤田 会員 右:広瀬 会員
藤田:9月の「今月の人」は現在、東京キワニスクラブの監事をやっておられる廣瀬駒雄さんにご登場いただくことになりました。宜しくお願いします。
「身代わり」の筈がいつの間にか・・・
藤田:まずキワニスにご入会された動機から教えていただけますでしょうか?
廣瀬:丁度平成3年になると思いますが、オリックスの現宮内会長がメンバーだったのですが、どうしても退会しなければいけない理由ができ、代わりに私がその身代わりの形で入らせていただいたので、「動機としては不純だ」と思っております。
藤田:廣瀬様は現役の時からキワニスの事業企画委員長、事務局長、副会長、監事と多くの役職を歴任されてタイムマネージメントも大変だったと思いますが、これまでの活動の内容とか抱負などございましたらお教えいただきたいのですが?
廣瀬:はじめの頃、平成3年から7年ぐらいまででしょうか、非常にまじめな会員だったと自覚しておりますけれども、皆勤は出来ませんでした。その後、皆勤ギリギリといった状態の時に、事務局の人に教えていただきまして、或る時から靖国神社の掃除に行く、そういったことをしながら、皆勤を取ることができまして、今年皆勤がもらえますと、曲がりなりにも10年間続けて皆勤がもらえるような状況になりつつあります。この間、事業企画委員長というのを拝命するのですが、それもある人から「事業企画委員長を是非やれ」と口説かれまして、事業企画委員長をやってしまったのです。入会の時の「身代わりに入れ」と言われた事もありますし、「絶えず受身でやってきている」という感じは持っております。その事業企画委員長を2年続けてやった時は、正直言いまして、大変でした。何が大変かというと、当時は例会が毎週ありました。毎週ある例会の講師を必ずアポイントを取り付けなくてはならない。外部の人を2回、会員の方2回。月4回から5回の例会講師をまかなうのが非常に大変でした。
藤田:講師の方は、かなり前から予約しておられたのでしょうか?
廣瀬:大体、3月くらい前から話をつけて、その方のご都合が我々の例会の日と合うようにしなければいけないということを2年間やったのですが、正直言いまして、当時はまだ仕事も暇ではない状況でありましたので、一生懸命やりました。結果は、そういった機会を与えていただいたということが、私の今までに無い価値観を持つことができたと思っています。事業企画委員長の2年間というものは、大変であったけれども、今までに経験できなかった事ができたと謂う事で感謝しております。
「会社の為」から「人の為」へ
藤田:その後、事務局長、副会長、監事の役職もご経験されておられますが、キワニスクラブに感じておられる事、ならびに「今後こういうふうにあればよい」といった事がございましたらお伺いしたいと思います。
廣瀬:これは、人それぞれに考え方が違うのでしょうが、私は会社員としての人生の中で感じたキワニスの一番のメリットは、同業者ではない、また今まで自分が生活の中で交際してきた人ではない方とのふれあいができてきたという事ではないかと思っております。自分の今までの人生と謂うのは綺麗事で言いますと「会社の為」、「会社の為」とは言いますが「自分の為」ということをやってきたのが今迄の努力だと思います。キワニスに入りますと、「自分の為」にではなく、今度は、「世の為、人の為」に何かをできるのではないかという、価値観の変化というものが、現実に、自分の体で分かるような気がしてきた事です。
国際社会の中での日本のキワニスクラブ
藤田:有難うございました。今度は、これまでのキワニスライフの中で、最も印象に残っている事というのがございますか?
廣瀬:一番印象に残っているのは、東京キワニスが誕生して40年の歴史があるようですが、その中ではじめて国際理事に佐藤満秋さんが就任なさった時に、若干ではありますが、舞台裏でお手伝いができたという事にある意味では感慨を覚えております。
藤田:海外でのキワニスの活動と日本での活動の違いといった事でしょうか。もし日本のキワニスクラブを改善すべき点があるとすれば、どういう風にお考えになっておられるでしょうか?
廣瀬:非常に難しい問題ですが、日本のキワニスの生い立ちから考えて、キワニスが当初導入された時の精神から外れてしまってもいけないと思います。アメリカで生まれた3つの社会奉仕団体(ロータリー、キワニス、ライオンズ)という歴史的な背景がある中で、日本において40年前に我々の先輩がキワニスを取り入れた時、日本でどういう風に普及させたらよいかという点で、ロータリーにもライオンズにもないといったところを狙ったのだろうと思います。それが、今日ここまで来ているのであろうと思いますが、これを量的に大きく変えてロータリーやライオンズと違った形を考えるというのではなく、質的にロータリーにもライオンズにもない真ん中にある形が良いのではないかと思います。真ん中というのは、ライオンズのように徹底的に規模を大きくしていく、反対にロータリーのようにピュアな意味で会員への拘束を強めていくというのではありません。先輩の選んだ少数精鋭というのはキワニスの今後に於けるレーゾンデイトル(raison d'etre)としては変えてはいけないし、逆にそこから離れていく訳には行かないのではないかと思います。ライオンズというのは非常に大きな組織ではありますが、それから見て、今のキワニスを大きくすれば良いといっても、それを越えるような事を考えるのはおかしいのかなと感じます。「とにかく変えればいいんだ」という訳にはいかない。ロータリーにもライオンズにもないところを目指していくという事は、今後とも引き続き努力をしていかなくてはいけないという事ではないかと思います。徒らに、数を集めればよいということではないと思います。といって、ロータリーと同じようなクォリフィケーションでは如何かと思います。そこにない味を出して、今後とも悩んでいって、簡単ではないですけど、キワニスらしくなっていくのかなと思います。
将来のリーダーとなる若者への支援
藤田:今までやってこられた奉仕活動、ならびにこれからやってみたいと思っておられる活動はどういったものでしょうか?
廣瀬:今後のキワニスのいき方といったものに運命づけられていくのだと思いますが、やはり、チルドレン・プライオリティー・ナンバーワンということはいいと思っています。そこはあまり広げないで、集中していく事が重要だと思います。子供優先という中に、今までは子供に対してIDDというのがありました。今度はキワニスドールということもあります。少しハンディキャップのある子供達に薬を届ける事とか精神的なケアをする事であるということでありますが、これからもうちょっと、子供たちに目を向けるということは同じであるのですが、将来の我々の跡継ぎと言うのでしょうか、新しいリーダーを育てるという意味での子供たちへの何らかのアクションを起こせればよいのかなと思います。特に、サークルKとか色々アメリカで行なっているキワニスの活動の部分ですが、今後日本で力を入れていくとすればその辺かという気がしています。子供の中から将来を背負って立てるようなそういった人へのアクションと言いますか、アシストをしていくのが良いのではないかと思います。
藤田:日本ではサークルKならびに若年層への浸透が遅れているようですが、何をする事が必要なのでしょうか?
廣瀬:そこでは、実際子供たちがやっているところへ入っていく努力が必要だと思います。現実には、社会公益賞とか青少年活動の賞を設けてはいますが、大人が子供に対してやっている事に対する援助、例えば不登校の子供たちに対して親達とか社会とかが行なっている活動、家庭内暴力に対して社会人が集まって色々なことをやっているところへ資金を出すといったことを行なっているのですが、そうではなく、子供が自分でやっている活動へ我々のファンドが向くような形が、本当はいいのかなと思います。
パートタイマーはフルタイムワーカーよりキツイ
藤田:廣瀬様の毎日の生活の中でキワニスの占めるウェイト、ならびに、先程お話いただきました中にもございましたが、キワニスクラブに入って人生観が変わったといった、「生活の中でのキワニス」とはどのような事でしょうか?
廣瀬:今、例会の2週間に1回、皆勤を取るべく50%は出るようにしています。これを一つの評価としますと、あと、私がささやかに会社の取締役を3社ぐらいやっていますが、そういった日常の生活の時間の中で1割から2割ぐらいをキワニスが占めていると感じております。
藤田:これは入会された当初よりも増えてきていますか?
廣瀬:いや、大体同じです。会社人間の時は、会社がほとんどで、その隙間にキワニスですが、会社で暇になりそうだということになって、フルタイムというのではなくパートタイムの仕事を2社3社とやってみますと、フルタイマーで朝9時から夕方5時までいるというのは意外と楽なんですね。パートタイマーになった時、午前中に1ヶ所、午後2ヶ所、夜1ヶ所あるとものすごく大変なんです。だから、「パートタイマーになったからお前さん楽だよね」と他人は言うのですが、僕はフルタイマーの時のほうが楽だったような気がします。そんな意味で、キワニスの比重は前も今もあまり変わっていないような気がしています。
キワニアンライフの楽しみ
藤田:現在の会員に期待される事、また、今後会員になられる方に対するメッセージがございましたらお願いします。
廣瀬:私が感じた事は、業界団体あるいは社内というのではなくて、折角キワニスに入られて、自分達の基盤ではない新しい基盤ができたということをフルにエンジョイして欲しいと思います。社内ですとOBになっても昔の仲間で固まって動かなくてはいけないのですが、キワニスでは、火曜会であるとか例会であるとかといった毎週の事もさる事ながら、3月にはアジア太平洋のどこかの国で、6月には世界のどこかの国で、9月には日本のどこかの地区で必ずキワニアンの集りがあります。これには会の役職の人が義理で何人か出ないとマズイというのではなく、それはキワニアンたる者の世界のお祭りであり、アジアのお祭りであり、日本のお祭りなのだといった視点で、みんなが参加して、積極的にキワニスライフを楽しみにしていったらいいんじゃないかなという気がしています。それは、自分の生活の中で1割2割のウェイトをキワニスが占めているとすれば、例えば旅行だってやはり自分達で行くだけじゃなくて、キワニスの旅行だって1割2割はあっていい訳ですし…。世界旅行は個人で行くのだというのではなくて、世界へもキワニスの旅行で行ったらいい訳ですし、そんな意味では、いろんなレジャーの中にもキワニスライフが何割か位置づけられていていいのかなと思います。仲間で行く旅もいい、キワニスの旅もいい、また同窓会の旅もいい、という。色々なレベルの多様性を保つ意味でも折角キワニスに入ったのだから、キワニスメンバー全員が楽しめるようにしていくべきではないかなと、またそれが本当の意味でのアクチュアルメンバーを増やすことでもあるのかなと思います。今250人メンバーがいるとしますと、アクチュアルは100人かも知れないし、例会も70〜80人がいいところだという現実は、250人をもっともっと増やすということも大切だけれど、250人の中のアクチュアルメンバーが増えることなのじゃないかという気がしてならないのです。皆でそうなるようにしていくのがいいのではと思っています。
レーゾンデイトル
藤田:外部の方にたいして、キワニスクラブへの入会を勧めるメッセージをお願いします。
廣瀬:同じ社会奉仕団体のロータリーとかライオンズとかを引き合いに出して、「ロータリー、ライオンズとは違った、非常に少数で、非常に志が高い人たちの集団だよ」といったことは今後とも引き続き言っていくべきだと思います。ロータリーとかライオンズには一定の価値観が有りますが、これを使いながら、「キワニスは違うのだ」という差別化をしていくのかなという気がしています。やはり、人を誘う場合に、アメリカで生まれたものであるというキワニスのレーゾンデイトルみたいなものを忘れてしまう、あるいは消すわけにもいかないだろうと思います。「建学の思想」といったものは研ぎ澄ましていく、やっぱり「キワニスは違うのだ」ということはずっと言い続けなければいけないと思っています。
藤田:最後に一言で、廣瀬さんにとってのキワニスクラブとは?
廣瀬:先程申し上げたように、「会社の為」イコール「自分の為」とすると、「自分の為」の人生を「世の為、人の為の人生だ」とひとに言えるための具体的な活動の場であるのかなと思います。「吾、キワニアン」との一言で、「世の為、人の為に色々な事をやっているのだよ」という代わりの言葉になっているのかなと、自分にとってのキワニスとはそういう事だという気がしています。
藤田:今日はどうもありがとうございました。
(インタビューを終えて)
廣瀬さんは話題も豊富で大変人気のある方です。火曜会でもいつも談笑の輪に囲まれていらっしゃいますが、今回あらためてキワニスライフに関するインタビューでじっくりお話を伺う好機に恵まれました。クラブのあり方、国際環境の中での日本のクラブ、青少年の育成、会員の親睦などについてお話を伺い、クラブならびに会員の事、奉仕活動について非常に真摯に考え、活動に取り組んでおられる事に感銘を受けました。キワニアンの駆け出しとして、教唆に富むと共に日々の生活の中で奉仕活動とどう取り組むか激励を受けたインタビューでした。(藤田純一)
○17年8月: 木村 太郎 元会長・前日本地区ガバナー
(インタビュアー: 古屋 俊彦 会員)

左: 木村 会員 右: 古屋 会員
キワニスクラブへの入会は趣味の同好のお付き合いから
(古屋)今回は元会長で前日本地区ガバナーの木村太郎さんのインタビューです。
先日ハワイで行われた国際キワニス年次総会からお帰りになったばかりでお疲れのことと思いますが、よろしくお願いします。
まず初めにお聞きしたいのですが、木村さんがキワニスクラブに入会されたきっかけについてお伺いしたいと思います。
(木村)私が入会したのは12年前ですが、元会員の本間崇さんの紹介でした。2年ほど前に亡くなられましたが、お互いにテニスが趣味でお付き合いがあり、本間さんからキワニスのことについてお聞きし、その精神に感銘を受け入会しました。
私は新入会員のリクルートを同好の趣味を通じてお願いしたこともあり、事務総長の佐藤隆國さんもその一人ですが、ゴルフのお付き合いから入っていただきました。
クラブの会長として活性化に尽力、事務局の改革もその一環
(古屋)木村さんの幅広い人脈のなかでも趣味を通じた人とのお付き合いは深いものがありますね。ところで平成15年度の東京キワニスクラブの会長、続いて日本地区ガバナーを務められましたが、その時に最も苦労されたことや印象に残っていることをお聞かせ下さい。
(木村)まず、クラブの会長のときですが、伝統あるこのクラブの活性化に力を入れることでした。年齢構成の高齢化や厳しい経済情勢などから停滞気味になっているのを何とか挽回し、さらに発展につなげていくことが喫緊の課題であると認識し、魅力あるクラブづくりと新会員の獲得・増強、財務の健全化などを進めるため「クラブ活性化委員会」を発足し、皆さんの協力を得ながら進めることでした。例会の運営方法の改善、さまざまな企画行事の充実と会員、家族ゲストの参加促進、新入会員の選考基準の見直しやリクルートの活発化、女性会員の増強などに力を入れました。また、事務局の組織・体制面の改善、冗費の節約などの改革もクラブ活性化の一環として関係の皆さんのご協力を得て進めるよう努力しました。
(古屋)それまでのクラブの歴史や伝統などに配意する必要もあり、大変なご苦労があったと思いますが・・・。
(木村)そのとおりです。格式高いクラブの歴史、伝統とどう調和を図っていくかは重要なことであり、皆さんのご意見をお聞きしながら、試行錯誤を重ねながら努めさせていただきました。その結果クラブも幾分変質を遂げているのかもしれませんが、社会も時代も変わっているのですからクラブもある程度そうなるのも止むを得ないと思います。
日本地区ガバナーとしての活躍(ASPAC名古屋大会、静岡クラブの新設など)
(古屋)東京キワニスクラブの会長に引き続いて国際キワニス日本地区のガバナーをお務めになられましたが、その際のご苦労や印象に残っていることをお話いただきたいと思います。
(木村)地区ガバナーは地区内のクラブ会長経験者の中から選任されるのが本来なのですが、皆さんが固辞されたため私がお引き受けする羽目になってしまいました。その上、就任した翌年の3月には名古屋でのASPAC大会を控えているという大変な時期だったのですが、ホストクラブの皆さんの大変なご努力と日本地区各クラブのご支援をいただいたおかげで内外700名を超える参加者から好評を博し、成功裏に終えることが出来ました。また、静岡クラブの新設をお手伝いしていたのですが、このクラブのチャーターナイトにムアー国際キワニス会長に臨席していただいたこと、併せて東京キワニスクラブの40周年の節目の年であり、この記念行事に国際会長の公式訪問を実現できたことも大きな喜びでした。
(古屋)地区ガバナーとしての立場からいろいろなことに尽力されたと思いますが、特に力を入れたことや提唱されたことを教えてください。
(木村)日本地区のキワニス活動の発展のためには、国際キワニスの掲げる子供に対する奉仕活動を中心に、奉仕の理念をこれまで以上に強調し取り組んでいくことを提唱し続けて来ました。それと会員の漸減傾向に歯止めをかけ、会員に魅力のあるクラブ造りに努めること、さらには女性会員に加わっていただくことや会員の奥様方の支援もいただくような工夫を呼びかけてきました。キワニスが子供への奉仕を標榜しているからには女性の役割が大きいのは自然の流れだと思います。各クラブのこうしたご努力のおかげで地区全体の会員数の減少に歯止めがかかったように見受けられます。また、ガバナーとして22クラブ全ての公式訪問を行い、大変お世話になりましたが皆さんにお目にかかって直接お話しするということは私にとって得がたい経験でした。
キワニス活動の真髄は奉仕の精神・・・、わが国独自の活動の模索を・・・
(古屋)これまでの豊富なご経験を踏まえて、今のキワニスクラブのあり方について、これから取り組むべき活動や、こういう点を改善した方が良いというご意見がありますか。
(木村)米国をはじめ各国ではキワニスクラブの奉仕活動に対する意識、認識が極めて強く、奉仕団体としての目的意識が鮮明で、わが国の場合と比べ温度差というかボルテージの差が大きいような気がします。文化、宗教など精神的なバックグラウンドが異なるからかと思いますが、わが国でも会員の皆さんには奉仕の精神の浸透といいますか、認識を強く持っていただきたいと感じております。これまでのIDD募金活動のほか小児病院へのキワニス人形の提供などに加えて、何か目玉となるようなわが国独自の奉仕活動はないかと模索してきましたが、引き続きこの方向で何か実現に向けてご努力いただきたいというのが念願です。
(古屋)それと先ほどからお話に出ておりますが、会員に魅力ある活動を積極的に行うことと女性の会員の増加や会員の奥さん方に支援・協力をいただけるような工夫をしていくことでしょうか。
(木村)そのとおりです。各クラブとも女性会員が少しずつですが増えており、なかでも2年前に新設された西宮クラブでは夫婦会員と女性会員が男性会員数を上回るというユニークなクラブもあります。
「奉仕の精神」の共有を・・・、自らはその具現化を追及
(古屋)これまでの豊富な経験を踏まえてキワニスクラブの会員一人ひとりに伝えるべきメッセージをお願いします。
(木村)私はキワニスの原点は「奉仕の精神」だと思います。クラブの会長を務めたときも日本地区のガバナーを務めたときもいつもこれを活動、考え方の基本におきました。
今でもその考えを強くするばかりです。キワニスは奉仕活動を通じて社会に貢献している組織であり、我々はその一員であるという誇りを共有することが極めて重要です。奉仕の精神なくして組織そのものがもたず、会員一人ひとりがその意識を共有することからはじまるのではないでしょうか。クラブの会長、地区のガバナーを務めてから一層その気持ちが強くなり、いわば信念に近いものになっています。
趣味はテニス、ゴルフ、囲碁
(古屋)話は変わりますが、木村さんの趣味についてお聞きしたいと思います。
(木村)テニスとゴルフ、それと囲碁です。テニスは週に2回、ゴルフは週1回のペースで続けています。体を動かすことが大好きだからです。取り得は健康と体力です。
(古屋)木村さんはいつも日に焼けて健康でおられる理由が良く分かりました。しかし真に体力があるから続くのでしょう。碁のほうは如何ですか。
(木村)学生時代に覚え、若い頃、日銀から経済企画庁に出向していたときの上司がプロ並みの人で大変強く、その人から手ほどきを受け腕を上げました。その後、3段の免状を貰いました。
(古屋)最後に一つお聞きしたいと思います。木村さんにとってキワニスとは一言で言えば何でしょうか?
(木村)今では私の「生きがい」そのものという感じです。キワニス活動を通じて奉仕の理念を具体化し、実現していくことに繋がるからです。
(古屋)私は昨年12月に入会させていただいた新米会員ですが、木村さんのこれまでの活動や考え方などをお聞きし、随分参考になるとともに大変勉強になりました。
インタビューさせていただき有難く存じています。どうもありがとうございました。
インタビューを終えて
クラブの会長を務められたあと、日本地区のガバナーの重責を担われた木村さんへのインタビュー、少し緊張しておりましたが、キワニスへの真摯かつ真正面からの取り組み、奉仕の精神で貫かれている姿勢、強い信念に心を打たれました。これまでの活動の経過や今後のクラブへの期待などを含めてお聞きしましたが、新米会員の私としても今後のキワニス活動への参加のあり方や考え方の方向を示唆していただいたものと受け止めています。大変良い機会をいただいたものと感謝しております。あわせて、このインタビューの内容がクラブの会員の皆様にも少しでも参考になれば幸いです。木村さんにとってキワニスは今では「生きがい」そのものという最後の一言は大変印象深く、心に強く残っています。(古屋俊彦)
○17年8月: 重成 侃 クラブ新設委員長
(インタビューアー:迫秀一郎 会員)

左: 迫 会員 右: 重成会員
色々な世界の人との交流と子供たちへの奉仕活動に興味をそそられて入会
迫:こんにちは。今日は東京キワニスクラブのクラブ新設委員長として活動してこられた重成さんに、いろいろお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。まず、キワニスクラブに入会された動機は?
重成:東京キワニスクラブには、平成10年8月に入会したのですが、それより1,2年くらい前でしたか、日銀の先輩の芝原会員からこういうクラブに入っているんだよというお話をたまたま伺ったのがきっかけです。
芝原さんのお話だと、卓話には面白いのが多いし、子供たちに対する奉仕を念頭においた奉仕活動もしていて、ロータリー、ライオンズとは一味違ったクラブなので、私はエンジョイしているというお話で、興味をそそられました。ただ、当時は、今の仕事の前ですが、日本銀行を退職して証券系の経済研究所を一つ預かっていて、そこの経営とチーフエコノミスト的な仕事と双方を兼務してかなり忙しい時期だったものですから、今は無理だなと思ってお話を伺っただけでした。しかし、そのお話がずーっと頭に残っていて、その後、前の仕事の退任が間近になり、少し時間に余裕ができてきたので、入会させていただいた次第です。
迫:入会のときに奉仕活動をする団体ということは意識しておられたのですか。
重成:多少意識していました。ボランティア的な活動もいずれはしたいとの思いは以前からあったのですが、それまで仕事に追われ、ボランティアとか奉仕とかまったく無縁の生活を続けていましたから、年を取ったら色々な世界の方と仕事を離れて交流できる機会があればいいなという気持ちと、同時に、キワニスで多少は人のお役に立つことができるのかなという期待みたいなものがあったことも覚えています。
一番の思い出は静岡クラブの新設、チャーターナイトのビールは美味しかった
迫:委員長として2年目になられるのですが、これまでの活動や今後の抱負などをお話しください。
重成:クラブ新設委員長として一番の思い出は静岡クラブの新設です。委員長には一昨年10月になったのですが、当時、東京クラブがスポンサークラブとなって静岡市にクラブを新設する構想があって、私の就任早々の課題は静岡クラブの実現ということになりました。静岡県には当時キワニスクラブは一つもなく、言い換えれば、東海道沿いに横浜から名古屋までの間に全くクラブがなかったのですから、そのあいだに一つは作りたいというのが以前からの念願でした。新しくクラブを作るには、なによりも現地を訪れ、地元の有力な方や会員候補の方々に説明して、入っていただくよう誘うことが大事なんですが、その点、中心になって活動されたのが木村太郎元東京クラブ会長です。当時日本地区会長をされていたのですが、かって静岡に勤務され人脈も豊富であったことから、有力者への働きかけを情熱的になさり、随分賛同者を獲得されました。また、静岡に知人を持つ東京クラブの会員方のご協力も頂いて大変有難く感じたことを覚えており感謝しております。私自身もかって静岡の日銀に勤務していた関係でご縁があったので、木村さんと一緒に、静岡に毎月1~2回足を運び、知人・友人に説明し、女性会員も含め何人かに入っていただくことができました。キワニスの説明パンフレットのほかキワニスドールも持参して説明したこともありました。ただ、新クラブ設立には20人以上の会員が発起人として揃わないとできないことになっていて、それだけの人数が揃うかどうかは、最後まで不安な状態のままでした。チャーターナイト(憲章伝達式と祝賀会)を国際キワニス会長が訪日する昨年3月15日に開くということで目標日を設定していたものですから、期間が半年たらずしかなく、1月になっても10人ちょっとメドがついた程度にとどまり、しかも初代会長候補も決まらない状態でしたから、果たして3月までに間に合うかぎりぎりまで心配しました。間際の2月に入り、駆け込み的に会員が増えて、最後は27人にもなり、予定通りクラブは成立したので、大変ほっとして、肩から重荷がスッと降りたような気がしたのを覚えています。チャーターナイトで乾杯したビールはとりわけおいしかったですね(笑)。
迫:チャーターナイトの時は何名集まったのですか?
重成:チャーターナイトの時は東京クラブから10人ぐらい、国際キワニスの会長、最寄のクラブの会長さんで、全部で60人ぐらい。盛大で地元の新聞にも取り上げてもらった。このことが一番の思い出というか、キワニスライフのエポックなこと、私にとってはそうですね。
迫:地方経済が一番低迷している時期でしたから、会員集めがとりわけ大変だったのでしょうね。
重成:それもありますが、大きな都市では有力な方がすでにかなりロータリークラブなどの会員になっている場合が多いとか、また市長さん、知事さんなど公務員の現役の方は以前に比べいずれの団体でも会員になりにくい社会状況になっている、といった事情もあるでしょうね。
それでも、静岡クラブが短期間に無事誕生できたのは、東京クラブの関係会員のご努力の賜物であると同時に、キワニスの「子どものための奉仕活動」というスローガンが新クラブの会員になられた方々、なかでも女性会員の方々の共感を得たことも大きかったと思います。
クラブ新設には、相当の準備期間と地道な現地活動が必要
迫:クラブ新設委員長として活動されていて、感じておられることを伺いたいと思います。
重成:クラブの新設は、クラブ数がまだ少ない日本地区ですから、とりわけ大事な活動だと思います。キワニスの理念である「こどものための奉仕活動」が活発になり、より多様なかたちで広がっていくためには、クラブ数がもっと多くなり、その結果として日本地区の仲間が増えることが望ましいと思います。別に他の奉仕団体と張り合う必要はありませんが、少なくとも各県に一つづつくらいできれば、全国的に知名度も上がって、それの効果で会員とクラブ数が増えるという相乗効果も期待できるのではないでしょうか。
今後ともクラブ新設は、日本地区でも東京クラブでも、絶えず課題として取り組んでいくべきだと思います。現在、有力候補として金沢を挙げ、中田会長を中心に動き始めています。
迫:今後のクラブ新設活動の参考になることがありましたら、お願いします。
重成:ご参考までに申しますと、クラブ作りは、当初想像していたよりもずっと手間ひまのかかる活動です。クラブ作りには、相当の準備期間が必要で、場合によっては数年以上かけないとできないこともあると思います。早めに候補地を選び、地道に何度となく現地を訪ねて、有力な方に説明し、説得を繰り返す労力を惜しまないことが大切だと思います。また、できるだけ早く初代会長候補のような中核的な人を得ることが、その後の進展を早めることになります。
迫:重成さんのこれまでのキワニスライフで最も印象に残っていることは?
重成:そうですね。2年前にマレーシアのコタキナバルで開かれたアスパック大会(平成15年.3月のアジア太平洋地区大会)に参加したときのことでしょうか。国内の日本地区大会も他クラブの会員と交流できて楽しいものでしたが、初めて参加した国際大会でアジアの会員との交流は初めてでしたので、アジア各国の会員が懇親パーティーでお祭りのように踊ったり、ゲームに興じて、心から楽しんでいるのが印象的でした。人なつっこい人が多く、私も一緒に踊ったりして大いに楽しみましたが、こういうことで、国際的な連帯感も生まれるのだなあと思い、色々と刺激を受けました。
迫:日本人のようにシャイなところがないですね。
重成: そうですね。しかも非常に真剣ですね。 一方で、アスパックの役員選出選挙で候補者のアッピールや各国間の駆け引きなど、各国が非常に精力的、意欲的に当選を目指す活動をしていたのにも、ちょっと驚きました。私は当時地区の事務総長を仰せ付かっていた関係から日本地区の票のうちの一票を頂いていたので、身近に真剣な役員選出の投票を見て、国内の地区大会にはない強い自己主張を聞き、ある意味ではキワニス活動に真剣に取り組む姿勢を見たと同時に、国民性の違いみたいなものも感じさせられました。
キワニスクラブはフランクな個人の付き合いをしながら社会貢献をする楽しいクラブですね
迫:これまでどんな奉仕活動に参加されましたか。これからやりたい、或いはやるべきだと思っておられる活動はありますか。
重成:私が参加した奉仕活動は、ドール作成や靖国神社清掃、IDD(ヨード欠乏症撲滅)募金など皆さんがなさっていることをした程度です。ドールをはじめて作ったときは、私は針仕事などしたことがない上に左利きなので見ていて危なっかしかったらしく、縫い上げの最後のところは事務局の宇田川さんに手伝ってもらって、一緒にやった会員の方に笑われながらやっと出来上がりました。今はなんとか自力で作れるようになりましたよ。
キワニスクラブがドールのように自分で身体を動かして行う奉仕活動を以前よりも積極的にするようになったのは、大きな前進だと思います。こういう地道な活動が結局は長続きして、成果につながるのでしょうね。
こどものための奉仕活動については、キワニスドールのほかにも、いろいろ多様な広がりが出てくるようになればもっといいんじゃないかなと思います。会員の方が何かいいアイディアを思いついたら、ボランティア委員や委員会に話してみると、新しい活動が生まれるかもしれませんね。
お前はどうなんだと言われると困るんですが、一つ感じているのは、最近、こどもが家族や友達を殺傷する悲しい出来事が続いているので非常に心が痛みます。こどもたちの心になにか働きかけるようなことはできないものか、自分が読んで感動した本をプレゼントするとか、という思いがあります。
迫:会員にお願いしたいこと、或いは感謝することなどありましたら。
重成:キワニスクラブは、会員が個人と個人という対等な関係でお付き合いしながら社会に貢献していく団体ですから、社会的な地位とか職場内の上下には関係なく、フランクに人間対人間としてお付き合いできるのが良いところだと思います。会員の世代が若返っていくのに伴って、そういう自由でフランクな雰囲気は従来以上に出来つつあると思います。これからもこの雰囲気を失うことなく、ぜひ楽しいクラブライフを続けていけるといいなと思います。
迫:同感ですね。私も前に広島や大阪でキワニスに入っていたのですが、夜間の集まりも多く、とても自由で楽しい思い出をいっぱい作ることができました。社会的な地位に関係なくお付き合いできるところがありがたいです。
重成:会員には尊敬できる方が多く、そういう方々からはお話だけでなく、キワニス活動での行動や姿勢を通じても、教えていただくことが多いように思います。また、遊ぶほうでも楽しいお付き合いをさせていただいて、有難いと思っています。そんなことで、キワニスに入って良かったなと思うことが多いんです。
迫:外部の方に対して、キワニスクラブへの入会をすすめるメッセージをお願いします。
重成:キワニスクラブは楽しいクラブだということをまず申し上げたいと思います。奉仕活動の楽しさとか社会に貢献する充実感を味わい、同時に会員や他クラブとの交流を通じて良き友、良き師に接することもできる、という意味でなかなか得がたい集まりではないでしょうか。
迫・重成:今日はどうもありがとうございました。
インタビューを終えて
いろいろとお話を伺いましたが、重成さんは非常に物事を真摯に受け止められる方だという印象を強く感じました。大変お恥ずかしいのですが、私は、奉仕ということに深く思いを致していなかった事を重成さんから教えられました。人生の後半生を一層充実させてゆくためにも、先輩の方々の背中を見ながら更に学んでゆきたいと思います。(迫秀一郎)
○17年7月: 佐藤 満秋 国際キワニス理事
(インタビュアー:伊藤 康成 会員)

左: 伊藤 会員 右: 佐藤 会員
日本人唯一人のキワニス国際理事―永年の願望にこたえ立候補
伊藤 今回は日本人初の国際理事として意欲的に活躍されている佐藤満秋氏に、インタビューすることになりました。どうぞよろしくお願い申します。
まず、日本地区から初めて国際理事に就任された経緯からお話ください。
佐藤 2001年に私が日本地区のガバナーになって、事務局のほうが是非日本から国際理事を出したいと。アジアには8つの地区があって、日本、韓国、台湾、フィリピンには2つ、オーストラリア、サウスパシフィック(南太平洋とニュージーランド)。その時はまだ7つでその後にマレーシアが出来たんです。中でも日本のキワニスは1番歴史が古くて、1番最初の東京クラブはもう既に40年の歴史を持っているんですが、その間歴代ガバナーで1人も国際理事になろうという人がいなかったんです。他の国は全部出しています。だから日本から国際理事を出すというのが永年の願望で、それで私がたまたまガバナーになったというので「佐藤さんがなる以外にない」という強い希望がありまして、私も「それじゃあ」ということで決めたんです。
強敵と一騎打ちの選挙
佐藤 選挙は1地区につき基礎票5票、それにプラスして国内のクラブ数25ごとに1票ですが、日本の場合、当時17のクラブで(現在22)5票しかない。さらにデリゲート・アット・ラージ(拡大代表)といって過去のガバナー経験者や、アジアパシフィックのボードの役員を務めている人は投票権があるんです。2001年、タヒチのアジア大会には日本からそういう人たちが3人参加しましたから日本は8票持っていたわけです。デリゲートいわゆる代議員という人たちがタヒチという遠隔地だから少なく、総投票数が54票で、私とニュージーランドのレックス・キー(現在国際理事)との一騎打ちになりました。レックス・キーはアジアパシフィックではボードのチェアマンをやったり、もう良く知られている男で、当時事務局に30年くらいいた塚本さんが「イヤー佐藤さん、レックス・キーとじゃね、勝ち目がないかもしれません。」なんて言われてまして「もう名誉の撤退でも」という声もありましたが、「とんでもない!」と。3年間、それまで運動してきたわけですから。「いまさら引けますか!」。結局私が31票対23票で勝ちました。
KIFの経験を活用して周到な根回し
佐藤 作戦としては、私はまず台湾と韓国のサポートを得ようと。それには二つの地区の実力者にお願いしますと話をつけたんです。私はそれまでにキワニスインターナショナルファウンデーション(KIF)という財団があるんですが、その理事をやってたんです。キワニスの国際組織にはキワニスインターナショナル(KI)と財団とがあって、財団はインデペンデントな活動をしているんです。日本からはKIのプレジデントに指名されて木戸さん(木戸孝允の曾孫)が1995年にKIFの理事になったんです。ところが2年やったところでガンになっちゃいましてね。もう出来ないと。それで1997年から、私が後任に指名されて木戸さんの任期の残りの1年をやったところで、KIのプレジデントからもう3年やれということになって、4年やったのですよ。その間に本部の職員も知ったし、本部の歴代役員をやった人とも顔見知りになった。同時に台湾・韓国の実力者とも顔見知りになった。そういうのに全部根回しをしたんです。フィリピンについてもつながりを通じて、話をしたんですが、実際に蓋を開けてみると全く私に投票してくれてなく完全に裏切られたことが分かりました。
ハードな会議で積極的に発言:国際理事の仕事
伊藤 国際キワニス理事はどういう役割を務められるのですか。
佐藤 私はアジアパシフィック選出の理事ですが、その代表というのではなく、世界全体でキワニスをどう良くしていくかを考えてやっていくのが仕事です。理事会は年に6回、偶数月にあります。主としてインディアナポリスにある本部で、15人の国際理事(アメリカ9、カナダ1、ヨーロッパ2、アジアパシフィック2、他にラテンアメリカを含むその他の世界1。)に本部から4人、プレジデント、次期プレジデント、前プレジデント、バイスプレジデント兼財政担当理事で、この19人で議論するんです。最終的に議論が分かれたときはプレジデントが決めます。
会議は金、土、日で、必ず土、日は使います。朝8時場合によっては7時半から夜の5時まで、ずーっと。それで昼飯は12時から1時まで、会議場の隅に置いてあるサンドイッチか、パンにハムかトマトを入れて好きなドレッシングをかけて。飲み物はアルコールは一切無しで、コカコーラとアイスティー。それで昼飯は終わり。それが終わると5時まで会議で忙殺される。6時くらいから、一応、ホスピタリティーといって宿舎のホリデーイン・ノースでプレジデントのスウィート・ルームに行ってアルコールありの懇談会。7時頃からレストランでディナー。そういうのが本部の会議です。
私は、インターナショナル・リレーションズ委員会の議長をやっていましたので、このための会議が主として金、土に行われ、役員会は土、日が多かったです。
活発なポリテックス
佐藤 それからカウンセラーといって、役員が世界に大体50ある地区を1年につき2つか3つくらいずつ手分けして訪問する。私は去年はウェスタンカナダ、サウスウェスト(テキサス)ともう1つは台湾に行きました。そこの地区大会で私が本部代表としてスピーチしたり、質問に答えたりしたんです。
本部でのポリテックス―彼らが言うんですけどね―要するに政治的な動きっていうのがものすごくあるんです。なぜかと言うと世界のトップであるプレジデントになるというのは、もう、彼らの永い間の強い願望であり、必死でいろんな形の動きをやっているんです。例えばカルネバダといってカルフォニア、ネバダ、ハワイの地区ですがこれはものすごく大きいんです。そこの地区にはクラブの数も多いし投票権の数もものすごく多い。そこに誰がカウンセラーで行くか。我々外国人は絶対行かしてくれない。もうプレジデントが自分の後継にしたい人を勝たせようとして行かせる。そういうのがポリテックスと言うんですね。
押し切られても正論を主張し続ける
佐藤 今度本部にオーデトリアムといって要するに記念のための講堂みたいなのを作ろうという動きが出ているんです。そのために1.8ミリオンドル(約2億円)の金で建てるんですけど、私はそれを強硬に反対し続けてるんです。そんなもの作ったって世界の他の国のキワニアンには何の役にもたたないじゃないかと。アメリカのキワニアンがそこに来ることはあるかもしらんが、それよりも今いろんな形で財政問題が出ているわけですよ。例えば今度、来年の大会開催地をローマからモントリオールに変える問題でも、ローマでやれば100万ドル(約1億円)の損失が出るわけですよ。そういうときに、そんな物を建てることを考える場合かって一人で反対してるんです。ところがアメリカの人達はもうそれを作ることにものすごく意欲を燃やしてて、私がいくら言ったって犬の遠吠えみたいなもんですよ。それを記録に残すかって言うから残すようにと。他の問題でもその都度私が反対をするものですから、もう何でも反対するという風に思われているかも知れませんけどね。他の理事が言わないものですから。
理事の再任はできない。次の日本人理事選出には計画的準備が必要
佐藤 地区から出た理事の任期が3年で終わるでしょ。そうすると次の年はダークイヤーと言ってその地区から候補者は出せないんです。今年3月の選挙(メルボルン)ではマレーシアとオーストラリアとフィリピンが候補を出してきて、マレーシアが当選したんですが、このマレーシアの3年が終わるとき、又は今台湾の理事が1年たっていますからこれが終わるときには、また日本が出せるんです。他の国はもう皆んななりたいって言う人がいっぱいいる。日本だけは本部の役員というのは私が空前なんです。絶後かどうかは分かりませんがね。日本でもこれからは若い人でこの人という人がいれば、まずガバナーにしていく。その人がガバナーの後に今度は選挙に出る根回しをしていく。台湾とか韓国とかからサポートをもらわないと日本は当選しません。そのようなことを計画的にやって、今後、日本がもっと本部での国際的な場で活躍するような人たちを育てていく。それを今から真剣に考えていく必要があるだろうと思います。
赤澤元会長の勧めで入会
伊藤 キワニスクラブに入られた動機は?
佐藤 私は通産省にいたものですから通産省を卒業してジェトロの理事になったときに、通産省の先輩でチャーター・メンバーであった赤澤(璋一)さんが-理事長で、それで赤澤さんから「お前ももう卒業して社会人になったんだからキワニスに入ったらどうか」と言われて、「キワニスってなんですか?」って言ったら、「ロータリー、ライオンズと同じような世界3大社会奉仕団体だ。」と言われまして、それで、「分かりました。入りましょう。」って。自分で積極的に入ったというよりも赤澤さんに誘われて入ったんです。
21世紀はボランティア活動に取り組む時代
佐藤 私も現役時代は全く興味なかったですし、社会奉仕団体なんて何をやっているんだと思ってましたくらいでね。こういう形でキワニスに長いこと携わってきますとやはり社会っていうのはお互いがいろんな形で、助けたり助けられたりという形で成り立っているんだなあというのがだんだん分かってきました。それから、今、21世紀はNPOの時代だと言われています。そうするとNPOというのはボランティア活動ですよね。我々ある意味で人生での現役が終わってきたり、それから現役の人も含めて、21世紀にはボランティア活動というものを我々の生活の中に取り組んでいく時代だろうと思うんです。その時に我々がやれ新潟地震だとか何とかで行って救助作業ができるほど体力はないですよね。そうなると一つはお金でできること、それからまた我々の例えばキワニスドールのような我々の体力でできるようなことをキワニアンとしてはやっていくことが我々のボランティア活動だと思うんです。お金の面で貢献するということでは、私はこの4月に本部の財団、KIFに2万5千ドルを寄付しました。私の毎日の生活の中でキワニスが占めているウエイトは、アメリカにしょっちゅう行ったりしていることを含めて大きいことと、今、一つは人生観としては今言った様な形でやはりボランティア活動をやっていくことが必要だと考えているからです。
多くの人とボランティア活動とクラブライフを
伊藤 会員の皆さんにお願いしたいこととか感謝したいこと、あるいは会員でない方へのメッセージなどございますか。
佐藤 21世紀はボランティア活動の時代に入ってきていますから、我々のできるボランティア活動というのは、キワニスに入ってそれでボランティア活動をしながら、なおかつ同時にいろんな人の話を聞いたりのメリットもあります。又、ゴルフやったり、大会とかそういうこともあるから、というので皆さんにはできるだけメンバーを増やしてもらいたいというのが一つですね。それからもう一つは将来的に本部で活躍するような人たちを、もう我々が考えていかなきゃならんだろうということです。あるいは感謝ということであれば私の人生においてボランティアというものを教えてくれ、私自身が実践するようになったことについてはキワニスに感謝しています。
まだ会員でない方にも、21世紀というのは、ボランティアをやったり、NPOを主体とした活動の時代に入ってくるでしょうと言いたいですね。NPOといってもいろいろあるんで、その中でキワニスはNPOの走りのわけですよ。1915年にできたんですから。NPOの走りに参加することによってボランティア活動をやるということは非常に意義あることではないでしょうか、と申し上げたいです。
伊藤 今日は詳細かつ率直にお話いただき、改めてキワニスの活動の広がりと意義を知ることが出来ました。長時間にわたり有難うございました。
○17年7月: 日下部 健 会員(青少年教育委員長)
(インタビュアー:佐藤 英彦 会員)

左: 佐藤会員 右: 日下部会員
苦労した銀行時代。これからの前向きな攻めの戦略に期待したい
佐藤) 本日、日下部さんにお話を聞かせて頂きますが、実は、私、昨年まで警察庁長官などをしていた役人でしたから、受けたことはあってもインタビューするのは初めてでして、下手くそですが宜しくお願いします。
日下部) いやー お互いに話を交わすということでやりましょう。(笑)
佐藤) 現在は証券業界におられますが、10年前までは日本興業銀行で役員をしていらっしたと伺いました。苦難の時代もあり、ご苦労が多かったと思いますが、思い出深いことを一つ二つ挙げて頂くと致しますと・・・。
日下部) 感慨深い出来事ということで申しますと、証券部の課長のときでしたが、銀行法が改正になり、銀行の証券業に対する自由度が高まった昭和58年頃のことです。公共債取り扱いの仕切り役のようなことをしておりましたので、証券業界との利害調整やら発行体である大蔵省や自治省などとの連絡調整に苦労したことでしょうか。
佐藤)今伺って思い出したのですが、昭和54年に、主要な銀行の皆さんとセキュリテイのことも含めてアメリカの銀行事情を視察に行きました際、アメリカは他業種との境がなくなって大変だが、日本も遠からず銀行間の競争が激化して"銀行冬の時代"が来るかもしれないと感想を漏らされた方がおりました。
ところで、失われた10年と言われる苦難も経てこられた先輩として、今日の金融・経済情勢についてご感想は如何ですか。
日下部)いわゆるバブル期に銀行に身を置いていた者として、後に不良債権を生む結果をもたらしたことについて責任を感じておりました。それだけに、今日それが清算されつつあることを大変嬉しく思っています。
その後、欧米の戦略もこれありで我が国は世界の金融界に劣後する状態が続きましたが、これからは、前向きに攻めの戦略で手が打たれていくものと思います。
そもそも金融は実体経済のシャドーですから先走るものではありません。自動車、エレクトロニクスをはじめ、技術的コスト的に世界に優れた我が国の産業と、表裏一体となった資本市場の発展が図られていくものと思います。
「楽しい会があるから入らないか」と誘われて入会
佐藤)今伺った経歴そして10年証券界におられる日下部さんがキワニスに入られたのはどのような所以からでしょうか。
日下部)95年に銀行を退職しましたが、98年に義兄の藤原会員から「楽しい会があるから入らないか」と誘われまして。何度か例会に出ていたんですが、翌年、勤めていた証券会社が合併を発表しまして、それどころじゃなくなったのです。合併後、01年に新光証券の社長になったのですが、証券のマーケットがさっぱりでして業績は停滞に次ぐ停滞で大変でした。
03年にお役御免となりましたのでキワニスでも漸く実働しだしたところ、早速中田会長から青少年教育委員長に指名されまして・・・。
佐藤)私は日下部さんと違って決して業務多端ということではないのに休会一歩手前の活動低調者なのですが、このような会員に何かアドバイスを頂けますか。(笑い)
日下部)堅苦しく考えないことじゃないでしょうか。出ねばならないとか、活動せねばならないとか。私も休眠状態からは出にくかったですよ。存じ上げてる方が多い方ではなかったですし。キワニスには楽しい催しが沢山あります。歌舞伎とかビール工場・防衛庁など幅広い分野の見学会とか。それ自体楽しいですし、参加しますと自然に顔なじみが増えます。
佐藤)キワニスに参加して良かったとお思いですか?
日下部)良かったですね。なにしろ、いいお仲間が多くて楽しいですよ!
現場で辛くて苦しい活動をしている青少年ボランティア団体を支えて行きたい
佐藤) ところで、自分が所属していて伺うのもなんなのですが〜何せ不良会員なもので、青少年教育委員会のことを教えて頂けませんか。また委員長としての抱負などをお聞かせ頂ければと思います。
日下部)キワニスは、なんと言っても奉仕が一番の目的な訳ですが、その中で青少年教育委員会は、社会に貢献するボランテイア活動をしている青少年の団体等を拾い上げて表彰することを通じてバックアップしていく活動をしています。
さまざまな現場で辛くて苦しい活動をしているボランテイアの方を我々なりに支えていく。しかも一回の表彰で終わることなく、こうして繋がりのできたグループとできるだけ長く付き合い、我々のできるサポートをしていきたい。彼等から、こんなことが出来ないだろうかと相談される、そんな状況にしていきたい。そして一つでも実現できればと思っています。
このあとも、青少年のこと、大人の責任や学校教育のこと、少子化と人口問題のこと、年金のこと、国家目標のこと、経済の先行きのこと、治安のこと、外国人労働者受け入れのあり方のこと、キワニスの奉仕活動の意味と制約のことなど話題は多方面に亘り、熱く語りあいました。しかし、スペースに限りがあることでもあり、今回は割愛したいと思います。日下部さん、有難う御座いました。
(文責 佐藤)
○17年6月: 大堀 太千男 前会長
(インタビュアー:小野 洋一郎 会員)

左: 小野 会員 右: 大堀 前会長
40周年という節目の年で緊張の連続でした
(小野) 6月の「今月の人」は大堀太千男さんに登場していただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
大堀さんは前年度東京キワニスクラブの会長を勤められましたが、いま振り返ってみてどんな感想をお持ちですか?
(大堀) 16年度は東京キワニスクラブ設立40周年という節目の年であり、この記念すべき年に会長を勤めることができ、大変光栄に思っています。
その1年を振り返ってみると、常に頭の中にあったのは記念行事をいかに成功させるか また懸案であったクラブの活性化をどう進めるかなどまさに課題の多い緊張の1年でしたね。
(小野) ご苦労も多かったかと思いますが、結果は大成功でした。
(大堀) 役員をはじめ会員のみなさんが献身的な協力をしてくれまして、とてもありがたかったですね。
例えば記念行事の打ち合わせを週2〜3回行なったこともありましたが、みなさんが時間を都合して集まってくれるなど大いに盛り上げてくれました。みなさんに心から感謝しています。
クラブの活性化の点では、前年にプロジェクトチームを立ち上げ、会員の減少化にどう歯止めをかけるかを議論しました。そして40周年記念特別措置として入会金の減額を木村会長が決断されました。この特別措置は今年も継続していますが・・・・・
多くの会員が会員拡大に真剣になって取り組んでくれて、おかげさまで51人という最近にはない多くの新会員を迎えることができ、日本地区からも表彰されました。
(小野) うれしかったこと、つらかったことなどたくさんの思い出があることと思います。本当にお疲れさまでした。
キワニスの先輩に勧められて入会
(小野) ところで東京キワニスクラブへ入会されたきっかけは?
(大堀) 警視総監を辞めるときに先輩から勧誘されました。これまでと違った形で社会にお役に立てればと思っていましたし、知らない分野への興味もありました。
入会して感じたことはいろんな分野の人がたくさんいて、お付き合いいただくなかで物の見方、考え方が大いに参考になりました。とても新鮮に思えました。いまでは友人に「こんなクラブに入っているんだ」と胸を張って言えますよ。
(小野) 入会されてから思い出に残ることは?
(大堀) ボランティア活動委員長をしていた頃でしたが、国際キワニスクラブで子供への奉仕活動としてIDD(ヨード欠乏症)撲滅活動が展開され、募金活動が始まりました。このIDDというのは日本では馴染みがなく、会員に理解してもらうのに苦労しましたが、例会のたびに募金を呼びかけた結果、5万ドルの目標を達成し、大きな貢献ができたと思っています。
(小野) 他にはどんな活動をされたのですか?
(大堀) 事業企画委員会に属して、ファミリーデーや忘年会で受付をよくやりました。新米の頃は会員の名前がわからず苦労しました。
バザーでは目利きの名人!?
(小野) バザーといえば、大堀さんは値段つけ、目利きの名人 バザーのプロと言われていますね。
(大堀) そんなことは無いですよ。それは人を働かせるための方便です(笑)
でも値段をつけるというのはむずかしいですね。提供された人の顔が思い浮かんでしまい、売れなければ困るので値段を下げる でも下げすぎても失礼になる。また女性物は男にはわからない。以前は女性会員が少なくて事務局の女性を頼りにしていました。
ファミリーデーはとても楽しいですよ。奥様から「またこんなもの買ったの!」と怒られたり、買った荷物を両手に抱えて持ってかえる会員の姿などほほえましい家庭を垣間見ることもできますね。
阪神・淡路大震災を経験して・・・
(小野) 話は変わりますが、平成4年9月から約3年間 阪神高速道路公団の
理事長をされているときに、阪神・淡路大震災を体験され、平成8年12月の例会で貴重な経験をお話されていますが、その後に入会された会員も多くいますので、体験から得たことをお話していただけますか?
(大堀)
・被害の実情把握が大変・・・頼りになるのは自転車とコイン式の公衆電話情報が無いところが一番の被害
・マニュアル通りにいかない・・・人が集まらない だから非常対策本部の電話機がどこにあるかわからない(情報の共有が大事)
・向こう三軒両隣のお付き合い・・・避難所で初めて隣の人と顔を合わせて名乗りあう。当番の仕組みが無く救援物資の配給に時間がかかった
・地震直後にはボランティアを組織するシステムができていなかった
・自然の力はあなどってはいけない。だからこの経験をもう一度活かすようなことにはもう遭遇したくないというのが本音ですね。
(小野) 貴重なお話をしていただきありがとうございました。いま勤務されている財団法人交通事故総合分析センターの仕事の内容を
お聞かせいただけますか?
(大堀) 交通事故は 人・車・道路の3つの要素から構成されています。それを総合的に分析して本当の原因を追求し、今後の対策に役立てる仕事です。キワニスとは形の違う社会奉仕だと思います。
楽しみはゴルフと囲碁
(小野) どんな趣味をお持ちですか?
(大堀) ゴルフ暦は長いのですが、途中仕事の関係で中断があってキワニスに入って再開しました。去年の春・秋のコンペでは優勝しましたが、今回は何とブービー。ショックでした。私のスイングは華麗だと誉めてくれるんですがスコアの方は誰も誉めてくれないんです。「スタイル シングル スコア ビギナー」と言われ続けて数十年。華麗は加齢かも知れませんがね(笑)
もうひとつは囲碁です。中学生のとき父から教わったのですが、大学に入ってマージャンを覚えてしまいあまり伸びませんでした。でもボケ防止にはいいですよ。東京キワニスクラブには同じ趣味の人もたくさんいるので同好会をつくりたいですね。幸いにも会員に藤澤一就プロもいますので・・・・
孫は何と言ってもかわいいですね
(小野) ここでご家庭での大堀さんを知りたいのですが・・・
(大堀) 外見上はご覧の通り健康なのですが、最近物忘れが激しくなってすぐ「あれどうした!あれ!」と代名詞が先に出てしまうんですよ(笑)
2階の書斎へ上がっていって「何しに来たんだっけ!?」ということもよくあります。長男には小学校5年生と2年生の孫がいます。かわいいですね。二人とも女の子です。長女には1歳半の男の子がいるのですが、チューリッヒにいるのでなかなか会えなくてメールで写真などを見ています。会いに行きたいですね。
(小野) 大変ほほえましいご家庭の雰囲気が良く伝わってきました。今年1月の週刊朝日の「縁あって父娘」の記事の中でご長男の奥様は"家族思いで優しくユーモアのある父。いつもマジックで楽しませてくれますが、トランプの神経衰弱では 孫に負けたと苦笑しています" と書いてありました。
最後にキワニスの先輩としてアドバイスがあったらお聞かせください。
(大堀) これまで先輩の会員たちは特に新入会員に対して"積極的に声をかけましょう"と努力してきました。最近多くの新会員が入ってこられ、例会にもたくさん参加してくれています。是非新しく入られたみなさんも先輩たちからいろんなお話を伺い、コミュニケーションの輪をもっともっと広げていって欲しいと思います。
(小野) 今日はいろいろと貴重なまた楽しいお話を聞かせていただき、どうもありがとうございました。これからも前会長としてますます活躍していただきたい思います。
○17年6月: 岩本 龍人 会員(レクレーション委員長)
(インタビュアー:堀井紀壬子 会員)

左: 岩本 会員 右: 堀井 会員
愛知万博ツアー、裏方の苦労話
堀井: 今回はキワニスクラブの楽しいことを全部企画しているリクリエーション委員会の名委員長岩本龍人さんのインタビューです。
まずは5月15日16日の愛知万博ツアーお疲れ様でした。昨日の火曜会でも参加されたみなさんがとても楽しかったと大好評でした。岩本さんはリクリエーション委員会の委員長として、ツアーの準備実施にご尽力されたと思いますが、まずそのあたりのホットな話題からお話ください。
岩本:2月18日の例会で愛知万博の坂本副会長がお話になったあと、皆さんから万博に行きたいからツアーを組んでくれないかという話がちらっと出たのですが、とても混雑しているだろうし、旅行の手配が難しいことは十分予想されましたので、その日は無視して自宅に帰りました。そうしたら、翌日、川崎事業企画委員長から自宅にお電話いただき「万博見学ツアーを、是非企画してほしい」ということで、ではやりましょうということになりました。
幸い息子がJTBの前橋支店の国内旅行を担当していましたので、「駄目もと」で調べてもらいましたら、名古屋の東急ホテルが5月15日だけ、なんと10部屋20名分あいていたのです。最後は40人分の部屋が確保できたのは、本当にラッキーでした。これまでのキワニスの旅行の経験では、直前のキャンセルもしばしば起こることなので、息子からもホテルからも「大丈夫ですか?」と何度も念を押され、ヒヤヒヤしましたが、おかげさまで無事ツアーを成功させることが出来ました。2ヶ月間のあいだ、この旅行のために、毎日キワニスの仕事をしていたような気がします。
仙台でキワニスクラブに入会、東京での驚き
堀井: 本当にお疲れ様でした。JTBやホテルにも迷惑をかけず、皆さんに喜んでいただいて岩本さんの苦労も報われたのではないでしょうか?
それでは、岩本さんのキワニスクラブでの、ご経験を伺いたいのですが、まず入会のきっかけを教えてください。
岩本: 1980年代の後半、JTBの東北営業の業績が悪化していましたので、1987年に営業副本部長として、仙台に赴任しました。当時仙台プラザホテルの副社長の青木氏から、「仙台ではNo.2はキワニスに入会するのが決まりだ」といわれ、本当かなと思いましたが、半ば無理やり入会させられました。
本業の東北営業の建て直しは順調に進み、1年で黒字転換しましたので、仙台には2年いただけで、次は首都圏人事部長として東京に戻りました。そのとき、東京にもキワニスクラブがあると聞き、例会に行ってみて驚きました。
1989年当時、メンバーが本当にすごい方たちばかりでした。なにしろ、ほとんどが、東京帝国大学(東京大学ではありません)法学部出身で、私の母校慶応出身者はパラパラ、ほかは京都帝国大学法学部と早稲田が少数だったのです。私は仕事柄、運輸省や通産省の役人とはお付き合いがありましたが、元大蔵省事務次官とか、最高裁判事などという方たちには面識がなかったので、本当に凄いクラブで、仙台で「No.2はキワニスへ」などといわれたことは大嘘ではないかと思ったものです。
あとで伺ったところでは、民間企業は一流企業の常務以上で無いと入会が認められない、私のような役員にもなっていない人間はまず入会は無理ということだったのですが、仙台でキワニスクラブのメンバーになっていたので、仕方がないということで、愛澤尚太郎さんと、元自衛隊の東北方面総監をなさったことがある濤川馨一(現在会友)さんの紹介で、無事に東京キワニスクラブに入会を認められました。
堀井: 当時の例会はどんな雰囲気だったのですか?
岩本: 幸い勤め先のJTBと経団連会館が近かったので、毎週金曜日は会議を入れないようにして、せっせと例会に通いました。出席率はよかったですね。何しろ、当時私は50歳にもならず、メンバーの多くが明治、大正生まれですから、たぶん当時は最年少のメンバーだったのではないでしょうか。本当に一流紳士のクラブという感じで、サラダを食べるのもフォークで野菜をつつくなんてことは許されない、皆さん、ナイフとフォークを上品に使って召し上がっていました。
堀井: ということは淑女は当時いなかったということでしょうか?
岩本: 女性の入会については、当時大激論が交わされていました。諸外国のキワニスクラブには女性会員がいるし、これから予想される会員数の減少に備えるためにも女性会員を入会させたらどうかという当時の事務局の提案に対して、大反対している先輩がいらしたことを覚えています。
その後、仙台に再度東北営業本部長で転勤となり、3年間、東京キワニスを休会して戻ってきましたら、女性会員がいましたので、びっくりしました。
ほかでは聴くことの出来ない卓話のすばらしさ
堀井: 岩本さんがせっせとキワニスクラブの例会に出席された理由はなんだったのでしょう?
岩本: それは卓話のすばらしさです。 キワニスクラブに入っていなかったら決してうかがうことの出来ないようなお話を毎回伺いました。元大蔵省事務次官の長岡実さんからは、国鉄民営化の大蔵省としての見方を伺うことが出来ましたし、また、関野さんから伺った第2次大戦末期の連合艦隊参謀長にまつわる秘話も、キワニスのメンバーだからこそ伺えた話です。
また、海外についての情報も豊富で、アメリカの大統領選挙のときには、グレン福島氏を招いて予測を伺ったりしました。当時最も印象的だったのはインド大使の卓話です。 彼は「キワニスの会員は日本でも裕福な方たちであろうが、インドにはあなた方と同じような富裕層が5000万人いる。 なぜ、日本人はインド人の平均所得だけを見て貧しい国と思うのか? なぜ、実態を正確に把握して、ビジネス上のパートナーや、可能性のある市場としてインドを大切にしないのか」とう大変示唆に富む話でした。
普段、自分たちの周りの人からは聞けないすばらしい話が数多く聞けたことが、自分にとっても本当に勉強になりました。
堀井: 私たち新入会員も、過去の素晴らしい卓話を伺いたいものです。
岩本: 毎回の例会の議事録を読み返してみても勉強になりますよ。 私は入会以来の例会のほとんどの議事録をファイルしてあります。きっと事務局には過去の例会の議事録が保管されているでしょう。
堀井: いつか、そのような過去の卓話で差し支えの無いものをアーカイブで、会員に提供してくださると、次の世代に先輩たちの素晴らしい話を引き継げますね。
反対に昔のキワニスで岩本さんが「これはいけないな」と思ったことはありますか?
岩本: 偉い人たちのクラブだったからでしょうか、経団連会館に黒塗りの車で並ぶのはよいとして、なかには、靖国神社の慰霊の泉の清掃にも車で乗りつけ、運転手さんに掃除をさせた会員もいたとかで、これは奉仕の精神ではないとして、ご自分で清掃してくださいというお達しがでたみたいです。また、お金で寄付するだけでなく、もっと体を使ったボランティアをしようという提案に、お年寄りが反対されたとか、キワニスのボランティア精神の実行より、紳士クラブの色彩が強く、先輩・後輩関係も厳しくて、とても固い雰囲気で、私のような若造はくつろげなかったです。今はキワニスドール製作など、みなさんがやっていて、その点では良くなっていると思います。
堀井: 新人にも皆さん親切にしてくださいます。
さて、ではいよいよ岩本さんとリクリエーション委員会とのかかわりをお聞きしたいのですが、委員はいつごろからなさっているのですか?
リクリエーション委員会の仕事
岩本: 私はJTBなので、最初からリクリエーション委員と決まっていたようです。リクリエーション委員長は歴代、全日空、日本航空や、ヤシカ・カメラの牛山氏のように、どこかリクリエーションに関係ある企業出身の方が多いのです。
リクリエーション委員として、あわや大失敗という思い出もあります。 昔は忘年会は向島の料亭で芸者さんつきでやっていたのですが、(会費はなんとひとり5万円とか!!)、私は司会をおおせつかっていました。 余興で会員による小唄を紹介するときです。舞台袖のめくり(演目紹介のめくり紙)を見ると「上シタ」と書いてある。「ウエシタ? まさかそんな小唄の題は無いだろう」と芸者さんに聞いたら、彼女はくすくす笑い、「ウエシタと読んじゃいけませんよ、アゲシヲと読むんです。」と教えてくれました。 なるほど「上汐」だったのです。もし、「ウエシタ」と紹介していたら、いまでも語り草になるほど笑われる大失敗だったでしょうね。
そんなわけで、リクリエーション委員を長年つとめ、リクリエーション委員会の委員長になってから5−6年たちます。そろそろ、お役御免をお願いしたいですね。
堀井: 私もリクリエーション委員のはしくれなのですが、まだ仕事の内容がわかっていません。 リクリエーション委員会の業務は何ですか?
岩本: 忘年会、見学会の企画、実行です。 あと、宝塚観劇、お正月の歌舞伎観劇、年末の第九鑑賞会も委員会の担当ですが、ルーティンができていますので、事務局が全部やってくれますから、お任せです。 見学会は会員の方のご尽力で、通常では簡単にいけないところをテーマにして実行しています。今年はすでに全日空と皇居見学を行いました。
また7月22日に行うビア・パーティは私の発案です。会員の親睦を高めるために、銀座4丁目のサッポロビアホールの上で、6時から日没まで、銀座通りを眺めながら、納涼のビールを楽しみましょう。サッポロ・ビールの山岸会員のおかげで、山岸さん自身が開発された「エーデル・ピース」というなかなか普通のビアホールでは飲めないビールとエビスの黒ビールがお勧めです。
¥6000で飲み放題ですから、ご家族、お友達とご一緒に是非どうぞ。
堀井: 旅行の企画もリクリエーション委員会の仕事ですか?
岩本: 前から、JTBの役員時代に旅行の企画も何回かやりましたが、集客が難しい上に、土壇場でのキャンセルがあり、成立しなかったりで、いままで集客に成功したのは、慶応の先輩の関口さんが会長のときのASPAC大会バリ旅行と今回の名古屋万博だけですね。キワニスの旅行は旅行会社としては、本当にメリットが無くて参りました。
堀井: 本当に旅行に限らず、集客と土壇場のキャンセルには泣かされますね。では委員長として、会員にお願いしたいことは何ですか?
リクリエーション委員会からのお願い
岩本: 忘年会やその他のイベントの集客を高めるアイディアをどんどんいただきたいことと、見学会のご紹介をいただきたいと思っています。
先ほどお話した卓話と同じで、見学会もキワニスクラブのメンバーだからという「普通ではちょっとはいれないところへ行ける」機会をもっと増やしたいと思っています。是非、皆さんのご協力をお願いいたします。
今後のボランティア活動へのアイディア
堀井: では、今後、キワニスクラブを通して、岩本さんがなさりたいことを教えてください。
岩本: いまよりもっとボランティア活動の幅を広げて生きたいですね。 私には孫が7人いて、みんな元気で育っていますので、キワニスドールはお礼の意味も含めて、家族でつくっています。 綿をつめるのが難しいですね。
これからは、もう少し、アジアの子供たちに目をむけたらどうかとも思います。 キワニスはアメリカ生まれのクラブですが、日本はアジアの一員ですので、アジアの子供の教育、たとえば学校をつくることも考えたら如何でしょう。
また、私自身、JTB時代に伝統芸能を発表する場作りとして「杜の賑わい」というキャンペーンを実行しましたが、みんなで出来るボランティア活動を、みんなの体を使ってやってみたいとも思います。そのために、NPOと積極的に手を結ぶのも一案かもしれません。
もうひとつ、キワニスクラブが現在行っている表彰も、ちょっとお役人的な表彰方法ですから、もう少し、楽しい表彰イベントを考えていきたいと思います。
堀井: 長時間、いろいろ楽しいお話をお聞かせいただきありがとうございました。 では最後にこれから、キワニスクラブに入会なさる方への一言お願いいたします。
岩本: 素晴らしいメンバーと巡り合え、他のしくボランティア活動できる会です。 とくに団塊の世代の男性たちへ、これからの豊かな人生を考えて、世の中にお返ししましょう。 次世代を担う子供たちのために一緒にがんばりましょう。
○17年5月: 中田一男 会長
(インタビュアー:井之上喬 会員)

左: 井之上 会員 右: 中田 会長
「よりよい社会作りに貢献する」というキワニスの基本理念を
活動に反映できるシステムの素晴らしさ
井之上: こんにちは、今日は東京キワニスクラブ会長の中田さんに、その活動内容や、キワニスの特徴や今後の抱負などいろいろお話をお伺いしたいと思います。よろしくお願いします。まず、キワニスクラブに入会された動機は?
中田会長: キワニスクラブに初めてご縁ができましたのは、昭和47(1982年)年に大蔵省の中国財務局長に赴任したときです。前任者がキワニスの会員でしたので、私も自然に入会いたしました。当時広島キワニスクラブは設立後10年余り経っており、中国電力や広島ガスの社長なども会員でしたので、非常に盛り上がっていた時期でした。2年後東京に帰任してしばらく空白がありましたが、平成4年に東京クラブに再入会いたしました。
井之上: 中田会長は東京キワニスクラブの会長に就任されて半年が過ぎましたが、一番印象に残る活動は何ですか?
中田会長: 昨年10月に大堀前会長の後を継いで会長職に就任しました。同時に日本地区の次期ガバナーに選出されましたので、昨年9月にインディアナポリスで開かれた世界の次期ガバナー研修に参加しました。まず、日本でのキワニス活動と国際的なキワニス活動の差の大きさに驚きました。国際本部の活動は今年で90年を迎え、歴史も長く、「より良い社会作りに貢献する」というキワニスの基本理念を活動に反映させるシステムが整っています。 "Serving the Children of the World"というスローガンにも象徴されるように、子供達に対する奉仕活動を通して基本理念を実現する方針は素晴らしいと思います。また、アメリカには都市のクラブの周辺にサテライト・クラブがあり、地域に根ざした活動が行われています。
井之上: 草の根的な活動がきめ細かいサービスを可能にしているのでしょうか?
中田会長: 例えば、若者が奉仕活動参加することを促すために、小学生、中学生、高校生、大学生を対象にそれぞれの階層別にキワニスクラブを組織しています。これらのクラブを総称して、K-ファミリーと呼んでいますが、親クラブは、彼等の奉仕活動を支援したり資金的な援助をしたりして、手助けしています。日本のキワニス活動もこのような方向にいくと良いと思っています。
井之上: 日米間では、奉仕の精神に違いがあるのでしょうか?
中田会長: 昨年、東京クラブの例会で埼玉県の大宮南高校に留学中のアメリカ人の高校生、アンドリュ・テレルさんからアメリカのキワニス活動について話を聞く機会がありました。その中で彼が日本の高校にはたくさんの体育会系、文化会系のクラブがあるのに、社会奉仕をするクラブがないのに驚いたと言っていたことにショックを受けました。日本の学校現場も変わる必要があると感じました。東京都が社会奉仕活動を学校現場に取り入れる方向にあり、何かできるのではないかと思っています。
井之上: 文部科学省や地方自治体の教育委員会などに働きかけて、学校での奉仕活動の導入を推進する活動も可能かもしれませんね。
中田会長: そうですね、その他にリタイアした人を非常勤講師などで迎え入れるプログラムなどを開発し、会員の方々がそのような活動を通してキワニス活動の幅を広げていけるといいと思います。
井之上: 昨年、東京キワニスクラブ設立40周年を迎えましたね。
中田会長: 設立40周年を記念して会員の皆様方のご協力のもとで、記念式典の開催、慰霊の泉の修復、40周年記念誌の刊行などの記念事業が行われるとともに、会員増強運動が盛り上がりました。
井之上:靖国神社の慰霊の泉とは?
中田会長:靖国神社の慰霊の泉は、明治百年を記念して東京キワニスクラブが第二次世界大戦で戦死した若者を鎮魂するために1967年に靖国神社の境内に建設し、神社に寄贈したモニュメントです。死に際に「お母さん、水を」といって息絶えていった若い兵士たちを偲んで、母の像と流れる水をモチーフにしています。キワニスでは、奉仕活動の一環として、この慰霊の泉の清掃を週に2回、火曜日と木曜日に行っています。
井之上: 私も入会して半年足らずですが、古い世代と新しい世代が入り混じり、とてもユニークな組織ですね。
中田会長: 現在、東京キワニスは新しい世代への過渡期を迎えています。とくに昨年は、年間50名の目標に対して51名の新入会員を迎えることができました。一方退会された方も多く、会員数の純増は10名程度に止まりましたが、今では新入会員が全会員の約25%占めるようになったことで、空気がガラッと変わり、例会への出席者も、倍近くに増えました。今年も入会金10万円を3万円に引き下げるという特例処置を続けており、年内に50名の新入会員の獲得を目標にしています。
キワニス・ドール活動で、"Serving the Children of the World"を実現したい
井之上: キワニスとして積極的に行っている活動はありますか?
中田会長: 最近では、キワニス・ドールを作成し、病院や看護学校などで利用していただく活動に力を入れています。この2月と3月は、キワニスドール月間を設定し、会員や会員のパートナーを対象に、ド−ル制作の研修会を開いたり、利用していただける医療機関の開拓などに努めてきました。研修会には淑徳短大の学生さん達も参加してくださいました。私自身も、型紙にあわせ生地を裁断し、ミシンをかけ、裏返しにして綿を詰め、真っ白なドールを1体作りました。
井之上: "Serving the Children of the World"というスローガンを象徴している活動ですね。
中田会長: キワニス・ドール活動は、1988年にオーストラリアのメルボルンで始まり、日本には2001年に導入されました。
井之上: 広報委員長の北里さんがメディアに対するプロモーション活動を活発にされていますね。
中田会長: 先日、読売新聞夕刊の家庭欄に大きく取り上げていただき、「一般の皆さんもキワニス・ドールの製作に参加して下さい。1000円のご寄付をいただければ、ドールの材料キットを提供します。」というメッセージを送ったところ、最初の2日間で、300件近い申込があり、事務局の方で、その応接に忙殺されました。その後も申し込みは増え続け、現在では600件に達しています。読売新聞の担当記者の方がびっくりする程の反響がありました。
井之上: これが軸となり、キワニス活動が根付いていきそうな予感がしますね。
中田会長: また、テレビ番組制作会社の方から、キワニス・ドールをテーマに番組を制作してはどうかとの企画が持ち込まれました。スポンサーとして株式会社テルモのご協力をいただき、これから1時間番組の制作に取り掛かり、9月には、衛星放送網を通じて放映の予定です。
井之上: 現場にはいろいろなストーリーがあるのでしょうね。
中田会長: 順天堂大学病院の山城雄一郎先生のご配慮で、順天堂大学の医療現場を案内していただきました。子供さんが無地のドールに表情を書き込むことで癒しになっている。また、ドールがコミュニケーションのきっかけになっていることを目の当たりにし、医療現場でうまく活用されていると実感しました。テレビ番組制作の際には、このような現場を映像に収められるよう働きかけたいと思います。
将来を担う若者への働きかけを積極的に進めたい
井之上:私は昨年から大学でパブリック・リレーションズを教えていますが、個人の力を強くすることが将来を担う若者達を育てることにつながると痛感しています。
中田会長:若い人たちへの働きかけを積極的に行いたいですね。キワニスドールがきっかけで、先日、田園調布学園の家庭科の先生にお目に掛かってきました。中学生、高校生のクラブ活動の一環として、ドールの制作に取り組んでみたいとのことでした。初回は、会員有志でお手伝いにいくことを考えています。
会員のパワーがキワニスの外に拡大し、その精神を伝えていく。キワニス精神がコミュニティに根付き、より良い社会作りに貢献できればと思います。
井之上: どんな方を会員に求めていますか?
中田会長: 社会的な地位も大事ですが、これからは、奉仕精神の旺盛な人に入って頂きたいと考えています。
井之上: 日本地区ガバナー就任を予定されていますが、抱負をお聞かせ下さい。
中田会長: アメリカ・カナダや欧州のキワニスクラブの活動と日本の活動との間には大きな格差があると感じています。そこで、国際本部と日本クラブの橋渡し役として、日本の活動の実態を国際本部に理解してもらい、また、国際本部のいい部分を取り入れ、地域に根ざした活動と組織作りに努めたいと思います。
国際本部は、会員の増強や新しいクラブの創設に熱心で、先日のガバナーエレクトの研修会議の際にも、来年の目標数字を提示するようにと求められました。とくに、高校生や大学生のレベルでの活動の強化が求められていますが、日本の現状では、なかなかそこまで一挙に進めることはむずかしいと思います。しかし、日本地区は22クラブを合わせても、会員数は1400名前後で限られています。キワニス活動を活発に行うためには、まず同志を増やすことが先決ですから、日本地区なりに、会員の増強、クラブの新設に努力していきたいと思っています。会員の皆様方の一層のご協力を期待しています。
井之上: 本日はどうもありがとうございました。
○17年5月: 小坂 元 会員(社会公益委員長)
(インタビュアー:小山田小八郎 会員)

左:小坂 会員 右:小山田 会員
広島時代から13年のキワニスライフ
(小山田) 今日はお忙しい中ありがとうございます。はじめにお伺いしたいんですが、小坂さんがキワニスクラブに入会されたきっかけはなんですか。
(小 坂) 平成4年日本板硝子の広島支店長時代に、地元に密着した活動をするようにと上からの指示がございまして、いろいろ相談したところ、キワニスクラブに入るのが一番良いということになりまして、入会した次第です。平成9年に東京に戻り東京キワニスに入りましたが、その後の本社勤務時代を含め、現役時代は仕事に追われ、あまり良い会員ではありませんでした。いろいろ積極的にかかわり始めたのは現役を引退してからです。現役引退時に退会を考えて後輩を入会させましたが、現在の中田会長から理事になるよういわれ、残ることになりました。
(小山田) そうですか。広島時代から13年のキワニスライフで一番思い出に残っていることはなんですか。
(小 坂) そうですね、あまりこれといったことは思い出せませんが、やはり広島時代ですかね。異業種の方々と、しかも立派な方々と同じ立場でお付き合いが出来たことですかね。特に地方の場合は、その地の主だった方々が皆さん会員になっておられましたから。
受賞対象者の発掘に苦労
(小山田) 今は社会公益委員長としてご活躍でいらっしゃいますが、ご苦労とか抱負とかをお聞かせください。
(小 坂) そうですね、やはり受賞対象者の発掘ですかね。皆さんにももっと社会公益賞とはどんな人が対象になるのかご理解いただくために、これまでの説明文を見直すと共に、これまでどのような方々が受賞されたかの一覧をつけてお配りするようにしています。ただ、これまではおとなのものばかりで、もっとキワニスの精神にもあるように、子どもにかかわる活動、たとえば、以前からも言っていますが児童虐待の問題への取り組みとか、ですね。
(小山田) その問題は木全副会長が委員長で、荒木さん私も委員になっているんですが、日本地区のYCPO(幼児最優先委員会)でも取り組み始めたところです。この問題でキワニアンに何か出来ることはないかということで、これから皆さんにもご相談してゆくことになっています。
(小 坂) それはいいですね。この問題で活動している弁護士集団もいますので、またご紹介しましょう。この社会公益賞がただ表彰するということだけでなく、今後は活動に補助金を出すなど、継続的に支援できるようになればいいなとも考えています。
(小山田) 課題ですね。これまでキワニスクラブでいろいろな奉仕活動に参加されてこられたと思いますが、どんな活動に参加されましたか、また、今後はいかがですか。
(小 坂) そうですね、特にこれといったことはないんですが、現役時代はなかなか例会には出席できませんでしたが、それ以外は出来るだけ出るように心がけてきました。これからは特に現役を退きましたので、キワニスクラブの精神にのっとり、子どもに奉仕するということで、あらゆるボランティア活動に積極的に参加して行きたいと思っています。
(小山田) その小坂さんにとって毎日の生活でキワニスが占めるウエイトはどうですか。
また、キワニスクラブに入って人生観が変わったようなことはありますか。
(小 坂) まあ時間的には5%位ですか。いや、これは連続ですからね。まあボランティアをすることで満たされることですね。ボランティアをすることで社会にお返ししたいと思っています。それと、人の輪が広がるということですね。それとそれに関連して、自分への刺激をたくさん受けますので、自己啓発につながりますね。
キワニスクラブの知名度を上げたい
(小山田) キワニスクラブのあり方について何かご意見はおありですか。
(小 坂) 難しい問題ですね。ただ、会員は現役の方もたくさんおられるので、ボランティアも大事ですが、純粋に仕事の交わりがあっても良いのではと思っています。もっと良い意味で生かしあうべきですね。ボランティア活動とうまく絡み合ってゆくと会ももっと活発になるんではないでしょうか。ボランティア活動をベースにした人の輪の広がりですから。
(小山田) そうですね。やはり人との良い交わりは財産ですからね。ところで、これからのキワニスクラブについてなにかございますか。
(小 坂) そうですね、子どもの問題に取り組むこと、ボランティア活動を広げてゆくことですが、もっとキワニスクラブの知名度を上げなくてはいけませんね。
(小山田) 先日読売新聞でキワニスドールが取り上げられて大きな反響がありましたが、ああしたこともひとつですね。
(小 坂) そうです。まだいろいろと工夫してゆく必要がありますね。社会にもっと認知されてゆくと、我々が何をしようかでなくて、我々に何をしてほしいといったこともでてきますからね。世の中のニーズがわかりますよね。するともっと会も活発になると思いますね。
(小山田) 話はつきませんが今後もますますご活躍いただきたいと思います。
(小 坂) いや、ありがとうございました。楽しかったですね。
○17年4月: 関野 直輔 会員(最年長アクティブ会員)
[インタビュアー:福武正廣 会員]

関野 会員
なぜキワニスクラブに入会されましたか。
昭和49年に人事担当の専務から、キワニスクラブに入会せよと命令されたので、東京勤務の私と大阪勤務の藤沼基利氏が夫々のクラブに入会しました。東京キワニスクラブが出来たのが昭和39年ですが、昭和49年頃は、まだ創立当時の会員がお元気でした。鹿内信隆さんの関係でフジサンケイグループが特別に応援してくれたので、レディスデイ(現在のファミリイデイ)には、越路吹雪さんや八代亜紀さんやテレサ・テンさんが出演されたこともありました。その頃からみるとクラブ運営は何かと大変だと思います。
キワニスクラブで一番印象に残った事は。
鹿内信隆さんや畏敬する諸先輩方の聲咳に接する事が出来た事でしょうか。また、海軍時代の先輩や後輩と旧交を新たにすることが出来たのもうれしかった事の一つです。
入会後は、社会公益委員会に所属していました。メーカーに勤務しているので、それ迄は良いものを作る事ばかり考えて来ました。良いものを作れば商社も銀行も応援してくれるものと思っていました。処が、入会して社会公益に奉仕する人々と接する機会を得て、色々と苦労話を伺う事が出来、今迄知らなかった社会の一面を知ることが出来ました。キワニスクラブで社会公益賞に値する人々を探すうちに、多くの立派な方々の御活躍を知った事は、私にとり画期的な事でした。
クラブ生活で特に印象に残っている事としては、キワニスクラブのアジア・太平洋会議が、フィリピンのセブ市で開催された時の事です。私は戦争中セブ市に勤務した事もあり、懐かしいので参加しました。会議の初日に街をオープンカーで国別にパレードしましたが、街頭で一番人気のあったのが日本とアメリカでした。フィリピンは激戦地だったので、市民の悪感情を心配していたのですが、道を行く人は勿論、建物の中の人も窓から身を乗り出して、熱烈に歓迎してくれました。「ジャパン、ジャパン」の歓声の外に、東芝とかソニーとか、自分の使っている電気製品のメーカーの名前で呼びかける人もいて、大変嬉しく思いました。
これまで、どんなキワニス活動に参加されましか。また、これから参加しようとしている事は。
私は、入会以来、社会公益委員会次いで青少年教育委員会に所属しています。この二つは会社にいては経験出来ない事なので貴重な体験と思っております。社会公益賞や青少年教育賞では、毎年素晴らしい方々を表彰し、大きな意義があると思っていますが、残念な事は、賞を差し上げたあと、そのフォローが出来ない事です。表彰したあとも、引き続きその事業を後援してあげる事が出来ればと思いますが、仲々難しい問題です。アメリカ本部主導で行っているヨード添加塩のプロジェクトなどとの兼ね合いもあり難しいですね。なお、別の活動として、靖国神社の「慰霊の泉」の清掃活動がありますが、私のように戦争に参加したものにとっては、非常にうれしい事です。アメリカに本部のある団体が敵国である日本の戦争犠牲者を慰霊する活動をするというのも珍しいのではないでしょうか。
これからの活動ですが、私としては、会員の皆さんは会社の方が多いので、会員だけがキワニスクラブを通じて活動を行うのではなく、会社を動かして会社自身社会奉仕または援助をおこなうように働きかけられればよいなあと考えます。たとえば、今回の津波(スマトラ沖大地震による津波、2004年12月)のようなときに、単にお金を送るだけでなく、その会社として出来る援助、たとえば、自動車会社だったらトラックを何十台贈るのよりも、故障した車を修理する部品を何時も用意しておいて、必要が生じたとき、その地域に詳しい社員が至急持参するなど、すぐ役立つ事をやった方が良いし、その方が遥かに効率的な援助が出来ると思います。そのためには、必要なとき、すぐに役立つように人と資材とノウハウを蓄積しておく事が大切と思います。
毎日の生活の中で占めるキワニスのウエイトは。
新宿で勤務していたときは皆勤したことはなかったのですが、職場が神田に移ってからは、皆勤を続ける事が出来ました。在籍31年間のうち、皆勤は24年間になりますが、例会と昼食会と週2回出席するのは結構大変ですね。
キワニスクラブに入って人生観が変わったことは。
キワニスクラブに入会する迄「社会奉仕」は私にとり観念的なものに過ぎなかったのですが、入会後は、大した事はしていないのに、身近に実感出来るような気がします。仏教の「布施」という言葉の意味が少し分かるような気がします。
常にお若く、御健康ですが、なにか秘訣でもあるのですか。
諸先輩から聞いた簡単な健康法を列挙してみます。誤っていたら御教示下さい。
1. 起床の前に、両手両足を真上に上げて振る。(ごきぶり体操)(就寝中は心臓に遠い手足の末端の血液が還流しにくい)
2. 階段では、土踏まずを階段の縁にあてて上下する。(竹踏みの代用だが、降りるときはかなりむずかしい)
3. 列車の中では、眼よりも耳を使う。(眼は両眼同時に使うが、耳は片方づつ交替して使えるので、疲れにくい)(本を読まずにカセットテープをきく)
4. 帰宅の時、洋服の背中と肩に充分ブラシを当てる。(洋服の長持ちを兼ねた肩関節の運動)片足で立って、ズボンの裾にもブラシを当てる。(脚力とバランス感覚の養成)(帝国海軍では、軍艦の中に入る時、充分ブラシを当てて、陸上の塵を狭い軍艦の中に持ち込まないようにした)
5. 入浴後は、ぬくもりが充分冷めてから衣服を着る。(身体がぬくもっている間に衣服を着ると、汗で下着がしめり、次第に冷えて風邪をひきやすい)
6. 食事の時、ビフテキやトンカツは5つに切って、一つ残す。鮨は、何個あるか数えて、十個あれば二つ残す。(腹八分目実行法)
7. 中国産ウーロン茶は飲まない。(十年以上前、中国の輸出用茶畑を視察した人が、日本では許可されていない農薬を多量に使っているのに驚いたそうだ。農薬は地中に何十年も残存するものがある)
8. 飛行機の中には弁当を持ち込み、機内食は食べない。(国際線は長時間飛行するので、機内食は防腐剤を特別多く使い、飛行中の腐敗を防いでいる)
これからキワニスクラブが取り組むべき活動は。
いまのキワニスクラブの例会は、少し忙しいような気がします。本来の目的は会員同士の懇談だと思いますが、その時間が少ないですね。ゆっくり食事をして、コーヒーを飲んで、話をする。これが本来の姿の様な気がします。少なくとも例会の半分の時間はそんな風に使えればいいなあと思います。いまは、どうしても講演や会務報告に時間をとられますからね。12時からの30分を活用出来るといいと思います。他方、火曜の昼食会はにぎやかすぎてじっくり話ができないこともありますし、難しいですね。なお、卓話も社会公益や青少年教育関連の方々のお話をもっと聞きたいですね。そういった方々は発言の機会が少ないかもしれないので、出来るだけお話を聞かせて頂く努力をする必要があると思っています。
以上
○17年4月: 遠藤 哲也 会員(国際委員長)
[インタビュアー:木村輝久 事務局長]

左:遠藤会員 右:木村会員
新入会員が先輩会員と親しくお付き合い出来る雰囲気作りを
木村) 今日はお忙しい中、クラブ事務局までご足労を頂き有難うございます。私、事務局長の木村輝久がインタビュアーを務めさせて頂きます。早速ですが、遠藤さんが、東京キワニスクラブに入会された経緯についてお聞かせください。
遠藤) 私と外務省同期入省の股野景親さんが既に東京キワニスクラブに入っておられ、お誘いを受けました。それから横山太藏さんからも勧められました。彼とは、私が嘗て通産省に出向していたとき、一緒に仕事をしたことがあります。
木村) キワニスクラブに入られて、どんな印象をお受けになりましたか?
遠藤) 率直に言って最初は何となくとっつきにくい感じを受けました。クラブの先輩方と親しくお付き合いするためには、自分自身でかなりの努力が必要だと感じました。
木村) 私も最初は同じ思いをしましたので、よく分かります。私の前任の佐藤事務局長時代から、「新入会員対象のオリエンテーション」として、夜、食事をしながらの懇談会を行っています、これに参加されると新入会員同士、あるいは出席役員達との親交が深まります。
遠藤) それは良いことですね。どのくらいの頻度で開催されていますか?
木村) 不定期ですが、凡そ半年に一回ぐらいでしょうか。
遠藤) それですと、偶々出席できない場合、チャンスが随分先になってしまいますね。もう少し頻繁に行われると有り難いですね。
海外から訪日されるキワニアンとの交流も深めたい
木村) 最近は、入会者も増えていますので、是非そうしたいと思います。貴重なご意見有難うございます。では次に、国際委員長としての抱負やこれから採り上げたいと思うテーマについてお聞かせください。
遠藤) これまで国際委員会では日本にとっての重大な課題について、懇話会で日本語の堪能な外国人、又は日本人有識者の話を聞くことで進められて来ましたが、私もそれを踏襲して行きたいと考えています。そして、対象を、米国、中国、ロシヤ、朝鮮半島、中東に絞り、直面する問題について勉強して行きたいと思います。また、米国大使館に勤務する参事官クラスの人、オーストリア大使館の公使夫人などの話も面白いと思います。それから、海外から訪日されるキワニアンとの交流を深めたい。ただ海外から来られるキワニアンが意外に少ないのが残念です。さらに海外で、災害や疾病、紛争などで困っている人々を支援することも大切だと考えています。しかし実際にやるとなると案外難しく、正直なところ悩んでいます。すぐに出来ることでは、東京クラブの皆さんが、海外で開催される国際キワニスの行事に積極的に参加されることです。
木村) 新入会員を募る上で困ることは?
遠藤) やはり、ロータリー、ライオンズにくらべて知名度が低いことが難点ですね。最近では、ロータリーが出席率を煩く言わなくなったようで、そちらに参加する人が増えているように思います。何といっても新入会員を暖かく迎え入れる雰囲気作りが不可欠です。旧会員同士互が親しくしているほど、それは良いことなのですが、新入会員は疎外感に捉われます。例えば、例会の席では新入会員は必ず誰か役員と同席するように配慮されては如何でしょうか?
何と言ってもウイーンが最高
木村) 有難うございます。では最後に、これまでご勤務された多くの国々の中で、どこが一番良かったと思われますか?
遠藤) アメリカ、イギリス、オーストリア、ニュージーランド、ハワイなどで勤務しましたが、何といってもウイーン(オーストリア)です。ハプスブルグ家の歴史が随所に感じられ、文化、芸術など多くの面で他の追従を許しません。ハワイは超極楽過ぎて・・・。
遠藤、木村) (アハハハハ・・・と笑い)
木村) もっと色々と面白いお話をお聞きしたいところですが、お約束の時間になりましたので、今日は取り敢えずこの辺りで。どうも有難うございました。
以上
○17年3月: 荒木なぎさ 会員(ボランティア委員長、4年半の間最若手の会員)
(インタビュアー:鶴田 日夫 会員)

左:荒木会員 右:鶴田会員
留学生のお世話が入会のきっかけに
鶴田:今日はお忙しいところを、時間をいただきまして、有難うございます。
荒木:こちらこそ、風邪をひいてしまって、ひどい声ですが。
鶴田:私もここ1週間くらい、風邪で、ひどい声です。まあ、ビデオ撮りではありませんから、
頑張ってやりましょう。
鶴田:さっそくですが、荒木さんはボランテイア委員長として、活躍していただいて、いるのですが、
また、東京キワニスの一番お若いメンバーだと思っていたのですが、ついこの間、おひとり31才の
大久保さんという男性が、お入りになったんですね。
荒木:ええ、そうなんですよ。副会長の木全さんが主催する会合に、大久保さんがいらして、たまたま
キワニスの話になったら、僕は小さいころから、よくおじいちゃんにつれられて、キワニスのパーテイに
出たことがあるという、話になりまして、お聞きすれば木戸先生のお孫さんとかで、ぜひ入会なさいよ、
ということで、木全さんと私が推薦者になって、先日入会されました。
鶴田:うれしい話ですね。ところで、荒木さんは入会されて、もうどのくらいになりますか。
荒木:2000年の3月ですから、ちょうど5年になります。それよりさらに3年くらいまえに
フルブライトで、アメリカに留学されていた方々がよくアメリカの家庭に招かれてとても楽しかったし、
意義があったということで、いま日本に来ている留学生を家庭に招くプロジェクトを、キワニスとして
やろうということになりました。そのころ私は、留学生と企業の橋渡しなどのお世話を仕事としてやって
いましたので、私の事務所を通じて、3〜4回ほど交流の機会がありました。その時から私には、
キワニスという良いことをなさっている奉仕団体があるんだという認識がありました。
鶴田:それはまた素晴らしい巡り合わせでしたね。
荒木:そのプロジェクトの中心だった佐藤満秋さんと次期会長の安原正さんのご紹介で入会させて
いただきました。
鶴田:私自身も1977年にキワニスの名古屋クラブに入会しましたのですが、勤め先の設計事務所の
名古屋支所の責任者として、赴任した時に、貴方も名古屋に来られて知り合いが少ないだろうから
入会したらどうかということで、キワニスの名古屋クラブに、入れてもらいました。以来ずっと
1985年に東京転勤に伴って東京クラブに転籍させてもらいましたので、通算すると、いつのまにか、
28年になります。その間面倒見のいい先輩諸兄のおかげで各方面のジアンルの異なった方々と
知り合って、本当に楽しいことばかりでした。
キワニスドールの活動を主軸に
鶴田:ところで、荒木さんは お入りになると、そうそうに、青少年教育委員会の委員長を1期なさって
それから、ボランテイア委員長を今年で2期目を おやりになっているわけですね。
荒木:あまりにも日常が忙しいので、皆さん方に助けていただきながら、なんとか務めを
はたしているのが、現状です。
鶴田:現在のボランテイア活動はいかがですか。
荒木:今年の活動の主軸に、キワニスドールの活動をおいています。今年度からキワニスドール月間と
いうのを設けまして、2月、3月が月間となるのですが、その第1回目として、東電の銀座のテプコ館を
お借りして、キワニスドールの研修会をやりましたところ、70人以上の参加がございまして、
喜んでいるところです。
鶴田:私も不器用で、製作はしませんでしたが、外野から参加させていただきました。
荒木:喜ばしいことに、メデイアのかたも関心をおもちになりまして、テレビ局のかたとか
日経新聞とかの方も8人ばかりの参加がありました。
子供達が夢を持てるような活動をやりたい
鶴田:それは良かったですね。さて、今後のボランテイア活動として、お考えになっていることが
ありましたらお聞かせください。
荒木:今までのキワニスドールの活動とか、IDD募金の活動とか、靖国慰霊の泉の清掃の他に
新しく青少年の教育にからめて、国内の幼い子供たちを対象とする活動で、子供達が将来に対して、
夢をもてるようなきっかけになる活動を今年新しく始められないかと思っております。
現在日本地区のボランテイア委員長を担当なさっている木全さんと副委員長の小山田さんと、いろいろ
構想を練っているところです。私自身もNPOの仕事として、子供達に夢を持ってもらえるような活動を
しております。最近報道されております虐待の問題とか、非常に根の深い問題ですが、キワニスとして、
何かやれないかと思っております。
鶴田:それは良いお話を伺いました。地味でも基本的な活動で、なにかジワーッとひろがってゆくような
活動が始まるといいですね。
ファミリーデイなどによくお嬢さんをお連れいただいているのですが、20年先のキワニアンの
キアンデイデートですから、これからも、どんどんお連れください。いろいろなキワニスの会で貴女や
木全さんなどの明るくて大きなお声が響きわたると われわれ男性会員はなんとなく幸せな気持ちに
なります。どうぞ、今後ますますのご活躍を期待しています。
荒木/鶴田: どうもありがとうございました。
○17年3月: 川崎 弘 会員(事業企画委員長)
(インタビュアー:北里光司郎 会員)

左:川崎会員 右:北里会員
大震災から復興した神戸の日本地区大会に感銘
(北里)今月の人には、事業企画委員長としての川崎さんに登場いただくことになりました。
まずは、キワニス・クラブに入られた動機から伺いたいと思います。
(川崎)実際に入会したのは1990年代の初め、当時、東電の荒木浩さんが副社長をしていて、
このような会があるので入らないかと言われました。荒木さんはその後社長、会長になり、業務の都合で
出席できないので、私に入会をすすめていたのでしょう。ですから、10数年の古参会員ですが、
私自身も当初は業務の都合でなかなか活動に参加できず、一番参加したのが、靖国神社の清掃でした。
(北里)これまでのキワニスライフで最も印象に残っていることは何ですか?
(川崎)色々感動したことはありますが、特に一つを挙げるとすれば、去年の神戸の日本地区大会ですね。
あの大地震の後、10年で見事に復興した神戸での大会には大変感銘を受けました。神戸クラブの皆さんが
港町特有のホスピタリティを精一杯示され、特に女性の方々の貢献がすばらしく、あの大変な震災から
立ち上がって、ここまで復興して来られた涙ぐましい努力と心意気は大きな感動を与えるものでした。
神戸市長さんも出席され、地方の市民の方々が一体となってやっておられる姿が見られ大変良かったと
思いました。このような地方のクラブの盛り上がりは、素晴らしいですね。
(北里)これまでの社会奉仕活動で、力を入れてやられたことは何でしょうか?
(川崎)靖国神社の清掃が一番ですね。それに加えて、キワニスドールの製作、これは家内につくって
もらうことが殆どですが。
軽い気持ちでボランティアを
(北里)こんごのキワニスの奉仕活動について、やりたいこととかやった方が良いと思っていることは?
(川崎)奉仕活動をあまり肩肘を張ってやると難しくなります。若い人が「軽ボラ」といって、軽い気持ちで
ボランティアという発想でやっていますが、一寸したアイデアでボランティアをやる、その方がキワニス
らしいのではないかと思っています。何か奉仕活動でやってみたい、しかし、何をやって良いか分からないと
いうような意欲のある人に会員になってもらうことが大事ではないでしょうか。そういう意味で、
キワニスドールは、取り組み易い奉仕活動ですね。そんなに負担を感じなくてやれる。こういうことに、
どんどん取り組んでみようと意欲のあるQualified personに会員になってもらうことが良いと思います。
(北里)そのような社会奉仕と知的刺激と人とのふれあいが一体となっているのがキワニスクラブ活動の
特色だと思いますね。
(川崎)その通りですね。そのためには、クラブライフ全体で楽しく活発にすることが大切ですね。
そこに会員としての連帯感が生まれて来ます。
話題性のある卓話をタイムリーに企画
(北里)事業企画委員長として苦労されていること、こんごどういうことをやりたいというような抱負を
お聞かせいただけますか?
(川崎)事業企画委員会の主な事項は、月例会、ファミリーディ、新年賀詞交換会の企画と実施です。
毎月の例会は、新米の事業企画委員長を皆さんがサポートしてくれるので、何とか順調にやって来ました。
お陰様で、拉致問題で中山恭子さんや、愛知博のスタートに合せて坂本春生さんなど、タイムリーな卓話を
企画できた。やはり話題性が大事ですね。また、都市再生というテーマを揚げて、日本橋地区の再生や
路面電車の復活などもとり上げました。ファミリーディは、楽しい会を目指していますが、
今度は筑波の盲学校の子供たちの音楽を聞くことにしました。これは、キワニスクラブの精神にもぴったり
なので、ぜひうまく行くことを期待しています。それから、新しい会員の方にも卓話をお願いしたいと
思っています。皆さんタレントがたくさんいらっしゃいますから。
(北里)確かに最近、タイムリーな内容の卓話が多いですね。講師の選定には苦労されるでしょうね。
(川崎)皆さんから、講師選びが大変だと言われましたが、色々とサポートを得ていますので、今のところ
順調に行っています。これからが大変だと思いますが。
(北里)こんごキワニスクラブが取り組んだ方が良いと思う活動について、お考えがありますか?
(川崎)例会に加えて、見学があります。これまで大蔵省印刷局とか防衛庁とか、キワニスクラブでしか
見られないような所の訪問を行っていますが、これに加えて、子供たちの施設などを訪問するのはどうかと
思います。盲学校なども良いと思います。まずは、ファミリーディで演奏をしてもらいますが。
(北里)キワニスクラブの見学は、普通のルートでは行けないところを、キワニスのネットワークで
訪問していて好評ですね。
(川崎)それも、エクセレント・クラブ・ライフのために必要なことです。それに加えて、子供の施設も
加えたらどうかと思っています。
質の高いクラブライフを目指して
(北里)キワニスクラブにまだ入会していない人、これから入会を希望する人へ、何かメッセージが
ございますか?
(川崎)今回、東電グループの会社の社長が何人か入会しましたが、皆他の奉仕団体の会員でした。
しかし、その活動に何か飽き足らなかったものがあったようです。キワニスクラブは、そのような人たちの
心を満足させるような質の高いクラブ・ライフのイメージを持っていると思います。
(北里)私もチャーターメンバーだった赤澤璋一さんから30年以上前からよく、キワニスクラブの活動の
話を聞いたことがありましたが、当時は自分にとっては遠い存在で、自分が入会するとは思っても
いませんでした。
(川崎)当時は、入会もなかなか難しく大変だったようです。Qualified personが入会できるという
イメージは、維持してゆくべきでしょうね。
(北里)それは、キワニスクラブのDNAかもしれませんね。
(川崎)あまり強く打ちだすと反感を買うので、気をつけなければいけませんが、このような活動に意欲と
ポテンシャリティを持った人を新しい会員にしてゆくことがこんごのクラブのために
重要なことだと思います。
(北里)最後に、キワニスクラブで活動して来て、人生観が変わったと思うようなことがありますか?
(川崎)私は正直言って、役人として公的な仕事に従事して、社会貢献は常に意識してやって来ましたが、
これはあくまでも間接的なもので、直接的に自分で汗を流して社会奉仕をするということは、
キワニスクラブに入ってからが初めてです。キワニスクラブはそれを実感できる貴重な場を
提供してくれると思います。
(北里)本日は、有益なお話、ありがとうございました。
○17年2月: 須藤幹雄 会員(インターナショナルも含めて最古参会員)
(インタビュアー:葉山 孝 会員)

左:葉山会員 右:須藤会員
"元祖キワニアン"の由縁
(葉山)今回の「今月の人」には、広報委員会の全会一致で「元祖キワニアン」といわれている須藤様に
ご登場いただくことになりました。宜しくお願いします。まず始めに、「元祖キワニアン」と言われておられる
由縁と日本のキワニスクラブに入会された経緯をお聞かせください。
(須藤)もともとはアメリカのシカゴクラブに入会しました。その後日本において、旧制一高の同窓会で
1年先輩がキワニスクラブのバッジをつけているのを偶然発見し、自分もシカゴでつけていたことを
話しました。それがきかっけでこの先輩とメンバーシップ委員長である安藤良夫さん(東京大学教授)の
2名に推薦いただき、シカゴ入会から20年後の1984年12月に改めて日本で入会しました。
(葉山)そもそもシカゴで入会された動機は何でしょうか?
(須藤)1961年に運輸国際観光局の出先である初代シカゴ事務所長としてアメリカに赴任しました。
当時はまだシカゴの在留日本人は子供を含めても120名程度で、微妙な対日感情もある時代でした。
日米の関係を親密にしたい、また日本人の立場を理解してもらいたいという気持ちから、奉仕活動も
しようと思いました。シカゴにはキワニスとライオンズの本部、エバンストンにロータリー本部が
ありましたが、とりあえずキワニスクラブに立ち寄ってみた所、ちょうどAmerica Japan Dayのイベントを
企画したいのでサポートしてくれないかと誘われたのがきかっけです。その後国際委員長よりキワニスの
メンバーに推薦され入会しました。
当時の現地での活動
(葉山)当時の活動を教えてください。
(須藤)America Japan Dayでは中心になって日本をプロモーションしました。また、Kiwanis Peanut Day
という活動があり、寄付の為にクリスマスシーズンにキワニス会員自らピーナッツの袋(一袋50セント程度)
を売りました。自分のお金を寄付するだけでなく、多くの人々に趣旨を理解していただくために幹部が
直接街頭でお願いするのです。街で寄付をお願いすることは始めはためらいがありましたが、今では
奉仕活動の一つのムーブメントとして心に残っています。年間で最も貢献した人には褒賞として
ピーナッツ型のトロフィーが授与されました。
(葉山)キワニスの特徴・印象は何だと思われますか?
(須藤)日本にキワニスクラブが創立したのは1964年の今から40年前で、ロータリー・ライオンズの設立後
でした。そこで、他と異なる特色を持たなければ発展し難いと考えられました。まず第一にメンバーの資格
として各分野で精選された責任ある方々であること、第二は地域社会との関わりは経済産業の分野に
加えて行政・学術・文化の領域まで広く関わりを持つクラブとすることです。但し、対立を持ち込まれる
恐れのある政治と宗教は除きました。第三に本部がアメリカ合衆国に所在する国際団体の一つの支部
である日本地区の会員として奉仕活動を行い国境の無い世界の奉仕に関与することです。
従って世界総会の年次大会(7月・ホノルル)、アジア太平洋地区総会(3月・メルボルン)の年次大会に
出席し、時には日本の都市で総会を開催します。会員の出身は当初は民間と官界・学界の率は50:50を
目指しましたが、2004年1月頃では出身の比率は官界64・民間133・学界4となっています。
(葉山)日本のキワニスクラブ創設は須藤さんがシカゴで入会された頃なのですね。
(須藤)そうです。入会後、1964年7月15日にキワニス国際本部を訪問しました。その折、来訪の記念
として登録手帳を授与してくれました。「シカゴキワニスクラブ会員の須藤幹雄を1964年7月15日に
年初以来1,148番目の来所会員として登録する。クラブは5,237、会員数は270,000」と記載されています。
日本での奉仕活動
(葉山)まさに「元祖キワニアン」と呼ばれる由縁ですね。次に日本での奉仕活動について教えてください。
(須藤)明治100年記念事業として1967年4月18日に靖国神社に慰霊の泉を建設しました。
当初は「水を捧げる母の像」また「母の捧げる清い水」という名称が考えられていましたが、戦死者を慰め
日本人全体が死者の孤独な最後を偲ぶ為の記念碑であってキワニスクラブの存在を示す為のものでは
ないので、「慰霊の泉」となりました。南太平洋はじめ旧戦場から集められた51個の戦跡の石で作られた
石のパネルです。その「慰霊の泉」の清掃奉仕活動を、全会員が輪番で火曜日、木曜日の朝に行って
います。1990年の国際キワニス75周年を記念して始められ今日に及んでいます。皆勤賞として
キワニスの名前が入ったかばんをいただきました。
(葉山)他にも奉仕活動のお話があればお願いします。
(須藤)キワニスドールの寄贈があります。ボランティア委員会の奉仕活動の一つとして
1993年オーストラリアの小児科の病院で活用されましたが、国際キワニスのネットワークを通じて
全世界に広がりました。日本では2001年10月より会員が汗をかいてドールを制作しています。
病院数は100以上に及び、ドール数は3,500個を超えています。明治学院大学、淑徳女子短期大学等、
学生も制作奉仕に参加しています。第2、第4火曜日に、事務局において行っています。
(葉山)最後に、会員にメッセージや新入会員に対するアドバイスをお願いいたします。
(須藤)アメリカにある本部の支部という世界に開かれた奉仕活動組織なので、海外で開催される
イベントには積極的に参加していただきたいと思います。マニラ・台北の会員は200人程度参加していると
聞いています。また、「慰霊の泉」清掃奉仕活動にもぜひ参加していただきたいです。
キワニスの憲章が書かれた英語の小冊子があります。国際本部を訪問した時にいただいたものですが
2冊ありますので、本日の記念に1冊を贈呈いたします。
今後のキワニスでの更なるご活躍を期待しています。頑張ってください。
(葉山)頑張ります。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。
(須藤さんにお持ち頂いた「登録手帳」のサインの部分は、PDFファイルをご参照下さい。)

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○17年2月: 横山太蔵 会員(メンバーシップ委員長)
(インタビュアー:青野厚子 会員)

左:青野会員 右:横山会員
メンバーシップ委員長として
(青野)私は入会してまだ1年半ですので、キワニスの委員会活動を十分に理解していません。今日は
メンバーシップ委員長の横山さんに、委員会の主な活動を中心にお話をお伺いしたいと思います。
(横山)一番大きな任務は、入会申込者の審査をすることです。キワニアンとしてふさわしい方か
どうかを審査します。会員二名の推薦で入会されるので、大方の場合問題はありません。その他に
皆勤賞のルール化や表彰などの仕事があります。皆勤賞のルール化も、誰にでも分かりやすい得点制に
しました。それから審査の前の会員増強運動もメンバーシップ委員会の仕事です。
(青野)昨年度は1年間に新しい会員が50名も増えましたね。成功されたのは、
何か秘訣がありましたか?
(横山)最近の東京キワニスは、世代交代と言いますか、高齢化などで退会する方が多くなってきました。
そこで新会員を増やすために、これまでの入会金10万円を、特別措置で昨年度は3万円に
引き下げました。その効果が出たのだと思います。引き続いて今年度もこの特別措置を延長しています。
会員増強という単なる言葉だけでなく、具体的に入会金引き下げという措置をとったのが良かったと
思っています。また、今期会長の中田一男さんや副会長の木全ミツさんなどの皆さんが、新会員を
勧誘してくれました。今年度も50名を目標に頑張りたいと思っております。
(青野)会員の皆さんのご協力があったのは確かですが、やはり横山委員長のリーダー・シップが
素晴らしいです。
(青野)若い方の入会も多くなってきました。現在31歳の方が最年少者ですね。
(横山)若い方が増えるのはとても良いことです。しかし、若い方はお仕事で忙しいでしょうから、
リタイアした人が委員会などで活動の中心になるかと思ったら、一概にそうではなくて、若い方も活躍して
くれていますね。いろいろな年代の方がいて、会が充実してきますから、とても良いことです。
入会の経緯は
(青野)話は変りますが、横山さんはどういう経緯でキワニスに入られたのでしょうか?
(横山)私は通産省(現経済産業省)で働いておりまして、その後民間企業や財団法人に籍を置きました。
チャータ・メンバーの故赤澤璋一さん(元通産省重工業局長)や会員の山口衛一さんが、
通産省での先輩にあたり、お二人からかねがねキワニスのことをお聞きしていまして、
1999年、今から6年前にお二人の推薦で入りました。
(青野)入会されてくる方は、学校や職場の先輩・同僚の方からの推薦が多いですね。
(横山)そのような人との繋がりで入会することで、このキワニスという会のコンティニュティ(継続性)が
保たれている一つの要素だと思います。
6年間で印象深い活動は
(青野)キアニアンとして6年間を過ごされていますが、思い出深い活動をお聞かせください。
(横山)一つ目は、一昨年度事業企画委員長をした時のことです。その当時毎週金曜日に例会が
ありました。殆ど毎回外部からゲストをお招きして、卓話をしていただきました。
いろいろな方に交渉して来ていただくのですが、毎週のことですので大変でした。
途中で、例会が隔週になり、回数が減りましたのでほっとしました。
(青野)毎週ですと年間50人以上をお招きするのですね。
(横山)印象に残っていることの二つ目は、昨年東京キワニスクラブ設立40周年実行委員をしたことです。
記念事業の1つとして発行した「この10年の歩み」の冊子作りに関わりました。編集後記に書きましたが、
写真や"この10年の行事と例会"などのデータはデジタル化されて残っていたので助かりました。
30周年史編集の時とは大きな違いでしょう。時代の進歩ですね。
(青野)編集後記にはご署名がなかったのですが、横山さんがお書きになったのですか。
(横山)三つ目はなんと言ってもキワニス・ドール作りですね。
(青野)そういえば、キワニス・ドール作成の現場写真を、例会で見せていただくと、
よく横山さんが写っていましたね。
(横山)第二次世界大戦の終了時、私は小学校3年でした。学校制度が変わって、これからは男子も
家庭科を学習するべきだということになり、学校で運針を習いました。それで自分を家庭科第一世代と
位置づけています。それがキワニス・ドールを作ることになって、役に立ちました。だいぶ針の使い方が
うまくなりましたが、運針と違って曲線縫いや、綿を入れた後に閉じるところが難しいですね。
(青野)キワニス・ドールを手で縫うのは難しいと思います。私はミシンで縫いますが、
ミシンが走り過ぎると失敗します。また、綿入れもバランスをとるのが難しいですね。
初めは右手と左手の太さが違ったりして。
(横山)私もこれからミシンに挑戦してみようと思っているんですよ。手縫いにも挑戦しましたから、次は
ミシン縫いでやってみます。余談ですが、キワニス・ドール作りで昨年NHKラジオが取材に来ましたが、
あの放送を故郷の同級生が聞いていたのですよ。高校の同窓会でキワニス・ドール寄贈の話を
小児科医の同級生にしていた時に傍にいた彼が声を上げたのです。嬉しいですね。
これからの展望
(青野)最後に、横山さんの生活の中で、キワニス活動をどのように位置づけされていますか?
また会員でない方へ入会の呼びかけもお願いします。
(横山)リタイアした後でも、世の中との繋がりを持つために、キアニアンとして活動していきたいと
思います。キワニスは奉仕と懇親の会ですから、世の中と繋がりをもつには大変良い場だと思います。
現役でビジネスをしている方も、仕事とは関係ないキワニスに参加すれば、視野が広がると思います。
これからもますます楽しいクラブにしていきたいです。
(青野)楽しい良いお話をありがとうございました。ハツラツとした横山さんのご活躍を
これからも期待しております。
○17年1月: 皆勤賞最長記録保持者 山下幸雄 会員(元日本地区事務総長)
(インタビュアー:佐藤隆国 会員)

左:山下会員 右:佐藤会員
チャーターメンバーに鍛えられる
(佐藤) こんにちは。東京キワニスクラブのホームページができたことから、広報委員会では、
会員のインタビューをしていこうということになりました。
まずは皆勤33年という東京キワニスクラブの皆勤賞記録をお続けになっている山下さんに
みなさんのトップを切っていろいろお伺いさせてください。
(佐藤) 昭和47年4月にご入会と申しますと、クラブ設立から8年経っていますが、まだ
チャーターメンバーが大勢いらっしゃって、会の雰囲気も設立当初の熱気があったのでしょうね。
(山下) 例会場もチャーターメンバーの五島昇さん経営のキャピタル東急でしたが、
とにかくメンバーが格調高くて、最初の例会の時には緊張して、食事も喉に通らないほどでした。
(佐藤) 具体的にはどんな状況だったのですか。
(山下) 民間は一部上場会社の常務以上で、現役の会長、社長がたくさんおられました。
また官公庁の方も事務次官や最高裁判事、検事総長、警視総監等みな現役の方でしたので、
私は常務でしたからとても気後れいたしました。
(佐藤) 入会審査もなかなか難しかったようですね。
(山下) 私はチャーターメンバーで弁護士の木戸孝彦さんから声をかけていただいたのですが、
赤沢璋一(元通産省重工業局長)さんと青山俊(元大蔵省銀行局長)さんが紹介者でした。当時は入会
待ちがたくさんいましたし、地方で入会しても東京ではなかなか認めてもらえなくて待たされた人もいると
思います。年齢も56歳以上は入会できませんでした。当時の主流は明治、大正一桁の人達でしたから
私は40台でしたので、大正二桁のヤングボーイと言われて、雑用係として気軽に使って
いただいたものです。
(佐藤) そんなキワニスライフの中で、最も印象的なことはどんなことですか。
(山下) 景気も良かったせいもあるのでしょうが、とにかくやることなすことスケールが
大きかったことです。例えば忘年会は某料亭で、50人ほど集まり芸者を上げての宴会でしたし、
ファミリーデーは当時レディースデーと言っていましたが、アトラクションは超一流のタレントを呼び、
料理や景品も豪華でした。普段奥様にお世話になっているのだからと、ルールとして旦那方が
奥様に料理を運んでいた姿も、今となっては懐かしい光景です。また人物もスケールの大きい人が
多かったように思います。私が事務局長としてご指導いただいた東芝(元会長)の岩田弐夫さんなど
印象的な方がたくさんいらっしゃいました。
事務局長を7年経験
(佐藤) そういえば山下さんは事務局長を通算7年おやりですね。
どんな事情でお引き受けされたのですか。
(山下) とてもそんな任ではないと申したのですが、キワニスでは頼まれたら断る伝統はない。
ありがたくお引き受けするものだと言われて、有無を言わせず引き受けさせられました。
ASPAC大阪大会もあり、英語ができることも考慮されたのかもしれません。
当時は日本地区の事務総長と東京の事務局長は兼務でしたから。また事務局長としては、
コンピュータを導入したり、会計専門の人を入れたりして、事務局改革をしようとしましたが、
残念ながら私も現役で会社の仕事もあり、中途半端に終わりました。
ただ、事務局員任せはしないようにできるだけ心がけました。
(佐藤) 私も事務局長の後輩として、山下さんのお志だけは引き継がせていただきました。
ところで、キワニスは奉仕活動をする団体ですが、どんな体験をされましたか。
またキワニスに入って人生観が変ったとお感じになることはありますか。
(山下) 慰霊の泉の清掃活動や寄付活動は続けてきました。最近ではキワニス人形作りも
やっています。これはとてもいいことですね。それからキワニスに入ってから、大局的な見方が
できるようになったと思います。民間の仕事人間で育っていましたので、広く知ることの重要性を
知ることができました。キワニスのいろいろな人にもまれたのだと思います。ありがたいことです。
皆勤賞ナンバーワンを続ける秘訣
(佐藤) ところで、東京キワニスクラブは40周年を迎えたわけですが、その中で山下さんは
皆勤賞のナンバーワンです。こんなに続けられるのは、どんな秘訣があるのでしょうか。
どんなことに心がけていらっしゃるのですか。
(山下) 現役時代は皆勤賞を取るのに苦労したこともあります。メーキャップ゚制度に
随分お世話になりました。事務局に現状の成績を聞いて、足りないと靖国神社に連続して
出かけたり、近郊のクラブにメーキャップに出かけたり、事務局に出かけたりして獲得した
こともありました。しかし自分ではそんなに努力している意識は、実はありません。
キワニスが楽しいから自然と足が向くという感じです。そしていろいろな人と知り合いになる
うれしさもありましたね。気がついたら33年皆勤でした。
(佐藤) キワニスの世界大会でも、さすがに50年皆勤の人は少ないですね。山下さんは
とてもお元気ですし、日本初の50年皆勤を目指して、後輩に範を垂れていただきたい
と思います。最後にこれからのキワニアンに期待することは何でしょうか。
(山下) 一言で言えば、キワニスに入るときに自分は何をしたいのかはっきり決めて入る
ことだと思います。それから受け入れ側も、できるだけバランスの取れた業種を考えて、
少ない業種の方に入会していただくように努力することでしょうね。
(佐藤) 今日はとても興味深いお話を伺うことができて、本当にありがとうございました。
これからもお元気で、後輩のご指導をどうぞよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
以上
○17年1月: 公文 宏 会員(財務委員長)
(インタビュアー:栗山勁 会員)

左:公文会員 右:栗山会員
いろんな生き様の人々を知る
(栗山) 12月からスタートします、今月の人(会員インタビュー)について、まずは各委員会の
委員長さんに順番にお願いすることとなりました。今日は一番バッターで財務委員長さんとして、
お時間を頂いたわけですが、お忙しいところありがとうございます。
早速ですが、まず、キワニスクラブに入会されたきっかけは何でしょうか?
(公文) 旧大蔵省で30年近く働きましたが、諸先輩が数多くキワニスクラブの会員であり、
以前からキワニスクラブについては種々伺っていましたが、3年前の13年2月に入会する前の、
ちょうど1年ほど前に、1年先輩の安原正さんと佐藤満秋さんからそれぞれ別々に偶然タイミング良く、
入会のお誘いがありました。当初金曜日は別件があり難色を示したのですが、安原さんに
熱心に誘われたのと、竹内さんや長岡さんなど大先輩も多くいらっしゃたので
名誉あるキワニスクラブに入会させていただきました。
(栗山)キワニスクラブに入られて如何でしたか?
(公文)入会して本当に良かったと思っています。旧大蔵省では比較的他省との付き合いも多く、
役所の世界では身近な付き合いは出来ていても、そうでない世界はあまり知らないわけで、
そういう意味で広い世界で活躍されている人々を知り教えられることが多く、自分も変わった
と思います。また、例会の卓話はバラエテーに富んで、一般の講演とは違い格別に内容が良いと
思います。卓話ひとつ聞いても"教養"という意味だけでなく、"こういう自分が経験したことの無い
すごい生き様をされている人がいらしゃるのか"との感銘を受けます。
また皆さん他のクラブと違って、「奉仕」"人のお役に立つ"を常に頭に置いて参加されています。
また、この数年東京キワニスクラブの活動は諸方面で一層活性化してきていると思います。
点訳サークル活動に感激
(栗山)キワニスライフで一番印象に残っていることは何でしょうか?
(公文)昨年青少年教育委員長を務めた際に、東京キワニスクラブ「青少年教育賞」について、
「国際基督教大学点訳サークル」の選考プロセスがもっとも印象的でした。いろいろ候補があった
中で有力候補として浮上してきた訳ですが、私は言葉の響きから"単に点訳"との初印象で、
世間にもたくさんあるのではないかと、これで良いのかとの気持ちでしたが、取りあえず現地を
見ようという事で訪問しましたら、その『視覚障害のハンデイについての尊い活動』に感動を
受けました。サークル活動があったために、早くから大学としても理解し、入試制度の改革から
踏み切って、一般学生と同等の教育を受けられるよう、受験から授業まで、鋭意、体制づくりに
取り組んできています。また視覚障害の学生にお会いすると全く明るくハンデイを感じさせない
雰囲気に感激しました。通常は、社会学科など文科系がほとんどですが、同大学は、理科系の人も
受け入れ、その受入体制について、大量の資料も作成して取り組まれています。
これらのことを目の当たりに見て、私は「青少年教育賞」に十分に価すると思いました。
この感激も青少年教育委員長になったお蔭だと思っています。
現地を目の当たりに見て
(栗山)奉仕活動についてお願いします。
(公文)手足を動かすような活動はあまり出来ていませんが、自分の責任でなく恵まれない子ども
たちに希望を持たせたいと思っています。そのためには今後国際的な活動にも学んで行きたいと
考えています。正直、少しでもお役に立てたい気持ちは十分にあります。
(栗山)今後のキワニスクラブの取り組みについてのお考えをお聞かせください。
(公文)やはり、恵まれない不幸な子どもたちへのための一層の活動が必要です。国際的な組織と
組んだり、国内でも自分のせいでなく不幸な子どもたちもまだ数多くおられると思います。
個人的な話になりますが、小児科の医者である次女が、ケニアでボランテアの医療活動を
しています。機会があり現地に行きましたが、貧しい子どもたちを目の当たりに見ると、
里親もしていますが、何か恵まれない子どもたちに、一層尽くしたい気持ちになります。
(栗山)私も数年前にカンボジアに行き現地の子どもたちをみて驚きました。
(公文)カンボジアにも2回ほど行く機会がありましたが、空港を降りたらすぐに、
地雷で手足が無くなった子どもたちが"うわーっ"と、ものすごくたくさん集まってきます。
市内でも至るところで見かけます。カンボジアに行って何んとも思わない人は誰もいないでしょう。
(栗山)最後になりますが、財務委員長さんとしての抱負をお聞かせください。
(公文)新入会員が増加していることは、財務委員長としてもありがたいのですが、
財政運営面では、難しい状況が続いていますので、健全かつ円滑に、進めて行きたいと考えています。
(栗山)本日はお忙しいところ大変ありがとうございました。
以上